第8話 入部条件
出会って数秒の暴言に呆気にとられていた俺は、はっと我に返った。
くつくつと肩を震わせる佐久間先生に睨んでみせれば、彼女は「まぁまぁ」と間に入る。
「こちら、二年生の明石響也先輩だ。今回君に話をするにあたって必要な人間だと思って連れてきたんだ」
「話、ですか。指導室に呼ばれる非行はしてないと胸を張って言えますが?」
「非行はしてないね。でも不和は生んでいる……自覚がないとは言わせないよ」
鋭く言葉を返す先生から一瞬目を逸らす不知火。ほんの少しは付け入る隙はあると言うことか。
それにしても、ただ立っているだけでこの雰囲気とは……美しさは一周回ると怪しげな恐ろしさに変貌するのだなと場違いな感想を抱いて彼女を見る。
「飾、今朝も他クラスの女子を泣かせたそうだね」
「泣かせたのではなく、向こうが勝手に泣いたんです。私はただ投げかけられた言葉に反論しただけ。泣き寝入りはごめんなので」
「詳しく聞こうか?」
「『美人だからって調子に乗ってる』やら、『男子に色目を使うな』だとか……馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。ですから、僻むのではなく努力することの重要性と当人の魅力不足を説いたまでです」
「……言い過ぎたとは思ってない?」
「微塵も。相手が言いたいことを言ってきたのに対して、こちらが我慢する道理はありません」
どうよ? と肩を竦めて俺を見る先生。
んー……意外にも、特に問題があるようには見えなかった。
彼女が言う言葉は正論だ。もちろん話を聞く限りではあるが。
でも確かに不和を生むと言われればそうなのだろう。集団生活において不知火みたいな生徒はそりゃ浮くだろうな。
「響也、君はどう思う?」
「なんで俺」
「客観的な意見を求めたまでだが?」
当然のようにそう言ってくる先生に顔を近づけ声を潜める。
「……ってか何ですかこれ……勧誘って話でついて来たんですけど……」
「まずは彼女の牙城を崩さないと、話も何も始まらないだろう? 君という人間の言葉に耳を傾けてくれるかどうかはこれから次第だ」
「なんですかそれ……」
「さて飾。君にとっても他人からの見え方は重要だろう。正しさを誇示する君なら特に」
「……そうですね。凡百の男子生徒の観点から私の正当性を補強したいです」
凡百て……。口悪くない?
そこまで考えて、あーなるほどと天啓が下りる。
「不知火、しつ」
「馴れ馴れしいです。初対面ですよね? 私は、年齢が一つ上なだけで他人を先輩と仰ぐ行為に懐疑的なのですが」
ごめんなさい。
あまりの自分の威厳の無さに情けなくなりながら言い直す。
「不知火さん。質問です」
「はい」
「その突っかかってきた生徒はなんで君を目の敵にしたのかとか……」
「私はこの一カ月で五名の同級生に告白をされています。それが癇に障ったのでは? 同じ男子生徒の名を頻りに何度も出していたので、恐らくは懸想していた相手が私に気があるのが好かないのかと」
やはりそんな感じか。
正直くだらないし知ったこっちゃないのだが、先生は会話の主導権を俺に渡したまま一向に口をはさむ気配がない。
仕方ないので少し考えてみるか。
先生が言った不和を生むという発言。今朝の出来事の状況説明。
ここまで聞けば正当性は不知火にあるように感じる。
しかしながら違和感は残る。
それは、これが一方的な逆恨みじゃないのではないか、というものだ。
初対面から人を嫌う人間はあまり存在しない。彼女に突っかかっていく生徒たちも初めから彼女に対してそんな態度だった訳では無いだろう。
そしてその原因とは何かを、俺は先ほど身をもって体験してる。
それは、拒絶だ。
「不知火さん。今日声を掛けてきた生徒は初対面だった?」
