普通と特別



「前から言っていた通り、明日から夏休みです」


 先生がプリントを配りながらにこやかに言う。


 やったぁぁぁ! と急に騒ぎ出す教室。

 いや、小学生ですか? って思うほどうるさい。


 先生がそんな教室に手拍子をひとつ叩く。


「はい、静かに。それから課題一覧表を配ります」


 その一言で一気に静まり返った。

 すごい。課題って聞いただけでこんな静かになるんだ。

 思わず笑ってしまいそうになった。



「ねぇ、なんで課題いまから配られるのにうれしそうなの?」


 相当にこにこしてたらしく、伊織が不思議そうにわたしの顔を見る。


「みんな反応よくておもしろいなぁーって」


「あぁ、そういうこと。勉強嫌いな葵がどういう風の吹き回しかと思った」


「もう、伊織!」


 少しムッとした顔で見つめる。


 たしかに、勉強は嫌い。

 でも、最近はちょっとだけがんばろうと思えるようになった。

 これも伊織のおかげだ。



 そしてついでにこの前のテストの順位表も返される。

 夏休み入る前に返すとか悪意あると思う、絶対。


 お母さんもお父さんも順位のことでは怒ったり、なにか言ったりはしないけど、もうちょっとがんばりなさいと目で視線を送られる。

 だったら、直接言ってほしいくらいだ。


「伊織の見せて?」


「あ、ちょっと!」


 伊織の順位表を無理矢理奪って見てみる。


 うわぁ、やっぱ伊織って頭いいんだな。

 どの教科でもクラスでトップのほうに入っている。

 学年で比較しても、相当優秀。

 これは将来有望だ。



「葵は? どうだった?」


「それ、わたしに訊く?」


 いじわるな質問。

 わたしが頭よくないの知ってるくせに。



「ちょうど平均だよ」


 見せるほどでもないけど、はいっと渡す。

 伊織と比べたら月とスッポンだった。


「でも、悪くないじゃん」


 悪くないじゃん、だけどよくもない。

 伊織がそんなこと言うわけないと思うけど、そう続いているように聞こえた。

 平均ということは普通ってことだ。

 よくも悪くもない。


「普通じゃだめなんだよ……」


 普通ってつまらない。

 そんなこと自分がいちばんよく知ってる。

 せめてなにかひとつくらいズバ抜けてできる教科でもあればいいのに。

 そしたらその教科を思いっきり伸ばすのに。


「俺はいいと思う。普通で」


 伊織はわたしの手に順位表を返す。

 そのまま鞄の中にしまって、伊織を少し睨む。


「なに? この成績でいいってこと?」


 伊織はこんな頭いいのに、わたしは全然で。

 改めて不釣り合いだなと思う。

 これじゃあ、伊織の隣を歩けない。


「そうじゃなくて! 無理に特別とかになろうとする必要はないと思う。

 普通でつまらない毎日かもしれないけど、そこに意味があると思うんだ」


 つまらない毎日。

 たしかに、普通でこの繰り返す毎日だって、わたしの成績と同じでつまらいものだ。

 でも、伊織がそう言ってくれるなら少しだけいいようにも思える気がした。

 我ながら単純だとは思うけど。






 夏休み前最後の学校。

 最終下校時刻まで伊織とわたしは屋上で過ごすことにした。


「……これで最後か」


「え? なんて?」


 なにか伊織が言ったはずなのに、はっきりとは聞こえなかった。

「なんでもない。こっちの話だから」と伊織は空を見上げて言う。


 伊織はよく空を見上げているけど好きなのかな?

 でも、わたしも空は好きだ。青くて広くて、飛び込んでしまえばどこへだって行けそうな気がする。

 遊園地に見たときと少し違う透明な空がなんだかわたしと伊織を見守ってくれている、そんな気がした。



「なぁ、葵」


 いつもより少し真剣な顔をしてわたしを見つめる。

 なにか言いたいことでもあるみたいだ。


「人っていつ死ぬかわからない。だから、言いたいこと、伝えたいことあるなら後悔しないようにいま言わないと。

 俺は言えなかったことがたくさんあった。

 だから、俺は……」


 想像していた以上のことを言われて、思わず唾を飲み込む。


 伊織はなにを言うつもりなの?

