第4話 連絡手段

 四限目が恙なく終了し、時間は昼休みに突入した。

 生徒たちは午前の学業を凌ぎ切った解放感に羽を伸ばし、学食や購買へと駆けていく。

 走る生徒を注意する教師の怒号を聞き流しながら荷物を背負った響也は、同じく準備を整えた梓に背中を叩かれた。


「おーし、行こーぜきょーくん!」


「ああ、あいつも待ってるし」


 そう言って指差す先には、何人かの女子生徒の声を掛けられて対応している泉太一の姿がある。

 きちんと整髪され清潔感のある出で立ちに端正な顔立ち。そりゃモテるだろと言わざるを得ない物腰も相まって、多くの生徒の往来がある廊下であっても存在感が一際だ。


「泉くん学食?」


「購買ならなんか奢ってよ~」


「ごめんね、いつも昼は屋上なんだ」


「え~、あっ、じゃあ連れてってよ!」


 三人組の陽キャ女子たちに詰められながらほんの少し困り顔の太一はたたたっと駆け寄ってくる梓の姿を認めると、女子たちに向かって「ごめんね!」と強く断りを入れた。

 その様子に、女子たちは残念そうに肩を落として名残惜しそうに手を振っていた。


「……たーくん」


「ごめんね。断り辛くてさ……」


「流石、モテる男は優しいね」


「からかうなよ響也」


 ジト目の梓に申し訳なさそうに両手を合わせる太一。それに響也が軽口を叩きながらも自然と合う歩幅で歩きだす三人。

 道すがら、太一が各階に設置されている職員室に入り、一番近くにいる地学担当教師に声を掛ける。


「2-Bの泉です。屋上の鍵を貸してもらえますか?」


「ああ、昼休み終わったら鍵かけて、ちゃんと返してくれ」


「ありがとうございます」


 恒例のやり取りを経て手渡された鍵を持って屋上へ向かう。

 屋上は基本的に一般開放されていない。しかし例外が存在する。それは前回定期テスト上位十名の生徒に対する『昼休みと放課後限定での鍵の貸し出し』だ。

 高いフェンスが設置された屋上であっても教師の目が届き辛い高所であることは変わらず危険性が懸念されてはいるのだが、成績上位者の自己責任能力に対する信頼から生まれた特別処置だ。

 それに、三人以内であれば上位者が監督者となって友達を連れていくこともできる。

 太一はいつも十位以内をキープしており、響也と梓はその恩恵に預かっているのだ。

 

「いつもありがとね、たーくん!」


「気にしないで。俺も梓も、学食とかだといろんな奴に絡まれるしさ。それだと響也に悪いし」


「そっちこそ気にしないでもいいんだけど?」


「三人で話してんのにだる絡みしてくる奴がうざいんだよ。言わせないでくれ」


「あははっ、たーくんはきょーくんの前だと本音言えるもんね~」


 嬉しそうに二人の背中を叩く梓に押されながら屋上へと出る。

 晴天も晴天な青空と涼しい風に身体を伸ばし、設置された大きいベンチに三人で腰かける。

 三人の他に生徒の姿はない。これもいつも通りの光景だ。

 屋上使用の権利があるのは、全学年合わせて三十人。だがその権利を使う生徒はほとんどいないのだ。

 鍵は全部で三本の早い者勝ちで、必ず昼休みの始まりと終わりに職員室に向かわなければならない。これらの工程は限られた時間を謳歌するにはあまりにも煩わしい。

 学食と購買が人気なこの学園において、わざわざ屋上を使う人間は少ないと言うわけだ。


「ねねきょーくん! 前に教えてもらった卵焼き作ってきた! たーくんもどーぞ!」


 そう言って小さな卵焼きを二つに分け、梓は二人に振る舞う。

 二人が礼を言いながらそれを口に運ぶと、ふわっとした口触りと優しい甘さが舌に乗った。


「うん、美味しい。よくできてるね」


「ありがとうございます師匠!」


「梓も料理うまくなったよね。響也のおかげで」


「おかげって言う程のことしてないけどな。ただアドバイスしただけだし。上手くなったのは梓のモチベーションが高かったからでしょ」


 太一の胃袋を掴むため。そう言って梓から料理を教えて欲しいと響也が頼まれてからもうすぐ一年。

 もともと家事全般を得意としていた響也としても断る理由もなく、こうして師匠と仰がれている……というわけだ。

 春先の暖かさの中で弁当に舌鼓を打ちながら梓と太一が話し続けて、黙々と食べている響也がたまに茶々を入れる。

 いつも通りの会話の中で、梓が「あ、そーいえば」と一際大きく発した。


「たーくんさ、今日の姫なんかおかしくなかった?」


「姫? ああ、音無さん?」


 そんな会話に、響也は箸を止めた。

 しかしそれも一瞬で、気付かれないように弁当を口に運ぶ。ただ、先程より少しだけ二人の会話に耳を傾けながら。


「そそ。今日朝挨拶したんだけどさ~、珍しくスマホ持ってて! 同じクラスのたーくんならなんか気づいたかなって!」


「あー、なるほどね」


 合点がいったように頷く太一。なにやら思い当たることがあるのだろう。

 

