それから

第6話 文芸部始動条件

「きりーつ、れー」


 毎度のことながらやる気のない号令で一日の学業が終わる。

 時計を見れば16時ちょうどだ。そこから10分ほど時間を潰した後にリュックを背負い屋上へ向かえば、見計らっていたかのようなタイミングでスマホが震えた。


『開いてる』


 とだけ送られてきた。送り主は音無だ。


 屋上のドアノブを捻ると何の抵抗もなくノブが回ってドアが開いた。

 外へ出てドアに鍵をかけた後、四月下旬の生暖かい風を受けながら部活棟へと歩く。


「——————!!」


 校舎内や体育館、校庭から響く部活動中の生徒たちの声に目をやると、運動部による青春の一ページとでもいうべき汗と涙と努力の様子が学園のそこかしこで繰り広げられている。

 俺も部活に向かう途中なのだけど、熱意に関して彼らには及ぶべくもない。


 てんで人気のないプレハブ周りに一応の警戒をしながら、からりと横開きの扉を開いた。

 ここを掃除してから二週間ほど。ほこりだらけだったプレハブ内は小綺麗に変わり、芳香剤と古本が発する微かに甘い匂いで不快感もない。

 三人で行った掃除の甲斐あって、全く使われていなかったそこは生まれ変わったと言ってもいい様相だった。

 なんということでしょう、ってやつだ。まさに劇的な変容である。


「お疲れ」


 そう言ってプレハブに入り、ぴしゃりと扉を閉める。

 先客はいつも通り、汚れの影も見えなくなったソファーに腰かけ、文庫本を手に俺を見た。


「ん」


「なに読んでんの?」


「みすてり」


「誰? 東野圭吾?」


「えらりーくいーん」


「へー……有名?」


「ちょーゆうめい」


 言外に「おすすめ」と本の表紙を持ち上げる音無。ラノベ以外だとほとんど和書しか読まない俺にとっては聞き慣れない作者名だ。

 こんなことを言うと「こんなに有名な作家を知らないとか(笑)。本好き(笑)だね」的な含みを持たせるだるい人間も存在するが、音無はそんな雰囲気を微塵も出さない。


 こんな風に、言葉少なに会話するのはいつも通り。だが、日に日に音無の喋る頻度は増えている気がする。特に本に関する時は雄弁だ。

 まぁ、そうでなくても、彼女は案外表情に出るのだ。無口無表情ではあるものの無感情ではない。注意深く見ていれば口角やら眉、目線などで意思を汲み取ることもできる。


 例えば、俺が取り出したラノベを興味深そうに睨みつける音無に表紙を見せる。


「『とある』シリーズ。めっちゃ巻数多いんだよ。昔読んでたんだけど、忘れてるとこ多くて読み直してる」


「?」


「うん、面白いよ。読めば人気な理由もわかると思う」


「!」


「わかった。今度一巻持ってくる」


 やり取りの後、満足そうに頷く音無にそっと胸を撫で下ろす。

 簡単な会話ならこんな風に成立するし、本を読んでいる時は目を合わせながら心の中で伝えることが出来る。

 傍から見れば、まったくの無言で見つめ合うだけでやり取りが完成することもある。

 最初は美少女と一室に二人きりと言う状況に浮ついていたが、時間が経てばこんなものだろう。

 流石に見つめ合う時は邪念が混じったりもするけど、それはご愛嬌。


 パタン。音無が文庫本を閉じる音が耳に届く。


「あかし」


「ああ」


 いつもの合図に顔を上げ、音無と目を合わせる。

 昨日の空想の続きを頭に思い描けば、音無は瞬きも忘れて俺の目を食い入るように見つめる。

 先ほどの会話からもわかる通り、彼女はライトノベルに明るくない。異世界や異能力が跋扈するサブカルチャー的小説に対する見識は深くないのだ。

 だからこそ俺なんかの凡庸な空想に対してここまで興味を引かれるのだろう。

 あれだ。深夜アニメがいつの間に市民権を得て、子供たちまでもを巻き込むブームになることは昨今めずらしくない。オタクたちが見飽きた内容や展開であっても、そのカルチャーに触れたことが無い人たちにとってはショックを受けるほどのものであったりするあれ。

