青い海と恋
「伊織たち、遅いね」
「うん」
今日は由乃と伊織と颯太くんの4人で海に行く。
もうこのメンバーもだいぶ定着してきたし、前よりもっと仲良くなれた気がする。
このメンバーで遊ぶのはすごい好き。
夏休みだし、どこか行きたいねって話になって、颯太くんが行きたがっていた海へみんなで行くことにした。
でも、本来の目的は伊織も颯太くんも知らない。
由乃が颯太くんと距離を縮めたいみたいだから、わたしもできることは協力することになっていた。
だから、由乃にとって大事なイベントなのだ。
わたしも伊織ともうちょっと仲良くなれたらなと思う。
「ごめーん。遅れた!」
向こうから颯太くんが手を振ってかけてきた。
颯太くんの持っているリュックサックにはパンパンに荷物が詰められている。
なにをそんなに入れてきたのか。
なんだか、重たそう。
対して、伊織は必要最低限の荷物という感じだ。
伊織らしいと思う。
「もう! 遅いよ?」
由乃が颯太くんに向かって言う。
「だよな。伊織が起きるの遅くてさ、ずっと寝癖直してたから遅れた」
「おい! 言うなよ」
伊織が颯太くんの肩を軽く叩く。
「いてっ!」
伊織と目が合う。
でも、すぐ目を逸らされた。
あれ、わたし、今日の格好変だったかな。
それとも顔になんか付いてる?
よくわからないけど、伊織はわたしと目を合わせようとしなかった。
電車にゆらゆら揺られながらわたしたちは海へ向かう。
「そういえば、わたしクッキーつくってきたよ」
じゃーん、とかわいくラッピングされたクッキーを四つかばんから取り出す。
「おお! すげー!」
颯太くんは感激したように大袈裟に声を上げる。
電車の中なので声が響いて、周りにすみませんと謝っていた。
「ええさすが、由乃! お菓子づくり上手ー!」
女子力も持ち合わせているわたしの親友。
料理もお菓子づくりも由乃はすごく上手い。
わたしとちがって。
「はい、あおちゃん!」
「ありがとう!」
由乃がみんなにクッキーを配ってくれる。
由乃から渡されたクッキーは桜の形だ。
チラッと伊織のほうを見てみると、猫の形をしたクッキーだった。
わたしが桜の花が好きだから、これにしてくれたのかな。
そう思って、尚更うれしくなった。
「葵はなにかつくってきたりした?」
颯太くんが期待という眼差しを向ける。
「わたしは……そういうの上手くないから」
お菓子づくりは嫌いじゃないけど、苦手だ。
材料の分量とか間違ってないはずなのに、なぜか上手くいかないんだよな。
やっぱわたしってだめだな。
「……お菓子をつくれなくても、葵はだめなんかじゃないから」
わたしの思ってることを見透かしたかのように伊織がぽつりと言う。
「いや、俺はべつにそういう意味で言ったわけじゃ」
「大丈夫。わかってるよ」
颯太くんが悪気があって言ったわけじゃないことくらいわかる。
わたしが勝手にネガティブ思考になってただけ。
「でも、葵。ごめーん!」
颯太くんが悪いわけではないのにちゃんと謝ってくれる。
だからわたしは笑顔で返す。
「もう、ほんとに気にしないで」
「あ、颯太くん! 連絡先交換しない?