「いえ。先日『友達になろう』と誘われ、断った相手でした」
はいもうこれじゃんか。
「ち、ちなみになんで?」
「友達になろうで簡単に友達になれるならぼっちなどと言う言葉は産まれません。友達とは本来、時間を掛けて構築する関係を指す言葉です。彼女たちのように誰かに価値を付けて、利用価値を見出したものを体よく呼称するための関係には興味がありませんので」
うわぁ……。
ちょっと引いた顔で先生を見れば、再び、こうよって顔で俺に肩を竦めて見せる。
ようは不知火飾という女の子は、捻くれに捻くれた捻くれ者なのだ。
「友達と言う言葉で牽制し合う光景はそこかしこで見受けられます。『友達だよね?』なんて呪文が飛び交う生活には嫌気がさしてたまりません」
「なんか、思春期の悪いとこを全部煮詰めたような子だな」
「うざいんですけど。知ったような口を利かないでください」
「あはは、打ち解けるの早いねぇ君たち」
ふざけたことを抜かしながらやっと口を開いた先生は、不知火を優しく見つめる。
「まぁ友達云々は置いておこう。これは個人の価値観に大きく左右される不安定なものだからね」
「……そうですね。友達の少なそうな先輩(笑)と話すことではなかったかもしれません」
先輩の時に鼻で笑ったよこの子。友達少ないけどっ、けど! いるし……いないわけじゃないし……。
「そういう不知火さんは少ないどころかいなそうですけどね」
「私は必要としていませんので。複数人でいることでしか自身の優位性を保つことが出来ない方々とは違いますので」
いらないのとできないのは違う、とばかりに不知火はドヤっと表情を変える。
この時ばかりは大人びた顔が幼く感じ、言い返す気力も生まれない。
不知火は作ろうと思えば友達なんていくらでも作れる。ただそれをしないだけ。
果たして本当にそうか?
「飾。君は優秀で、そして何より素直だ」
「お褒めに預かり光栄です」
「でも、素直さは時に毒にもなる。思春期なんて特にそうだ」
「はぁ……結局何が言いたいんですか?」
「うん……いや、だからね……響也、感想を」
ここで俺に投げんの!?
本当に言い辛そうに眉音を顰める先生は、一息に言ってやってくれとばかりに頷く。
はぁ。正直他人を悪し様に言うのは慣れていないし好きでもない。ただ彼女を見ていて感じたことを率直に言うのであれば――。
「……不知火」
「また呼び捨て……もういいです。で、何か言いたいことでも?」
自分が正しいことを疑わないその様子に申し訳なくなりながらも、ままよと告げる。
「不知火って――めちゃくちゃ顔がいいだけのコミュ障陰キャって感じする」
「——————はっ……ぁ?」
瞬間、時間が止まった。
当然錯覚だし俺は言っちまった後悔で指先が震えてる。
ただ不知火は間違いなく、スタンド攻撃でも受けたかのように止まっていた。
だがそれも一瞬。次の瞬間には動きを再開し、平然を装い始める。
「な、何を言うかと思えば……はぁ、くだらない。あなた、コミュ障の意味をご存じですか? 私は人と対する時どもることも緊張することもありません。先生ともあなたともこうして会話できているでしょう?」
「いや、コミュ障のイメージがステレオタイプ過ぎるわ。コミュ障は会話できない奴のことじゃなくてコミュニケーションを取れない奴のことを指すんだ。多分不知火のコミュニケーションは『キャッチボール』じゃなくて『壁当て』なんだと思う」
「……壁当て? 私が考えを押し付けてるだけだと?」
「さっき先生が言っただろ。友達の定義は個人の価値観によるものだって。でも不知火は友達になろうと言ってくれた子に対して断った後、話聞いたりしたか? 相手の子の友達の定義はそういう口約束から始まるものだったかも。そういう風に考えたことは?」
「…………ぃぇ」
声ちっさくなったなぁ。
