第5話 拠点確保とはじまり
音無と響也が独特な方法で連絡先を交換した翌日。
何の変哲もない一日が終わり、担任の適当な号令で放課後へと突入する。
予定の入っていない放課後をどう過ごすかと思案しながら、響也は習慣でスマホを開く。
するとちょうど、メールアプリの通知が届いた。
相手は音無だ。
『暇?』
その通知に、響也はとっさに画面を庇う。
まだ人の多い教室では帰宅前、部活前の生徒たちが残って名残惜しそうに駄弁っている。
そんな中で、もしメールアプリ内の『音無聡里』の文字に気付かれた日には、響也の身に何が起こるか定かではない。
大袈裟に感じるかもしれないが、これは去年、彼女とクラスを共にした響也だからこその自己防衛の結果だ。
せめて人目につかない所に……と立ち上がった響也に、梓が級友との会話を止めて振り返った。
「あっ、きょーくん帰るの?」
「ああ、少し用事があって」
「そか、また明日ね~!」
手を上げて返せば、梓は再び友達との会話に戻った。
「やっぱ、あずって明石くんと仲良いよね」
「でもなんかピンとこなくね? 梓と泉くんと明石が仲良いのって」
「んなことねーっての。きょーくんと仲良くもないのにピンとこないとか言うなっ」
「いひひっ、ごめんごめん」
そんな会話に少し申し訳なくなる。
万人がそうではないが、学園生活において付き合う人間というのは個人のステータスとして見られることが多い。
人気者とつるめば陽キャ。一人でいるのが好きな人間を陰キャとレッテル貼りする人間は一定数いる。それがすべてのようにふるまう人間も少なくない。
だがそんな声を気にせずに付き合いを続けてくれる太一と梓には、響也も頭が上がらない。
(学園でも有数の美男美女の間に俺が入ってれば、そう言われても仕方ないだろうけどさ)
そう割り切っていたとしても、二人からの気遣いは嬉しく感じてしまう。響也は気づかれないように口元を一瞬手で覆った。
そそくさと教室を出て階段の踊り場へ出た響也は、慣れた手つきで文字を打ち込む。
『暇』
それだけ返すのも素っ気なく感じ、続けて適当に送信する。
『空想見る?』
普通に生きていて恐らく打ち込むことが無いだろう言葉に響也自身おかしくなりながら返信を待つこと数秒。
『見る』
『でも、来て欲しい場所がある』
『そこで話そ』
即答とまさかのお誘いに、響也はいたたまれなくなり周りをちらりと警戒するように見回す。
『どこ?』
『学年棟の屋上。来て』
その文字を見た響也は来た廊下を引き返し、中央階段に向かう。
響也が通う学園——『
そしてその全棟共通で、屋上への階段は中央階段のみ。
すべての棟の屋上は繋がっており、例えば学年棟から屋上を渡って特別棟に行くこともできる造りになっている。だが普段屋上は一般開放されていないので、避難訓練や非常事態でしかその恩恵を受けることは無い。
昇降口に降りたり部活棟に流れる生徒たちを尻目に、響也は中央階段を上がる。
すれ違う三年生たちの視線を耐えながら屋上への階段を上がれば、当然人気は無くなる。
「あ」
響也は目に入った姿に声を上げた。
人が少ない故に反響する声が相手方に届くと、屋上の扉の前に立つ二人の人影が響也を振り返った。
一人は音無。響也を見つけると小さく手を振った。
そして二人目の女性。響也が声を上げたのは、音無がいたことよりもその人物を見たことによるもの。
彼女は響也を見ると意外そうに目を丸くし、ぽつりと溢す。
「……君は」
「佐久間先生……?」
訝し気にその名を呼んだ響也。
音無の隣にいたのは、この祓上学園の理科教師。
「たしか2-Cの明石……だよね。聡里、この子が言ってた子?」
「ん」
微かな返事と共に首肯する音無を見て、佐久間は「ほう」と息を吐く。
音無を名前で呼んだ佐久間の距離の近さを訝しむ響也に目を向け、佐久間はまじまじと彼を見つめる。
「まさかとは思っていたけど……やはり男子とは……いや、性別はこの際どうでもいいか」
双眸を細めていた佐久間はそう呟くと、いつも通りの気安い教師の顔に戻る。
「お互い自己紹介もいらないね。付いてきてくれ、明石」
「あ、はい……?」
戸惑う響也を他所に、佐久間は屋上の鍵を開け吹き込む風を受けながら屋上へ出る。その後に続く音無を追って響也が屋上に出ると、佐久間はすぐに扉を閉めて鍵をかけた。