まだしてなかったよね?」
いけない。つぎに会ったとき交換するって決めたのに忘れるところだった。
「あー、先言われちゃった。いいよ、しよ!」
ちょっと残念そうにスマホを取り出す。
QRコードを読み取ってお互い友だち登録した。
「あおちゃん、あおちゃん!」
由乃がこっそりとささやく。
「どうしたの?」
「わたしは、あおちゃんの恋も応援してるからね。
だからわたしのことより自分のことを優先してほしい」
「……え! 気づいてたの?」
由乃の一言に心臓がはねる。
そんな素振り見せてたつもりなかったけどな。
でもいずれ由乃には話そうと思ってたから、これでいいか。
「あたりまえじゃない」
「でもわたしは……応援とか大丈夫だよ」
伊織には忘れられない子がいるから。
きっと、その子のことまだ好きだと思うから。
わたしは、いまの関係が続いてくれればそれでいいから。
由乃と話している間、伊織と颯太くんは名前呼びのことについて話していた。
距離が近いのでよく聞こえた。
「あれ、颯太って葵のこと名前呼びだっけ?」
「友だちになってから変えた」
「そうなんだ……」
なんで急にそんなこと話してるのだろう。
いままで散々呼んでたはずなのに、気づかなかったのかな。
「海だー!」
ようやく海に着いた。
はじめて来たけど潮風が気持ちいい。
さっそく、海へ向かおうとすると伊織がわたしのことを呼び止める。
「あのさ、颯太とは友だちみたいだけど……」
「うん、友だち!」
はじめての男の友だちなんだよ。
中学の頃は全然できなかったし、伊織は友だちというより特別な人だからね。
「あんま仲良くしてほしくないって言ったらきいてくれる?」
「え、なんで?」
なんでそんなこと言うの?
わたしの数少ない大切な友だちなのに。
「前とちがうことすると未来が変わるから」
伊織は真剣な顔をしていた。
だから、なにか理由があるのかもしれない。
でも、それでもわたしは颯太くんと友だちだから仲良くしていたい。
「なにそれ。どういうことなの?
未来が変わったらだめなの?」
「……ごめん。やっぱなんでもないから忘れて」
伊織、どうしたのかな。
困った顔をして、そのまま由乃たちのほうへ走って行った。
なんだったのかな。
わたしは、伊織のことまだまだ知らないことだらけだ。
未来のことなんてわかるわけないのに。
「由乃、がんばってね。告白!」
わざと強調したように言うと由乃の顔は少し照れた顔になる。
「でも……あおちゃんもでしょ」
「わ、わ、わたしはいいの!」
急にこっちに話をふるから動揺してしまった。
それを見た由乃は「動揺しすぎ」と笑っていた。
わたしはべつに伊織に告白なんて。
そもそも伊織はわたしのことなんとも思ってないと思うから。
チラッと伊織を横目で見ると、ビーチボールを膨らませていた。
「なぁ、ビーチボールしよ」
さっきの話があって気まずいかなと思っていたけど普通に声かけてくれた伊織に少しほっとする。
気にしていないみたい。
「うん、しよ!」
少しぎこちない表情で返す。
それから、男女に分かれてビーチボールバレーをすることにした。
自分たちの陣地を決め、その中の間で交互に打ち合い、先に落としたほうが負けということになった。
「由乃、ナイス!」
始まって早々由乃が大活躍していて、伊織たちは驚いた様子。
わたしは由乃と いえーい、とハイタッチをする。
由乃は中学は運動部だったから運動神経がめちゃくちゃいい。
わたしも由乃に負けないようにがんばらないと。
来たボールをなんとか打ち返す。
でも、向こうに届かなかったこともしばしば。
結局、勝負は引き分けになった。
でも、みんなでたのしく遊ぶことができたからよかった。
