第3話

~~知識とは、過去の追体験である~~


 暖かな日差しが差し込み眠気を誘うような空気の中、講義室で座学が行われている。講壇の上では髪に白いものが混じり始めた初老の教官が、その几帳面な性格を表すように角ばった眼鏡を掛けて、冷たいが良く通る声で講義を行っている。名をブレスアイレス・フラヴィウスと言う。元々は人類同盟軍参謀本部で将来を嘱望されていたが軍内政治闘争という馬鹿馬鹿しい行為の結果、このコーウェンズ監視基地の教官職に左遷されてきた人物だ。


「そもそも歪神とは何か。ベルンハルト・グッドフェロー答えたまえ」


「はい。教官殿」


 席を立ちベルンハルトが人類の敵である歪神について説明していく。


 13年前に起きたシュバルツヴァルド事変において空を割って現れたこの世界に対して敵対的な存在だ。それは周囲の存在を侵し穢し歪め捻じ曲げ自身の眷属として従えて自身の生存圏を広げていく。無機も有機問わずその影響下に置いて元の存在から歪められた、故に歪める神、歪神と呼称される事となる。それは自然や源泉すら例外ではなく、歪神により汚染され歪神によって眷属を生み出す苗床と化してしまう。ただ、その目的や正体については未だ解明されていない。


「よろしい。次に歪神の眷属について」


 ぐるりと講義室内を見回した教官と欠伸をかみ殺しているユウトの目が合った。


「随分暇そうだなユウト・サキガワ。眠気覚ましに解説したまえ」


「は、はい。教官殿」


 椅子をがたつかせながら慌てて立ち上がると、周りから小さな笑い声が上がる。


 歪神によって汚染された存在は、元の特性や機能を残しながら周囲の物を取り込み無機物と有機物が雑ざり捻じれ狂い歪んだ目にするだけで吐き気を催すような存在へと書き換えられ歪神の眷属として機能するようになる。周辺にある歪神と眷属以外の存在を無差別に攻撃し歪神の勢力圏を広げていくだけの存在と変貌させられる。眷属は元々存在していたものを歪神が取り込み複製している為、個体差がそれなりにある。なので、特別な個体を除いて体高5m未満のスモール級、5m以上15m未満のミドル級、15m以上のラージ級とサイズ毎に分類され、頭文字を略称として用いられる。またその能力によっての種別分けがあり、装甲と速度に任せて突き進む前衛突撃種や砲撃能力を持つ後衛砲撃種などと呼称される。つまり15m前後の装甲を持ち高速で突撃してくる眷属はL級前衛突撃種となる。


「結構。追加で説明すると現在は種別として16種の種別が認定されており、原型と呼称されている」


 ため息をつき席に座るユウト。と、隣の席からメモ書きが差し出される。差し出した相手は悪戯っぽい笑みを浮かべたままノートに書き込みを続けている。金髪をボブカットにした桃色の瞳のスレンダーな少女だ。左手から蒼い炎が揺らめき出ている。メモには退屈だよねと書かれていた。肩を竦めるユウト。再びメモ書きが渡される。何それ似合わないよなどと書かれたメモ書きを丸めて送り主に弾いて返す。


「なるほど、この先の講義は理解しているという事だな。ヴァネッサ・サーブリーコヴァー」


 当然そんなことをやっていれば教官にバレてしまう。


「ならば、ここから先歪神による汚染について貴様が説明しろ」


「わ、わきゃりました。教官殿」


 噛みながら返答をして立ち上がる彼女を見て、自分にとばっちりが来なくてよかったとユウトは胸を撫で下ろした。


「それでは説明させていただきます」


 良く通る声で説明を始めるヴァネッサ。


 歪神が汚染した源泉周囲ではこの世界の生物が生存できない環境へと書き換えられていく。この世界の物質は多かれ少なかれ地脈からの影響をうけ、周囲から力を取り込むことで活動しているが歪神はそれすらも変質させる。歪神に汚染された源泉の影響範囲内では通常の生物は育たず、無機物と交じり合った異形。つまり、歪神の眷属のみが活動している事となる。短時間であれば、通常の生物や物質も汚染の影響を受けないが、長時間活動すると自然と汚染された源泉の力を体内に取り込みやがては歪神の眷属へと作り替えられてしまう。歪神による環境汚染とは、歪神にとって都合の良い環境を作り上げる事である。