 あれが今、音無に起きているのだ。


 そりゃ刺激的だろうし、面白いだろうさ。


「あかし、しゅうちゅう」


「ごめんなさい」


 思考が逸れたことに対する注意を受けた後、1分ほど無言で見合う。

 そうして満足したのか、音無はわかりやすいほくほく顔で髪を撫でつけた。


「ありがと」


「いやこちらこそ」


 美少女の顔面を1分特等席で堪能できるのだ、役得である。アイドルの握手会に赴く方々はこんな気持ちなのだろうか。

 そんな俺の思考まで読み取ったのか、彼女は髪の先を弄りながら「んぅ」とかわいらしく唸った。猫の威嚇みたいだ。どちらにしろ可愛い。


「……あー」


 微妙に重い沈黙に重力が増したのかと錯覚した時。


 ガラガラッ!


「やってるねご両人! 青春結構! 節度は弁えなさいよ、先生との約束だ!」


 やけにテンションの高い佐久間先生がプレハブに乱入してきた。

 素早い動きで扉を閉めると、ソファーに座る音無の横に勢いよく腰を落ち着けた。

 すらりと長い脚を組む姿は美人教師なのだが……ちょっとうるさい。お節介な母親みたいな感じすらある。


「失礼だね、私はまだ27歳だよ」


「なんも言ってねえよ」


「おっと、最近敏感でさ。ごめんごめん」


 切実な悩みをさらっと流しながら、読書モードに入った音無に代わって用件を聞く。


「んで、何の用ですか先生?」


「ああ、少しね。というか君、学年棟から屋上に上がった?」


「ええ、そうですけど」


「だめだよ、屋上に上がったらちゃんと。そう言う約束でしょ」


「——あれ? 閉まって無かったですか?」


「開けようとしたらすでに開いてたよ。聡里と君、後から来た方がちゃんと鍵を閉める。徹底してね」


 携帯湯沸かし器の電源を入れながら聞けば、先生は答えながら勝手知ったる動きで棚に置いてある使い捨ての紙コップと紅茶のティーバッグを取り出す。

 でもおかしいな……ちゃんと鍵閉めた記憶はあるんだけど……。首を傾げながらも不注意の可能性を考え、謝罪しておく。

 

「や、すみません。……ってか、もてなされる準備すんのはどうなんですか……?」


「女性には優しくしておきたまえ響也。そうすれば将来モテモテだ」


「余計なお世話です。あと、それ止めてください……先生のファンたちから殺されるんで」


 文芸部の活動を始めてから一週間たった頃から俺を名前で呼び始めた先生は、授業中でも構わずそれを敢行する。


『じゃあ次は……響也、答えてみろ』


 ってな具合で。

 美人教師として人気の高い佐久間先生にはファンと言ってもいい生徒たちも存在する。それも男女問わず。

 詰め寄られるとかそう言う展開にはなっていないが、時々視線が痛い。

 音無のことがバレた時にはこんなもんじゃ済まないだろうけど、先生のことだけでも俺の手には余る。

 ってか普通に公私混同も甚だしいんだよな、この教職者。


 お湯を注ぎ中身が紅くなっていく紙コップを持ちながら、先生は一息つく。


「さて、本題に入ろう」


「おい生徒の声を無視すんな」


「えーいいじゃん」


「子供か」


 口を尖らせる先生。美人じゃなかったら許されない表情に毒気を抜かれ「……もういいです」と話の先促せば、彼女は凌ぎ切ったとばかりに口角を上げる。

 マジで先生じゃなかったら一発ぶん殴ってたかもしれない。 

 音無の肩をとんとんと叩いた先生は、俺たち二人に聞かせるように視線を滑らせる。


「まず、二週間の恙ない活動ありがとう。これは主に響也に向けての礼だ。聡里は信頼できる友と時間を共にし、未だそれは生徒たちにバレていない。姉としても教師としてもひとまず安心だ」