次はスイカ割りすることになった。
「あおちゃん! みぎ!」
「ええこっち?」
目隠しをされているから視界は真っ暗で、足が反対方向に向かってしまう。
「葵、それ逆!」
「ええ、どこー?」
わからないまま足を動かしてると、伊織の「あ、そこ!」という声が聞こえた。
「えいっ!」
コンと音がして、目隠しを取ると綺麗にすいかが割れていた。
「やった!」
みんなは拍手をしてくれて、伊織もこっちを見て笑ってくれた。
いつもの伊織に戻ったみたいでわたしも笑顔でピースを返した。
「めちゃくちゃ美味しい〜」
みんなで食べるすいかはめちゃくちゃ美味しかった。
家の中でひとりで食べるすいかとは全然ちがう。
こんなにもちがうんだと少し驚いたくらいだ。
甘くて口の中が蕩ける。
ビーチボールにスイカ割り。
いままでやったことない遊びだらけでもう心がいっぱいだった。
もう既に夏を満喫していた。
「なぁ、伊織。競走しようぜ」
「お、いいな」
そう言って、伊織と颯太くんは砂浜の向こうまで走っていく。
どこまで行くんだか。
ふたりの姿がみえなくなるまでその光景を見て、わたしと由乃は目を合わせて笑う。
「ねぇ、由乃は颯太くんのどこが好きなの?」
「えっと……おもしろくて、場の雰囲気を明るくして盛り上げてくれるとこかな。
あと、優しいところも」
なんか恥ずかしいな、と笑う。
「てか、いつから好きなの?」
「なんか、あおちゃんぐいぐいくるね」
思わず、質問攻めみたいなことをしてしまった。
由乃は困った表現を見せる。
「あ、ごめん。あんま恋バナしたことないからたのしくて」
友だち同士で恋バナ、一度してみたかったんだ。
わたしの夢のひとつが叶ってうれしくなった。
「そっか。
えっと、中3のときからだから割と最近だよ」
「あおちゃんの話も聴かせてよねー」
今度はわたしのことに話題が変わる。
伊織の好きなとこか、言おうとするとどこからか現れたかわからないけど、颯太くんの声が聞こえた。
「なぁ、そろそろ海入らね?」
「入ろ入ろー!」
由乃が立って、颯太くんの近くに行く。
わたしも由乃のあとを追う。
「え、由乃たちそれで入んの?」
颯太くんが目を丸くして驚く。
そんな颯太くんにわたしと由乃は目を合わせてふふっと笑う。
「え、なに? 変なこといった?」
颯太くんはわけがわからないという顔をしていた。
「あのね、これ一応水着なんだけど……」
「服みたいでかわいいでしょ?」
わたしは上下分かれている水着で、由乃はかわいいワンピースの水着を着ている。
どっちも私服に近いやつを選んだ。
海に行く前日に由乃と一緒に買いに行った。
あまり露出が多いのは嫌ってことでお互い服に近い水着にしよって決めたのだ。
「なんか想像とちがったわ」
颯太くんはなぜかちょっと残念そうに呟く。
「なにを想像してたのよ!」
横で由乃が突っ込む。
ほんと、なにを想像してたのか。
ビキニとか想像してたのかな? あんな肌出してるのわたしには恥ずかしすぎて絶対着れない。
まわりを見て伊織がいないことに気づく。
競走は終わったはずなのになんで帰ってこないんだ?
疑問に思い、訊いてみる。
「伊織はどこ行ったの?」
「あー、途中で出店見つけてさ、そこでたしか焼きそば買いに行った!」
颯太くんの指さすほうに目をやると出店が並んでいる。
気づかなかった。
伊織、焼きそば好きなのかな。
「あ、そういえば俺、浮き輪もってきた!」
そう言って颯太くんはかばんの中から畳まれた4つの浮き輪を取り出す。
人数分持ってきたんだ。颯太くんのかばんがパンパンだったのがこれで納得。
「由乃使うー?」
「あ、うん!」
颯太くんは由乃に浮き輪と空気入れを渡す。
空気入れまでもってくるなんて用意がいいな。