「ささ、歩くよ」
そう言って部活棟の方へと歩き始める佐久間。
不思議に思った響也が音無に目を向けると、彼女は彼の困惑に応えるように、
「だいじょうぶ」
と一言。
未だ慣れない音無の声にどぎまぎしながらも、響也はそれを信じて佐久間の後を追う。
無駄に広い屋上を歩き部活棟の屋上に渡ると、佐久間は一つのプレハブ小屋を指差した。
「明石。これが何かわかる?」
「小屋……物置ですか?」
その通り、と頷く佐久間はポケットから鍵を取り出した。それは屋上の鍵とは別のもの。
「わざわざ部活棟の屋上に行く生徒もいないから、この物置を気に留める子もいないよね」
チャラチャラと音が鳴る鍵を使って物置が開かれると、ほこりっぽい空気が吐き出された。
学校の屋上にあるものとしては大きいサイズの物置の中は、ともすれば手狭なワンルームにも見える。
置いてあるのはいくつかの段ボールとほこりを被った資料と、物置に似つかわしくないソファー。そしてそのソファーに合うように調節された机が一台。
そして何よりも目を惹くのは、ボロボロの星座早見盤と望遠鏡。壁に掛けられた『祓上学園天文部』の垂れ幕。
「天文部……この学校に天文部なんてありましたっけ? ってか屋上にプレハブって……」
「あったんだよ。昔は。まあ当時からこの小屋は問題になりかけたりしてたね。消防法とか建築法とか、結構すれすれだし」
懐かしそうに呟いた佐久間は響也と音無を振り返る。
彼女は腰に手を当てて物置を指し、意気揚々とこう告げた。
「二人にはこの物置の掃除を手伝ってもらう!」
一年この学園に通った響也でもちょっと見たことが無いドヤ顔で佐久間が言うと、「ぱちぱちぱち」と音無の控えめな拍手が空気に溶ける。
置いて行かれているのは響也一人だ。
「あの……先生、これは?」
「ん? 聡里と君が仲を深めるには級友たちの目につかない場所が必要だろう? それがここさ。掃除を終えたあかつきには、ここを君たちの活動場所として提供しようじゃないか!」
「ちょ、ちょっと待った! いろいろ話が飛躍してんですけど……!」
慌てて言葉を挟む響也に「なんだい?」と至極真っ当なことを言ったような顔の佐久間。
そんな彼女に響也は退かずに言い募る。
「いやその、仲を深めるとか、活動場所とか……ちょっと意味が分からないって言うか……」
「あー、そのあたりの説明も面倒なんだけど……端的に言うと――聡里の秘密を知りながらも彼女を避けず、彼女からも信頼されている君にぜひとも聡里と仲良くしてほしいっていう姉心と、理事長からのお達しでこの古臭いプレハブ小屋の清掃をしなければいけないという面倒な教師の責務を両立した素晴らしい作戦なのさ」
当たり前のように言い切った佐久間に唖然とする響也は、詳しい説明を求めた。
そうして聞くことが出来た詳細はこうだ。
音無聡里と佐久間茜教員は親戚であり、幼いころから年の離れた姉妹のような関係だった。
そんな妹のような存在から『仲良くなりたい人がいる』と相談された彼女は、こう思った。
『ぜってー男じゃねえか』。
仲良くなりたいなら勝手に仲良くなればいい。
だが佐久間はそれが公になるのはまずいと考えた。理由は、音無聡里の注目度だ。
学園の高嶺の花である音無が一男子と仲を深めるのは相当な難易度である。
どうしたって噂になるし、相手である幸運な男子にどんな不利益があるかも予想し辛い。
音無からすれば、今までいなかった男友達との仲の深め方を相談しただけなのだが、佐久間はその行為を重く受け止めた。
そうして、ちょうど理事長から清掃の命が出ていたプレハブの存在を思い出したのだ。
そして何より、音無の秘密。
「君はひょんなことから聡里の秘密を知ったそうだね」
「……秘密って、“これ”ですか」
言いながら目を示す響也に、佐久間は間違いないと頷いた。
「幼いころから病とも言えるその症状に悩まされてきた聡里が、私以外にその秘密を打ち明けるとは思ってもなかった。でも、実際に君はそれを知った。それでもなおこの子の手を取った君は信頼に値する人物に間違いない。この子の信頼とは、それ程得難いものなんだよ。君もわかるだろう?」
心を読める人間に信頼される。
相手が音無でなくとも生半可な人格では不可能だろう。