 慈しむ様に目を細める姿はまさしく聖母か何かのようにすら見える。美人とはかくもお得なものか。

 音無も頷きながら、ほんの小さく微笑みながら俺を見る。


「それはまぁ……バイトが無い日はほとんど暇ですし。そもそもバイトも不定期だし、家に帰っても夜まで誰もいないしで……俺にとってもいい暇つぶしなんで」


「そうか。それは重畳」


 優し気な表情に騙されそうになり、一旦頭を振って冷静を装う。

 この二週間でこの先生については少しづつわかってきている。俺を文芸部に入れたように、結構行き当たりばったりな人なのだ。

 今回も、俺に対する感謝の後に本当の要件を話すつもりなのだろう。


「さて、そんな響也にとっても聡里にとっても大事なこの文芸部に……ちょ~っと問題があってだね……」


 ほら。


「部活動って、なんだね! たははっ、知らんかった!」


「っ、はぁ!?」


 予想以上の確認ミスに思わず声を上げてしまう。

 音無の秘密を守りながら仲を深めると言う名目の部活だと言うのに、もう一人が必要不可欠であると、この女は宣ったのだ。

 肩をびくっと震わせた音無にごめんと念じながら、反感の矛先を先生に向ける。


「ちょ、どうすんですか! 二週間で廃部の危機とか……」


「ごめん許して! 部活の顧問とかやって無かったから知らなかったんだよぉ。助けて響エも~ん!」


「っざけんな、俺のポケットから出てくんのは二百円が精々だわ」


「うは~、世知辛い世の中だね~」


「おっけ、音無目ぇつぶってろ」


 腕を振り上げた俺を見て「ひえ~」とふざけた声を上げながら音無に抱き着く先生。

 音無は俺を見ながら同情するような目を向ける。


「きもちはわかる。でも、おちついて」


「……いやまぁ俺も本気で怒ってるわけじゃないよ。先生が居なかったらこの形にすらなってないわけだし」


 気恥ずかしくなりながらもそう言う俺に、音無は嬉しそうに身体を揺らす。目じりの下がり方もいつもより大きいところを見ると、今彼女は相当な笑顔(当社比)を浮かべている。

 そんな彼女は自分に抱き着いている先生に目を合わせてやんわりと告げた。


「あかねちゃん、あせってないね?」


 そう言った後、音無は俺に視線を寄越す。これでわかるだろうという信頼が見える。

 まぁ、大体わかったけどさ。


「つまり先生にはなにか策があるってことか?」


「ん」


 やはり、音無が言いたかったことはこれか。

 

「……響也すごいね。聡里の言いたいことってそんな簡単にわかるもの?」


「ええ、まぁ?」


「彼女の両親は君に弟子入りした方が良いかもね。もちろん私も」


 音無を腕から解放した先生は立ち上がって出入り口の側に立つ。


「三人目の生徒に求められる条件はあまりに高い。それは聡里と君の関係を口外しない人物であることだ」


「籍を置いてもらうだけじゃダメなんですか?」


「私も試したんだけど、部員の詳細を隠し続ける部活に入りたがるもの好きはいなかったね」


 そりゃそうか。俺も御免だしな、そんな部活。怖いし怪しいし。


「この学園は兼部禁止であることから、口外しないかつ部活に入っていない生徒。そして聡里がふいに心を覗いてしまってもギャップがほとんどなさそうな人物が必要条件だ。ちょっと一筋縄ではいかないよね。ってかほとんど無理だよ。無理難題だよ。だから、そんな生徒は見つけられなかったよ――一人しかね」

 

 指を一本立てて、ウィンクを一つ。

 めちゃくちゃムカつくし、ほとんどマッチポンプみたいなピンチを救ったところで……みたいところはあるが、その仕草が絵になるほどの美貌の前にうやむやになる。

 先生はがらりとプレハブを開け、俺を手招く。


「悪いが今日の部活動は終了だ。聡里は目立つから一緒に行動できない……ごめんね」


 ふるふると首を振る音無に申し訳ない顔を浮かべるのも束の間、先生は俺に向き直った。


「一年生を一人、生徒指導室に呼んでいる。ちょっと問題児なんだけど……は君によく似ているんだ、響也」


「俺……ですか」


「会えばわかる。文芸部の始動条件は――彼女の勧誘を成功させることになるね」



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