「葵は?」
「わたしは……伊織が帰ってくるまでまってるよ」
由乃と颯太くんがふたりで海に入るならわたしはお邪魔だろうし、わたしだって伊織と泳いだり話したりしたい。
「葵ってさ、もしかして伊織のこと好きなの?」
颯太くんがわたしの隣に来て、コソッと告げる。
「えぇ!?」
「驚きすぎ」
「……わかっちゃう?」
やっぱりわたしってわかりやすいのかな。
由乃も気づいていたみたいだし。
伊織もまさか気づいてる? そう思ったら少し心配になった。
「うん。……まぁ、俺は応援するよ。
伊織とは親友だから」
「ありがとね」
由乃が颯太くんに向かって叫ぶ。
「颯太くん、行こ!」
「おう!」
行ってらっしゃい、と由乃たちに手を振る。
わたしはテントの中に入って伊織の帰りをまつことにした。
「あれ、葵だけ?」
伊織が焼きそばをふたつ買って帰ってきた。
「あ、うん」
頷きながらわたしの隣に腰かける。
「焼きそば好きなの?」
「めっちゃ好き」
そう言って、えへへと笑う顔にドキッとする。
「でも、先に遊びに行こ」
「え? 冷めちゃうよ? いいの?」
「うん」
由乃と颯太くんは海の中にいるから、わたしと伊織は少し離れた砂浜を歩く。
人もあまりいなくて静かな空間だった。
「あ、これ綺麗な貝じゃない?」
ピンク色で、まるで桜の花びらような貝だ。
伊織も同じことを思ったらしく「桜の花びらじゃん!」と声をあげる。
桜の花びらみたいな貝を拾おうとその場にしゃがむ。
すると、パシャッと上から音がして上を見上げる。
「え、いま撮った?」
「うん。撮った」
「消してよ。恥ずかしいから」
「やだ」
やだって言われても、わたしひとりの写真が伊織のスマホの中にあるのはすごく恥ずかしい。
「じゃあ一緒に撮ろうよ」
一緒なら少しははずかしくない。
それに伊織との思い出を写真に残しておきたい。
「撮っても意味ないと思うけど、いいよ」
どういうことだろう。撮っても意味ない?
でも、わたしの疑問は伊織の笑顔によってかき消された。
伊織がスマホを伸ばして、わたしたちはポーズをとる。
「それ、わたしにも送ってほしい」
「じゃあいま送る」
「ありがとう!」
なんかこういうやりとり彼氏彼女みたいでいいな。
なんて思ってると、「なんかこういうさ、恋人みたいだよな」と言う。
考えが読まれたみたいでまたドキッとする。
「……戻ろっか」
「あ、うん」
何事もなかったように伊織は歩き出す。
わたしも慌ててそのあとを追う。
テントに近くに行くと、由乃と颯太くんがいい雰囲気なのに気づく。
ふたりで仲良く話しているみたいだ。これは邪魔したらいけないと咄嗟に思う。
なのに、伊織はそんなのおかまいなしにテントにへ近づこうとする。
「伊織、まだ行っちゃだめ」
「なんで?」
なんで? って。
いつもは勘が鋭いのに、こういう恋愛になると、察せれないんだから。
「もう、空気読んでよね」
「あぁ……」
伊織はわたしと由乃たちのほうを交互に見てやっと理解したのか止まる。
「由乃。がんばれ!」
小声で由乃に向かって呟く。
「ほんといつもだれかのために動いてるよな」
「そんなことないよ」
わたしは由乃に親友に笑っててほしいだけ。
もちろん、伊織にも、颯太くんにも。
関わった人にはできるだけ笑顔でいてほしい。
そう思ってるだけ。
由乃たちとは少し離れた岩に腰をかける。
「伊織。わたしね、やりたいこと見つけたの」
将来の夢を見つけた。
最初に話すのはやっぱり伊織がいい。
「ほんと? なになに?」
「わたし、困っている子どもに寄り添ってあげられるような学校の先生になりたい!
わたしが学校嫌いで伊織のおかげで好きになれたようにだれかを支えたい!