「別に無理して友達になる必要があったとは俺も思わない。たぶん君とその子の価値観は相当違うと思うし。でも……突っかかられるほど拗れたってことはなんか余計なこと言ったんじゃないか?」
「余計なことなど……ただ、私が考える友情はあなたが考えるほど軽いものではない……と言っただけです。その生徒は廊下でよく騒ぐ男子生徒と仲が良かったので、騒ぐだけの仲間を募るなら他をあたって欲しい……と」
おぉう……。友達になりたい相手にそれ言われたらちょっと穏やかじゃないだろうに。
言わなくていいことを言わないようにする。これも立派なコミュ力だ。彼女にはそれが少し足りないような気がする。
正直一般論を強制するのも憚られるし、他人があれこれ言うことでもない。好きにしたらいいと思うんだけど……。問題になってる以上、先生も手を出さざるを得ないんだろう。
でもまぁ……不知火の考えがどうしてこんな風になったのかはわからないから何とも言えないけど、彼女の外見に釣られた人も過去には多かっただろう。
いろいろな感情に晒された人間がどうなるかなんて凡庸な俺には想像すらできない。
そう考えると、音無はよくもまぁあんなに可愛く育ったものだ。
だけどなぁ……別にこの子は人を嫌な気持ちにするために言葉を吐いているわけじゃないんだろう。
ただ思ったことを口にしてしまうだけ。
「素直過ぎるってのも大変だな」
「わかったような口を……ただ私は、自分に嘘を吐きたくないだけです。他人に流されるだけの人間になりたくない。自分らしくいたいだけです」
「そう、飾は素直だ。愚直と言ってもいい。言ったろ響也、彼女は君に似てるってさ」
そういうことね。
思ったことを口にできる人間は少ない。彼女レベルだとほとんどいないだろう。
音無が心を覗いたところで本音と建前に大きなギャップはないと考えていい。
不知火のことを性格が悪いと思う人間も多くいるだろう。まぁ俺も彼女の性格が良いとは思えないけど、良い性格をしてるとは思う。
長所と短所は見る角度と人によって変わるんだなぁ。
「飾。君にはコミュニケーション力を身につけてもらたいんだ。もちろん問題が起こらなくなる程度でいい。具体的に言えば、会話のたびに正論パンチでクラスの空気を凍らせることが無くなる程度だ」
「ぐっ……思ったことを伝えるのはコミュニケーションの第一歩だと……本に」
ぎゅっとスカートの裾を掴んで俯く姿は刺々しさから程遠い。
おいおい可愛いじゃねぇか……。なにコミュニケーションの本って、そんなん読んでんの? もしかして、コミュニケーションが下手な自覚あったのか……?
ほんの少し庇護欲なるものが沸き出でそうになった時、不知火はばっと顔を上げた。
「や、やはり納得できません。自分の考えを殺してまで他人に迎合する必要も感じられません。友達なんていなくても……っ」
途中で言葉を切った不知火。
そこで、待っていたかのように先生が口を開いた。
「なにも私は、クラスのみんなに合わせて仲良しこよししろと言いたいわけじゃない。ただ自分と違う相手を否定しないでいてくれればそれでいい。——そこでっ! 君がコミュニケーションを学ぶのにうってつけの場所があるんだ」
「……それは?」
「それが今日、ここにスッポンを連れてきたことに繋がるのさ」
「おい誰がスッポンだ」
やっとできたよこのツッコミ。
「飾。君は、この響也も所属する文芸部に入りたまえ」
「嫌ですけど」
「あっれ~この流れで?」
キメキメのセリフを鎧袖一触。取り付く島もないとはこのことだな。
若干ショックを受けている先生に、不知火は長いため息をつく。
「その先輩と二人で部活なんて無理です。性的に見られます。人畜無害そうな顔をしている獣性の権化に食い尽くされてしまいます」