「多少雑ではあるが良しとしよう。次に魔装騎とその灯火の騎士である諸君らの負担については......ベルンハルト・グッドフェロー」


「はい。教官殿」


 ベルンハルトが席から立ち上がり説明を始める。


 現在使用されている地脈から力を得る機関では5mの機甲騎士を動かすのが限界であった。何度か試作はされたが動きは鈍重で自重で身動きが取れないという酷い結果に終わった。これに別のアプローチを掛けた人間がいた。エヴァンジェリン・ブラックバーンという名の年若い科学者が開発し、グロースノルデン帝国の成立に関わった新型機甲騎士は地脈の力を魔獣の器官によって効率よく変換する事で十数倍の出力を得る事に成功する。しかし、新型に搭載されていた魔力機関には致命的な欠点があり、灯火の騎士の肉体が騎体に融合してしまう点である。これを防ぐ為に開発当初は魔物の器官を灯火の騎士に移植していたが拒否反応や不安定さがあった為、現在では国際条約によって禁止されている。


 魔物の生きた器官を移植する方法は当初一定の効果はあげていたのだが、エヴァンジェリン・ブラックバーンによって魔物の化石から因子を抽出する方法が発見され、魔物の生体器官を直接移植する事のない灯火の騎士の製造が可能となった。これには何名もの戦傷兵が実験に参加し実用化に至ったという。この化石化した魔物から抽出した因子を魔晶と呼び、これと強く反応する事が灯火の騎士の条件とされている。体内に注入された魔晶は血液によって全身に運ばれ人体表面に蒼い炎として出現する。魔装騎の操縦を行う度にこの炎は拡大していき、やがて人体全てを焼き尽くすことになる。現在では外部からこの人体の蒼炎化を制御する事が可能であり、作戦従事時には主に指揮官によって蒼炎化の度合いをコントロールされることとなる。


「以上となります」


「よろしい。因みに現在人類同盟の最大の魔晶採掘地は大陸中央部に存在している。人類同盟軍がそこに最大の防衛線を引いている理由だな。因みにこの場所は元々ある小国が存在していた。諸君らも耳にしたことはあるだろう」


 ブレスアイレス教官が話を続ける。


 魔物の化石は希少地下資源として各地で試掘が行われ大陸中央部のウィスタリア王国に有望な鉱脈の存在が確認された。これにより一大資源国家になるはずだったウィスタリア王国だが、当時の女王であるベル・ウィスタリアは国家解体を宣言し、その国土全てを人類同盟に売り渡すという凶行に走った。代償として、大陸南部のハイランド王国の一部に国民全員の移住と生活の保障を求めたのだった。人類同盟の盟主を称するハイランド王国はこの提案を飲み自領土の一部を自治区都市として事実上の割譲を行った。


「人類全体の為にその身を差し出した当時の女王陛下と、ウィスタリア王国の国民には敬意を払うよう」


 講義室内を鋭い目つきで見回した後、講義の終了を告げる。


 全員起立し礼をする。そこに教官が一言告げる。


「ユウト・サキガワ、ヴァネッサ・サーブリーコヴァー。貴様らは一週間トイレ掃除だ」


 がっくりと肩を落とす二人を見て、講義室にいる面子がご愁傷さまと苦笑いを浮かべのだった。


「いやー、今時罰則でトイレ掃除とかないよねー」


「いやいや、俺はとばっちりなんだけど?」


 トイレのタイルにブラシを掛けながらユウトとヴァネッサが罰として言い渡されたトイレ掃除に汗を流していた。


「それについては、大変申し訳ない思っており前向きに」


「お前、全く悪いと思ってないだろ」


 掃除の手を止めずに適当な返事を返すヴァネッサにため息をつくユウト。


「しかし、トイレ掃除で済んでよかったよ。野戦装備でフルマラソンとか言われるよりは百倍ましだ」


「私はちょっと嬉しいかな。だって、サキガワ君と二人っきりでおしゃべり出来る事なんかなかったから」


 はにかんで少しうつむくヴァネッサ。


「トイレ掃除中に言われても雰囲気なんざあったもんじゃないなぁ。ほらさっさと終わらせて次の所行くぞ」


「えー、こんなに可愛い同期が二人っきりでおしゃべりしてあげてるのに、まさかそっち?」


柔らかい頬を両手で挟み、顔を赤らめながらヴァネッサが覗き込む様に聞いてくる。


「俺は異性愛者だ!妙な噂を真に受けてるんじゃねぇ!」


「えー、何時もグッドフェロー君と一緒にいるから出来てるんじゃないかって、女の子の間では話題なのよ」


「本気でやめてくださいませんかねぇ!」


「それなら、いっそ彼女とか作ってみればいいじゃない。今ならお試しで私とかどう?」


「あー、そもそも女の子と付き合うって今一つイメージできないんだよな。そもそも、そんなこと冗談でも言うもんじゃねぇよ」


 そういうと、ユウトはさっさと道具を片付けて次の掃除する場所へと向かってトイレを出て行った。


「冗談じゃないんだけどなぁ」


 出ていくユウトには聞こえない声でヴァネッサは呟いた。

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