だから、がんばって勉強して大学行くんだ!」
学校はたのしいことばっかじゃないし、ときには辛いこともたくさんある。
でも、わたしは子どもの成長を近くで見れるのがいいなって思ったんだ。
勉強するのはやっぱり嫌いだけど、これから好きになっていきたい。
「まぁ、まずはお母さんたちに言って神社継げないことの許しをもらわないとだけどね……」
「よかった……」
伊織が安心したように呟く。
「え?」
「あ、いや。こっちの話。
応援する。葵はきっといい先生になれるよ!」
「ありがとう」
うれしい。伊織がそういってくれるならほんとになれそうな気がする。
まぁ、現実はそんなに甘くないと思うけど。
しばらく沈黙が続き、波の音だけが静かに響く。
「葵はなにが好き?」
「え、いきなりなに?」
「なんとなく。葵の好きなもの知りたいなって」
目線は海のほうを向けて言う。
「わたし、水色が好き。この海みたいに綺麗で透き通ってるものが好きなんだ」
小さい頃から透き通ってるものが好きだった。
よくラムネを飲んで、お父さんにビー玉を取ってもらって太陽にかざしてたな。
「他には?」
「うーん。あと、桜が好きかな」
「俺も花の中ではいちばん好き」
伊織とぶつかったときの場所桜だったなとふと懐かしく思い出す。
好きな植物が同じでうれしかった。
だれかに好きなものを話したのはじめてな気がする。
前は好きなものを否定されたらどうしようって思ったら、なかなか言えなかった。
『他人になんて言われても、好きなものは好きでいいじゃん』
伊織がそう教えてくれた。
いま思えば、わたしはたくさん伊織に教えられた。
助けられた。救われてきた。
伊織がいたから、わたしは前より自分らしくいられてる。
だから、わたしが。
わたしが好きなものは。
「あのね、わたし。伊織が好き!」
べつに伊織になんて思われてもいい。
想いを返してくれなくてもいいよ。
わたしの気持ち、伊織にも知っててほしいから。
「……俺も葵が好きだよ」
思ってもみない答えに目を見開く。
伊織、初恋の子はもういいってことなのかな?
「ほ、ほんと?」
「うん」
想いが通じてうれしかった。
ただそれだけで、それ以上はなにも離さないで由乃たちのほうへ戻った。
「おい、颯太!
なんで焼きそば全部食べてるんだよ、俺のは?」
テントに着くと、伊織が声を上げる。
見てみると、綺麗になくなっていた。
「あ、ごめん。気づいたらなくなってた」
あはは、と笑う。
颯太くん、全然悪いと思ってないみたい。
「もう俺が買いに行ったのにー!」
「わたしも……少しもらっちゃった。ごめんね」
「いや、由乃ちゃんは全然いいんだけどさ」
「なんでいつも由乃だけ!」
その光景を見て、由乃とわたしは目を合わせて微笑む。
伊織と颯太くんのやり取りはいつ見てもおもしろいなと思う。
「てか、お前らどこに行ってたの?」
「颯太には内緒」
焼きそば取られたお返しなのか伊織は教えようとしない。
それどころか、
「でも、すげーいいとこ」
と無邪気に笑う。
「まじ? なぁ、教えろよ!」
「絶対教えねー」
仲良いふたりの絡みに和やかな雰囲気が流れる。
べつに大したとこ行ってないけどな。
そこら辺ぶらぶらしていただけだ。
でも、わたしにとってもいいところだった。
わたしが告白できた場所。伊織に自分の想いを告げた場所。
たぶん一生忘れない。
伊織はわたしだけに見えるようにいたずらっこみたいな笑みを浮かべていた。
由乃は結局、颯太くんに告白できなかったのかな。
ふたりはいつものように話しているだけだった。
電車の中で、由乃と颯太くんは寝てる。
結構はしゃいでたし、海で泳いでたみたいだから疲れたのだろう。
起きているのはわたしと伊織だけだ。
「葵は寝ないの? 疲れてない?」
「大丈夫。なんか寝るの勿体なくて」
こんなに楽しい夏休み、生まれてはじめてだった。
来年も4人で来られたらいいな。
中学の頃はこんなことできなかった。
中学生のわたしに教えてあげたい。
高校生になったら、たのしいことたくさんあるよ。