響也が得た音無の信頼。それは異世界に憧れるあまりに現実を取り繕うことを怠っていた響也だからこその、呆れるほどの素直さが招いた幸運だった。
「ってわけだよ。プレハブについて白状するなら、一人で掃除するのが面倒だったってのもある」
「きょ、教師がそんな贔屓みたいなことしてもいいんですか……?」
「あー、聞こえない聞こえない」
「あのねぇ……」
「……まぁ教師としても、聡里がどこにいても他の生徒たちに注目され続ける現状はあまりよろしくないと思っていた。学校はプライベートスペースではないけど、プライバシーってものは尊重されるべきだろう。そう思わない?」
教師モードとでも言うのか。佐久間は声音を低くして響也に訴える。
そう言われれば、響也はいつも噂と観衆の中心にいる音無を簡単に思い浮かべることが出来た。
そんな噂を楽しむ側だった自分を責めるようにくしゃっと髪をかき上げると、響也はプレハブの中を興味深そうに覗き込む音無に目を向ける。
「……掃除して……どうするんですか?」
「君に、聡里をサポートしてあげて欲しい。そのための名目は、一応ある。ウチには文芸部が無いからこの小屋を部室にして新設しようと思う。校風も部活動に寛容だし、文芸部なら部費もいらない。申請用紙も……ほら」
佐久間が四つ折りの用紙を開き、それを響也に見せる。
書かれていたのは『文芸部』の文字と担当顧問に佐久間の名前。部長の欄にはきれいな字で音無聡里と記入されていた。
「もちろんこれは強制ではないし、断るのも自由だ。君がノーと言っても、このプレハブは聡里が使えるようにはしてある。聡里が図書室で自習している時、他の生徒に声を掛けられ続ける様子は理事長も目にしたことがあったから、話は早かったよ」
強制ではない。その言葉が逆に響也を悩ませる。
いっそ強制であったなら腹を括れたのだが……。
自分でいいのか、分不相応ではない、など。凡そ彼を惑わせる思考は枚挙に暇がない。
だが、ちらりと視線を送った先。気合十分な様子で腕を捲る音無が、
「あかし……そうじ、がんばろ」
ふんす。と鼻を鳴らし、ほこりの影響で「くしゅっ」と小さなくしゃみを一つ。
その様子に力を抜いて肩を落とす響也に、佐久間は声を潜める。
「あんなにテンションが高い聡里は滅多に見れないんだよ。ほんとに信頼されてるんだね。掛け値なしに、君は心が綺麗なんだろう」
「そんなことないですよ。嘘もつきますし、エロいことも考える一般高校生です」
「うんうん。それを言えちゃうから、君はあの子に好かれてるんだろうね。あ、もちろん友達って意味でだけど」
「わかってますよ」
意地悪く付け足した佐久間の言葉を軽く流しながら、響也は空を仰いだ。
乗り掛かった舟。そんなことを言うつもりはなかった。
ただただ、自分の好奇心と音無という女の子の魅力、浮き沈みの少なかった日常を彩ろうと動き出した環境にどうしようもなく心が浮つく。
異世界の空想で溢れていた脳には、現実のこれからに対するほんのわずかな楽しみが入り込んでいた。
「——先生。箒とちりとり。延長コードと掃除機。布巾とバケツと消臭スプレー。紐テープとゴミ袋。あと、マスクと……あれば重曹を用意してください。ソファーきったないんで。もとはと言えば先生が頼まれたんですから、用意ぐらいはしてもらいますよ」
「え、え?」
「部活棟の扉開けてください。早くしないと日が暮れますよ」
「あ、ああ! この時間なら用務員はまだいるはずだ。倉庫の鍵もある。待っててくれ!」
善は急げとばかりに指示を出す響也に面を喰らいながら奔走する佐久間を見送り、音無は口元に弧を描いた。
これからの日々への期待と、姉同然の存在の慌てる様子、なによりいつもより楽しそうな響也を見ながら。
「さぁやるぞ、音無さん」
「さん、いらない」
「い、いやでも」
「いらない」
「あの」
「いらない」
「……頑張ろう、音無」
「んふ。がんばろーね、あかし」
こうして、『俺と音無』の関係が構築され――——……距離感がバグり始めた。
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ここまでプロローグ。
こっから一人称になります。
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