「それは安心していい。顧問として私もいるし、二人きりと言うわけでもない。あと一人女子部員がいる」
「俺のフォローは?」
「ああ、彼にそんな度胸もないだろう。心配ない。最悪の場合は私が受け止めよう」
おいやったろうかこのエロ教師。
挑発的に流し目をくれやがる佐久間先生と睨み合っていると、不知火は一つ指を立てた。
「……条件が、あります」
「——ほう」
掛かった。先生の顔にはありありとその文字が浮かんでいた。
「なんでもいいです。私とこの人で勝負をしましょう。運動神経でも学力でも、最悪運でも構いません。私は、尊敬できない人間のために自分の信念を曲げることはしません。ですから、彼がほんの少しでも尊敬できる方だと言う証明が欲しいです」
「納得させてほしい、と」
「そもそも尊敬できない人と仲良くなりたい人もいないでしょう」
「それはまぁそうか」
一人で納得してしまう俺であった。
確かに、明らかに下に見ている人間と仲良くなる理由なんてない。あるとすればパシリや取り巻きなんていう不名誉な友達未満の関係だろう。
やはり彼女は、嘘や欺瞞を嫌う誠実な子なんだろう。ただそれが希釈されず、毒のように他人を傷つけることがあるだけだ。
段々と彼女の人柄と考え方が見えてきた。
「勝負……とは言っても、何をする? 公平を期すなら差はない方がいいし、長期間勝負し続けるのも面倒なんだけど……」
「では、こういうのはどうでしょうか。私の落とし物を探していただけませんか?」
「落とし物?」
俺ではなく先生が反応すると、不知火はこともなげに話始める。
「実は、今朝はあったはずの私のスマートフォンが紛失したんです。時刻確認に使った後、教室後ろのロッカーにしまっておいたのですが」
失くした……だけなのかなぁ。
どことなく闇を感じる告白に、流石の先生も渋面だ。
ロッカーにしまったなら当人が取り出すまでそこにあるはず。足が生えてどっかに走っていくこともあるまいに。
盗難か……はたまた嫌がらせか。
なんか後者の可能性が高い感じがするのは気のせいだろうか。
でも要するに宝探しをしようってことか。
涼しい顔の不知火は室内の壁掛け時計に目をやる。つられて見れば時刻は17時。完全下校まで残り50分だ。
「完全下校までに見つけられればあなたの勝ち。見つけられなければ私の勝ち。でどうでしょうか」
「……なるほど。どうだい響也?」
「スマホは絶対に学校に持ってきたんだよな? 前提が違えば勝負にはならない」
「見かけによらず疑り深いですね。ええ、はっきりと肯定します。私は確実にスマートフォンを学校に持ってきた後、紛失しています」
彼女の言葉に嘘はないはずだ。ここで強かに嘘を吐けるのなら孤立なんてしていないだろう。
まぁ、これは賭けだな。
もし単純に失くしただけなら運でどうにかなるかもしれない。
ただ仮に盗難だった場合、犯人が持ち帰ってる可能性もある。そうなら完全下校前に見つけるのは不可能だ。
だが確率はどうあれ、択で言えば二択。それでこの頑固そうで付け入る隙の少ない不知火を納得させられるなら分の良い賭けだろう。
「……先生。失敗したら他の策考えてくれます?」
「勝負の前に保身ですか? 意気地の無い人」
こんの煽りカスがよぉ……!
ふっ、と見下した顔すら綺麗なのだから質が悪い。
そんなやり取りに、先生はパンっと手を鳴らした。
「いいだろう。君に任せたよ響也。じゃあ、審判は私が努めようじゃないか!」
「ただ面白そうだから見たいだけでしょ」
「よく教師になれましたね」
「はいはい仲良く私に冷たい目を向けない! じゃ、始めよう。時間は有限だよ」
その言葉を合図に、スマホ探しゲームが始まった。
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