大切な友だちもできたよって。
それから恋も。
「伊織。今日はたのしかった?」
「うん」
満面の笑みで返される。
その答えが聴けて、安心した。
「よかった」
「俺、葵がいてたのしくないって思うこときっとないから」
「わたしもだよ」
そう言って笑いあって、揺れる電車の中、そっと手を重ねたのはふたりしか知らない。
恋人じゃないのに恋人繋ぎをしてドキドキいっぱいだった。
ふたりだけの秘密。
「じゃあ、またな!」
伊織と颯太くんに手をふって別れる。
由乃はコンビニに行く用事があるとかでわたしと同じ方向を歩く。
「今日たのしかったね」
「うん。めちゃくちゃたのしかった!」
想い出話をしてると、あっという間にふたりの分かれ道に来る。
由乃はわたしのほうをまっすぐ見て言う。
「あおちゃん。今日はわたしのためにありがとね」
「こっちこそありがと」
目的は由乃と颯太くんの進展のためだったけど。
わたしもたのしんじゃったし、なんなら伊織に告白しちゃったし、めちゃくちゃ充実した一日だった。
「うん、またね!」
由乃は告白のことなにも言わなかった。
だから、由乃が自分から話すまでわたしはなにも聴かない。
だれだって話したくないことだってある。
それを無理に聞こうとするなんて、相手の心に無理矢理入っていこうとするのと同じだから。
わたしは由乃が話したくなるまで待ってるよ。
「じゃあ、あおちゃん彼氏できたんだ!
おめでとう」
昨日のことを由乃に報告すると、由乃は自分のことみたいにうれしそうだった。
今日は由乃の家に遊びに来ていた。
ほんとは勉強を教えてもらいに来たんだけど、いつの間にかおしゃべりに変わっていた。
「え?」
「え? だって両想いなんでしょ?」
由乃の言葉に首をかしげる。
たしかに両想いってことだけど。
「でも、付き合お? とかわたしは言わなかったし、伊織も言わなかった」
思いが通じたそれだけで奇跡だと思う。
だから、べつに付き合いたいとかは……。
「わたしも告白したよ。けど、フラれちゃった。
ほかに好きな人がいるみたい」
「そっか……」
こういうときってなんて言えばいいんだろうな。
言葉を必死に探していると、由乃が言う。
「でも、あおちゃんのおかげで告白できた。
ありがとね? これからはただの友だちに戻れるようにがんばるよ」
「由乃」
やっぱりいい子だ。
わたしの親友をふるなんて颯太くんの好きな人はだれなんだろう。
疑問は残ったけど、これ以上颯太くんのことについてはなにも話さなかった。
「伊織、ここにいたんだ」
「あ、うん」
由乃の家から帰る途中、星空公園でブランコを漕いでる伊織を見つけた。
だから、わたしもその隣のブランコに腰をかける。
「伊織。わたしたちって付き合ってないよね?」
せっかく伊織に会えたんだからさっき由乃から言われたことを訊いてみる。
「……うん」
伊織はなにかを考えるように頷く。
やっぱりそうなんだ。いや、わかってたこと。
だけど、改めて言われる少しと悲しいな。
わたしが悲しい顔していたからか伊織が慌てたように声を出す。
「ちがう! 葵と付き合いたくないわけじないよ!
でも、ごめん。自分勝手だと思うけど、俺はまだいまのままがいい。俺は葵の気持ち知ってるし、葵も俺に気持ち知ってる」
伊織は必死に言葉を紡ぐ。
「だったら付き合わなくてもこのままでいいと思わない?」
「そうだね」
「でも、葵が付き合いたいって言うなら……」
「大丈夫! まだこのままでいいよ」
大丈夫。
付き合わなくても、彼氏彼女の関係にならなくとも伊織のことが好きなのは変わらない。
そして、伊織もわたしのことを好きでいてくれる。
じゃあべつになんも変わらない。
この関係に名前なんてつけなくてもいい。
伊織が理由なしにこういうことを言わないのはわかってる。
これにもなにかきっと理由があるに違いない。
だから、全然大丈夫。
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