 ただならぬ雰囲気に押しつぶされそうになる。



「俺は……」


 なにかを言おうと口を開けたけど、伊織はまたその口を閉じてしまった。

 その顔はまるで迷子のように、戸惑っている顔をし ている。

 言ってもいいか、迷っているみたいだった。

 伊織のそんな表情を見て、わたしは声を出す。


「いいよ。言わなくても」


「え?」


「たしかに言いたいことがあったらいま言ったほうがいいとは思う。

 でも、伊織はまだ迷ってるんでしょ。その答えに」


 わかるよ。

 わたしだって、伊織のことずっと傍で見てきたんだから。

 伊織がなにを言おうとしてるかまではわからないけど、大切な話をしようとしていたことだけはわかる。

 そんな伊織が言わないって決めた答えはわたしも納得するよ。


「……ごめん」


 うん、と頷く。

 べつに伊織がそんな顔する必要ないのに。

 泣き出したい、そう叫んでいるようだった。



「ひとつだけ、質問してもいい?」


 これだけはどうしても言いたかった。

 伊織は「なに?」という顔をしている。


「伊織。わたしになにか隠してることない?」


 伊織がふいに見せる哀しそうな顔はだれかを喪ったからだと思っていた。

 それももちろんあるんだと思う。

 前言ってた救ってあげられなかった子がいたと。


 でも、それだけじゃないって思うんだ。

 もっとなにか大きな秘密を隠しているんじゃないかってそう思うのはわたしの勘違いなのかな。


「……じゃあ俺がさ、未来からきたって言ったら信じてくれる?」


「え、?」


「これから起こることをしっているって言ったら」


 どういう意味かわからない。

 普通に考えて、ありえない話だ。

 でも、伊織が嘘をついているようにはみえない。


「なんてな! そんなわけないから安心しろ!」


 冗談か。びっくりした。

 でも、未来から来たってどういうことなんだろ?


 伊織はいつもとおんなじ笑顔のはずなのになにか引っかかってしまった。


 でも、これ以上はもうなにも訊かない。

 伊織が話してくれるまで信じて待つ。


 そう思った。






 朝、ベッドから起きようとするとクラっと目眩がした。


 やばい、頭痛い。

 夏風邪でも引いたのかな。


 夏休み初日からついてないなと思う。

 すると、勢いよく部屋のドアが開いて、お母さんが入ってきた。


「葵。お母さんね、今日高校の同窓会だから。

 行ってくるわね! 神社のお手伝いするのよ?」


 わざわざ同窓会のはがきをもってきて、うれしそうに見つめている。


 服もおしゃれしてここ最近でいちばんうきうきしてる。

 同窓会だし、あたりまえか。

 久しぶりに昔の友だちとあえるんだから。


 わたしが風邪だって言ったら、お母さんは同窓会休んで傍にいてくれるかもしれない。

 でも、そんなのだめだ。せっかくの同窓会なんだから。

 まずは神社の掃除して、それから大人しくしていればきっと頭痛も治まるはず。


「わかった。行ってらっしゃい」


 そう返すと、お母さんが更にわたしに近づいた。


「大丈夫? 顔色良くないけど」


 え、気づいた!?

 やっぱり親となると子どもの顔色とかすぐわかっちゃうのかな。

 それでも、心配かけないようになるべく自然な笑顔をつくる。


「大丈夫だから、お母さんは行って」


「無理しないでね」


 よしよしとわたしの頭撫でて、ドアを閉じた。


「行ってきまーす」


 最後まで上機嫌なお母さんにまた、行ってらっしゃいと返した。

 お母さんがたのしそうでなによりだった。




「はぁ……暑い」


 ほうきをもっただけなのにすぐ汗が出てくる。

 上を見ると、太陽の日差しが強くてくらくらする。


 もうはやく終わらせて寝よ。

 いつもより少し雑になっちゃうかもだけど。



 階段のところの砂を掃いていると、よく知っている声が耳に届く。


「あーおちゃんっ」


 その声の方に目を向けると、由乃と伊織、颯太くんまでいた。


「由乃たち、どうしたの?」


 このメンバーで来るということは遊びのお誘いかなと悟る。

 そして、わたしの予感は的中した。


「あおちゃんを遊びに誘いに来たんだけど、お手伝い中?」


「あ、うん。だから、またにしてほしい」


 やっぱり遊びのお誘い。

 今日はお手伝いがなくても遊べなさそうにないんだよな。

 たぶん由乃たちのテンションについていけない。

 それに申し訳ないけど、そういう気分でもない。




「葵の家、神社だったんだな、すげー」


 大きい鳥居をまじまじ見ながら、感動してるような声を出す颯太くん。

 そういえば、言ってなかったなと考える。


「じゃあ、また今度来るね!」


「ごめんね! またね」


 手を振って笑う。

 よし、最後まで体調悪いの気づかれなかった。

 ほっとしたのも束の間で伊織がいきなりとんでもないことを言い出す。


「なぁ、俺らも手伝わね?」


「え?」


 手伝うって神社の掃除のことだよね。

 そんなの迷惑じゃん! となんとか頭を回らせる。



「それいい! どうせ暇だから」


「俺も俺も」


 由乃も颯太くんも伊織に賛成する。

 



