第7話 美しい獣
俺が佐久間先生に連れられてきたのは学年棟の一階。
学校によって逆のパターンもあるらしいが、ウチは一階に一年生、二階を挟んで三階に三年生の教室が並んでいる。
各階に配置されている職員室の隣には生徒指導室が存在し、遅刻欠席の常習犯、喧嘩上等のヤンさん方などなど問題児が度々その部屋に吸い込まれているところを見たことがある。
「私は1-Dの担任をしているんだけど、とびっきりの問題児が居てね」
そう前置く先生に嫌な予感は募るばかり。
もうわかっている。この人が本題の前にぺらぺらと喋る時は大抵難題が待ち構えているのだ。
文芸部の件然り、先程もそう。クッションを挟むことで衝撃を緩和しようとしているのかもしれないが、残念ながらこの人が用意するクッションは高反発。身を沈めたが最後、大気圏までぶっ飛ばされるのがオチだ。
ならばそのクッションには甘えない。全身全霊で受け身を取ってやろうとも。
「聞いたことが無いかな、
俺の方がほんの少し身長が高い関係で自然と行われる先生からの上目遣いにちょっと息が詰まりながらも記憶を掘り起こす。
だが生憎、脳内検索にそれらしいものはヒットしなかった。
「多分聞いたことないと思います」
「おや?」
「……なんすか」
心底意外だ、と先生の顔に書いてある。
まるで既知の名前を言ったのに知らないふりをされたとでも言いたそうな反応だ。
不知火
「他学年でもかなり有名な子だと思ってたんだけど……まぁさもありなん。興味が無ければ、生徒の多いこの学園で特定の個人を知ることは滅多にないからね。ましてや一年生ともなれば尚更だろう」
一人で納得する先生は俺を置いて頻りに頷く。
そうして、俺の心の準備のつもりなのかその問題児の委細を説明し始めた。
「不知火飾は……君たち二学年で言うところの聡里だね。君は知らないかもしれないけど、この一カ月その筋では話題が絶えなかったんだから。もう少し時間が経てば嫌でも耳に入ってくるだろうとも」
どの筋だよ。裏社会か何かですかここ。
もしかしてアレじゃないよね。ヤのつく自営業だの海外マフィ……の一人娘とかそんな感じ? 少年誌とかラノベで見たことあります。
背を伝う汗をそのままに表情だけで訴えれば、「あぁ違う違う」と先生はケタケタと笑った。
「そんなに怯えなくても、彼女の出自や環境に特筆すべきところは何もないよ。ただ――綺麗なんだ。容姿、成績、あらゆるセンスが抜群なだけ。それも、入学一カ月でそれが露呈するほどの圧倒的な才媛なのさ」
「……なるほど」
そんな美辞麗句は聞き飽きている。こちとら一年間音無と学年を共にしたのだから。
だがそこまで聞いて、やはり腑に落ちない。
「そんな完璧超人のどこが俺に似てるんですか。買い被りもいいとこですけど」
「そうだろうね。彼女や聡里は月で雲。君はスッポンで泥だ。いいとこ足下に及ぶ程度だろうね」
「言ってくれんじゃねぇか。あんた教師だよな?」
最近はスッポンも泥も美容面では結構役に立つんだからな……。
いらないプライドを誇示しようとする俺に「冗談だよ」と一言。次いで、俺の肩を優しく叩いた。
「うんうん。こういう暴言を流せる君はやっぱり適任だね」
「はいギルティ。完全に確信犯じゃねぇかよ」
「その確信犯は誤用だよ。現国の授業は真面目に受けたまえ」
飄々と躱す佐久間先生に頭痛を覚え始める頃、俺たちは生徒指導室の前に辿り着いていた。
「さて、では行こう」
「結局会うまで何にもわかんなかった……」
「まぁまぁ、百聞は一見に如かず。まさしくこれだよ。しかし付け加えると、聡里を孤高の人気者とするならば、彼女……飾は、気高い嫌われ者なんだよ。似て非なる者なんて表現もできるかな」
その形容に、俺は挟む言葉を持たない。
「聡里を可愛らしい愛玩動物とするならば、飾は美しい獣。彼女たちの境遇は似ていても、その実体は大きくかけ離れている。誰にも懐かなくても猫は可愛らしいけど、近づいても近づかなくても肉食獣は怖いものだ。同じネコ科でも認識には大きな差がある」
「人でも殺したんですかそいつ」
「まさか。実害は出ていないね、今のところ」
「あのなぁ……」
「まあ肉食獣だのなんだの言ってはいるが、適当ではないかも。見た目が可愛らしいのは変わらないから……そうだな。ヤマアラシってところかな」
ヤマアラシね。触れるもの皆傷つけるでおなじみのかなり危険な小動物である。
「ヤマアラシのジレンマってやつですか?」
身に纏った針は近くにいる同類までをも傷つけ、血だらけになりながら距離感を測る姿からできた言葉だ。
青春には持って来いと言うかなんと言うか、よくできた言葉だと思う。
でも先生は、ゆるく首を振った。
「そうであったなら万倍良かったよ。残念ながら、あの子はジレンマなんて感じてない。あるのは、そう。『ヤマアラシのプライド』って言うのがしっくりくる。身に纏う針に絶対の自信をもって、決して群れない一匹狼。おや、結局肉食獣に帰ってきてしまった」
そう言いながら、勢いよく生徒指導室の扉を開け放った。
夕暮れに染まるはずの一室はカーテンが閉め切られ、カーテンに滲む暖色がわずかな光源となって薄暗い室内を照らしていた。
そんな指導室の中にあって、強烈な異物感に目が吸い寄せられる。
無骨で最低限の備品しか置いていない指導室のパイプ椅子に座る彼女は、この部屋に似つかわしくない美を湛えていた。
肩口で切り揃えられた髪は微かな動きでもさらさらと流れ、切れ長の大きな瞳が侵入者である俺たちに向けられる。スカートから伸びるすらりと長く真っ白な脚でもって立ち上がった女生徒。
「待たせたね、飾」
「人を呼び出しておいて遅れるというのは如何なものでしょうか」
「固いこと言わないでよ」
音無のような美少女とは少し系統が違う。美人という形容がよく当てはまるだろう
それは彼女が浮かべる、幼さとはかけ離れたきりっとした表情のせいか。
先生に対しても怖じ気る様子の無い不知火は凛としたよく通る声で先生を突く。
音無とは似て非なる者。その意味が実感を伴って理解できた。
音無に対する俺のイメージは透き通った水みたいなものだ。
遠目でも近くでも綺麗で、こちらを包み込むような安心感がある。だが一度触れた時にこちらが汚れていれば、水はその汚れを浮かび上がらせ浮き彫りにする。
一方で不知火。彼女は研ぎ澄まされた鋭利な氷だ。
遠くで見る分には造形美なんてものが感じられるかもしれないが、空恐ろしいほどの殺傷能力を備えてもいる。近くで触れれば瞬間肌を裂かれ、怖気立つような冷たさに後退ってしまう。
無口で無表情の音無の方が優しく感じてしまう程、彼女の放つ空気は凍っていた。
「響也、座って」
「……いや、立ったままでいいです」
「そうかい? まぁ君が良いならいいけど」
言って、先生は自分用のパイプ椅子を広げてそこに腰かける。
ちらっと俺に視線を向けた不知火は、今気が付いたかのようにその双眸を細めて俺を値踏みするかのように睨みつけた。
「先生、こちらの月とスッポンで言えばスッポン側の男性は一体?」
あ、おっけーそういう感じね。
先生が俺に言った暴言が数秒ぶりに帰ってきた。
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