「それで言うなら、今日はかなり変だったかな……」


「ほうほう!」


「音無さんっていつも休み時間は本を読んでるイメージなんだけど……今日はずっとスマホを見てたね」


「うっそまじ!? やっぱなんかあったのかな……?」


「うん。みんなそんな感じで話してたね。男子たちはそれにかこつけて連絡先を教えてもらおうとしてたけど」


「あはは、流石姫!」


 笑い飛ばす梓の声を聞きながら、響也は弁当を閉じた。

 ずっとスマホを見ていた。そんな一言で、また朝の考えが頭に過る。


 (連絡先……いやまさか)


 もし違ったら一生引き摺るほどの恥ずかしい勘違いである。正直想像しただけで心臓が痛い。

 だが、


『——……あかし、ともだちになって。あかしのおはなし……もっとみせて』


 友達になったのだから。


 (この際、勘違いでも良いか)


 ただ単純に、友達との連絡手段を得るだけだ。

 腹を括った響也はスマホを取り出し、自身の電話番号を眺めながら脳裏に印象付ける。


 そうして食事と雑談に興じること数十分。

 ——キーンコーン。

 昼休み終了五分前を告げるチャイムに顔を上げ、スマホを閉じた。


「ありゃ、きょーくんまでスマホですかな?」


「響也も響也で珍しいね」


「ん、ああちょっと」


 顔を見合わせる二人を尻目に響也はそそくさと屋上を出る準備を終える。


「ほら、昼休み終わるぞ」


「そうだね」


「うわっ、てか五限の宿題やって無いんだけどっ! きょー」


「見せない」


「う~……たーくん、きょーくんがいじめる……」


「それは梓が悪いでしょ」


 じゃれあいもそこそこに屋上を出れば、生徒たちが忙しなく自分の教室に戻り始めている。

 エネルギーの充填と睡魔の解消を終えた生徒たちによる喧騒も大きくなっている廊下を行き、2-Bに辿り着く。


「じゃあ、また放課後ね」


「うん、あとでね~」


「寝んなよ太一」


「それ、俺のセリフね」


 言って教室に戻って行く太一を見送りながら、響也は教室の中に視線を滑らせる。

 そこには、数名の生徒に話しかけられている音無がスマホを握りしめて――響也を見ていた。


 たった一瞬。目が合った瞬間、さっき見ていたスマホの画面を思い浮かべる。


「……っ」


 肩を跳ねさせた音無は、すっと目を逸らす。


 (……これ、どっちの反応だ……?)


 驚いたのか、気持ち悪がられたのか。

 後者であった可能性を考え、一瞬その場で頭を抱えそうになる響也を梓が引っ張った。


「なにしてんのきょーくん! 教室戻るよ!」


「あ、ああ……」


 腕を引かれて教室に戻り、席に腰を落ち着ける。

 五限は現国か……と考えながら教科書を引っ張り出している途中。


 ブブッ。と通知のバイブレーションがブレザーポケットを揺らす。


「ん?」


 スマホを開くと、それはメールアプリの通知だった。

 その文言は『知り合いかも』というもの。

 訝し気にそれをタップすると、見慣れたアプリの画面に飛ばされる。


 そして――、


 『音無聡里』。

 その名前に、息を詰まらせた。

 恐る恐るチャットを開けば、質素なアイコンの音無からのチャットが縦に並んでいた。


『音無』

『よろしく』


 飾り気のない言葉に、思わず口角が上がった。

 恐らくアプリで電話番号からの友達検索で辿り着いたんだろう。彼女の超能力の実証は、もう疑いようがない。


『明石です』

『急に電話番号教えて悪かった』

『これからよろしく』


 そう送ってスマホを閉じようとすると、チャットに『既読』が付いた。

 

『連絡先、知りたかった』

『気づいてくれて、嬉しい。よくわかったね』


 普通に喋るよりも雄弁な音無に微笑ましくなりながら、特に何も考えず返す。


『俺も知りたかったから。だからそうかもって』


 送信して、既読が付く。

 そうして――


(なんかこれ、恥ずかしくね……!?)


 『連絡先、俺も知りたかったから』。


 なんか、なんかである。

 言葉にできないもやもやした感覚が胸中を駆けずり回り、響也は顔を覆う。


(別に変じゃないけど、なんか……なんかッ!)


 そうして悶えること少し。


(既読ついてんのに返事来ねー……っ!)


 それがますます響也の羞恥を煽っていく。

 頭を机に打ち付けたい衝動に負けそうになっていると、スマホが再度震える。

 音無の返信は……。


『なんか……恥ずかしい』


(ですよねぇえ! ごめんなさいッ!)


『悪い! 気持ち悪かった!』


『そうじゃない。なんか……熱いかも』


 このままじゃ変な感じになる。

 そう思い弁明を送信しようとした時。


「おい明石! いつまでスマホ出してんだ! 授業始めるぞ!」


「あっ、すみません……」


 現国教師からの注意に慌ててスマホをポケットに入れる。


 (ちゃんと、距離感考えないと……)


 浮かれるな。彼女ではない、ただの友達だ。勘違いするな。

 響也は自戒を重ねながら、五限目の号令で思考を切り替えた。


 

 響也がそうしている時。2-Bでは、スマホを持ちながら俯いて身体を震わせる音無が、「お、音無……授業始めるからスマホは……」と珍しすぎる姿に困惑している教師に注意される光景が広がっていた。





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