「え、でも迷惑じゃ!」


 友だちに、こんな暑い日に手伝わせるなんて迷惑でしかないと思うのに。

 せっかく遊びたいのに掃除なんて。


「あおちゃん、遠慮しないの!」


 由乃がビシッと言う。

 みんなは少しも嫌な顔しないで笑ってくれる。


「じゃあ……お願いします」


 控えめに頭を下げる。



 みんなにほうきを渡して、地面に落ちてる葉っぱやごみを片付けてもらう。


 わたしはというと、日のあたらないところにある仏像をタオルで綺麗に拭いている。

 汚れもあまりないから比較的楽な仕事だ。


 ほうきの数はそんなにたくさんないから、仕方がない。

 それに、ここにいれば日もあたらなくて涼しいからちょっとは気が保てる。

 友だちにも心配かけたくない。





「葵、ゴミ捨てるとこ案内して」


「あ、うん」


 伊織が傍に来る。

 でも、ゴミ袋の中はそれほど溜まっているわけじゃなく、むしろ少なかった。

 まだ入りそうなのに、と疑問が湧く。


 ここだよ、ってゴミ捨て場まで案内するけど伊織の足は止まらない。

 黙って着いていくとベンチが出てきた。

 こんなところにベンチがあったなんてしらなかった。




「ここ座って?」


 頭にハテナを浮かべながら言われたように座る。


「はい、これ」


 伊織がくれたのは冷たく冷えたペットボトルの水。

 ちょうど喉乾いてたからうれしい。

 そう言おうとするけど、伊織の次の一言にドギマギさせられる。


「体調悪いんでしょ?」


「な、なんで?」


「わかるよ。葵、無理して笑ってるから」


 無理して笑ってるつもりはなかったけど。

 伊織にはバレちゃったか。

 あはは、と苦笑する。



「お母さんはいないの?」


「同窓会に行った」


「葵のことだから大丈夫だって言ったんでしょ」


 図星をつかれてなにも言えなくなる。

 ほんとになんでもわたしのことお見通しだな。


「大丈夫って言い張るの葵の優しいとこだけど、無理するのはよくないよ? 遊びの誘いを断ってたのは正解だと思うけど……」


 ということははじめから気づいてたってこと?

 わたしの疑問を見透かしたように伊織は笑った。


「まさか、伊織。だから、手伝うって?」


「葵が倒れたら困るから」


「……ありがとう」


 きっと友だちとして心配してくれているだけだと思うけど、それでもうれしい。




「後は俺らに任せて。葵は部屋で休んでなよ」


「それはちょっと迷惑が……」


 わたしの仕事なのに伊織たちに全部任せるなんて。

 それはさすがにいけない、とわたしの心が言っている。

 これは本心だ。


「迷惑じゃないから。なんなら葵が倒れたほうがめちゃくちゃ迷惑だからね」

 

 ビシッと言われてなにも言い返せなくなる。


「……じゃあ、お願いします」


 本日2回目のこの言葉。

 お願いします、なんて友だちにあまり使わないから、少し変な感じがした。


「まかせて!」


 伊織はわたしが頼ってくれたのがうれしいのか、どこか張り切っていた。

 伊織が家のほうまで送ってくれて、またと手を振る。


 部屋に入って、そのままベッドに倒れ込む。


 伊織は些細なわたしの変化にも気づいてくれる。

 やっぱり好きだな。わたしにとって特別な人。

 そう思いながら、目を閉じる。





 つぎに、目を開けたときにはもう夕方で、すっかり体調もよくなったと思う。

 とりあえず頭痛はなくなった。

 気分もだいぶスッキリした。


 時間を見るため携帯を開くと複数のメッセージがきているのに気づく。


『これからは絶対無理すんなよ!

 なんか困ったことあったときは俺にまず言って』


 最初は伊織からで。

 伊織の優しさがつまった言葉に胸があたたかくなった。


『あおちゃん! 体調の悪いの気づかなくてごめんね。

 親友なのに……。お大事にしてください!』


 由乃からもきていた。

 かわいいスタンプでも謝ってる。

 由乃が謝る必要なんてないのに、隠していたわたしが悪いのだから。


 颯太くんからはない。

 あ、そういえば、颯太くんの連絡先知らないっけ。

 今度あったらきいてみようかな。




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