第3話 二人の挨拶

「おっはよー、きょーくん!」


「ああ、おはよう」


 音無とある種の契約のような何かを交わした翌日。

 教室に入った瞬間、女子の快活な挨拶が響也に向けられた。

 挨拶の主は日比野ひびのあずさという女子生徒だ。

 梓は挨拶を返しながら自分の席に着いた響也に続いて、彼の後ろの席、まだ主が登校していない無人の椅子に勢いよく座った。

 棒付き飴を咥えながら笑って八重歯を覗かせ、「にひっ」という表現が丁度いい悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 着崩した制服に普通より少し短いスカート。綺麗に金に染まったセミロングから、彼女を表す言葉はギャルが適当だろう。

 梓は端正な顔立ちと誰とでも仲良くできるコミュ力も相まって、所謂陽キャ男子たちからの人気が高い。まぁもちろん陰陽問わず人気はあるのだが。

 あまり目立つ方ではない響也に話しかける様は、まさしく『オタクに優しいギャル』そのままだ。


「きょーくんなんか機嫌いいね、どったの?」


「そう見えるか?」


「挨拶返ってくるの珍しくね? いつもは手ぇ上げるだけじゃんか」


「あー……」


 昨日の出来事が関係しているのだろうか。

 響也は少し口ごもって誤魔化す。


「……珍しいことがあってさ。それでなんか変なのかも」


「ふーん、まいっか」


 話す気がないことを今の少しのやり取りで理解したのか、梓はそれ以上の追及をしない。

 この距離感も、響也が彼女と仲が良い要因だ。


 響也と梓は去年同じクラスであり、今年も同じクラスで縁は切れていない。

 普通に過ごしていれば接点のできそうにない二人は、ある人物をきっかけに知り合うことになったのだ。

 その人物を合わせて三人組で過ごしていたことから、関係は友達の友達に止まらず、こうして二人でも気まずくなることはない。


「ってかさてかさ! 聞いてよ!」


「なにを」


 鞄から必要な物を取り出しながら「また始まった」と心の中で愚痴る。

 「聞いて欲しい!」という思いが全面に出ている梓に適当に返すと、彼女は机に身を乗り出した。


「今日ねっ、たーくんに放課後一緒に駅行こ!って言ったら、『いいね。じゃあ響也も誘おう』って! ひどくない!? 女の子が勇気出してデート誘ってんのにさぁ!」


 たーくん。もとい、いずみ太一たいち。去年まで同じクラスだった響也の友達……親友と言ってもいいほどの仲の男子生徒の名前だ。

 学年一の美少女が音無だとすれば、学年一のイケメンが太一。それほど容姿の整った生徒だ。


 明石と泉。この学校の出席番号が五十音で決まる関係で、高校に入学してから互いに初めて話した相手だったことから付き合いが始まった。

 話のテンポやら話題やら、様々な面で馬が合うことから仲が深まり、去年は学校でのほとんど時間を共にしたのだ。

 そして、太一と梓がかなりの幼少期からの幼馴染であることから、響也と太一に梓が混じる形が基本となった。

 クラスが別になった今でも、昼休みは三人でいることがほとんどだ。


 ……のだが。

 こんな風に、いつの間にか梓の一番の相談相手になっていた。

 梓は幼いころから太一に恋心を抱き続けているらしく、そのことを響也が気づいた時から隠すのではなく、響也がその思いの捌け口兼相談相手になったのだ。


「二人でって言えばいいんじゃないの?」


「そんなんほぼ告白じゃんか!」


 いいじゃねえかよ。と言ってしまえればいいのだが……本人にとっては小さい頃から抱え続けた切実な想い故に慎重になるのもわかる。

 しかし、響也にはもう一つ別の視点が加わっていて、彼女らのやり取りにはいつもやきもきしているのだ。


 それは、


(太一のやつ……ヘタレたな)


 太一の方から梓に向いた想いを知っていることだ。

 そう、何を隠そう、この二人は小さい頃から想い合っている。所謂両片思い的なアレなのである。


(さっさとくっつけよバカどもが)


 からかい混じりに響也の口が悪くなるのは、こんなやり取りを一年前から続けていることに起因する。

 「いい加減にしろ」とか、「お前ら両方とも相手のこと好きだよ笑」的なことを言ってしまえれば楽なのだが、それは過干渉に過ぎるし、響也からすれば越権行為でしかない。

 ただ知っているだけの響也は、美男美女がそうとは知らずに想い合いっていちゃついているのを見守りながら茶々を入れることしかできないのだ。


 肩を落とした梓は棒付き飴を噛みながら、伺うように上目遣いをする。


「……きょーくん、今日はバイトないでしょ? 一緒に駅で遊ぼー」


「暇だけど……断ってもいいよ。二人で行ってくれば?」


「それは違うじゃんか! 二人でいたいからってきょーくんをのけ者とかありえないし! だったら……また勇気出して誘うし」


「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて」


「うん! たーくんにも言っとく!」


 そう言って梓はスマホを取り出し慣れた手つきで画面を操作する。長めの爪が画面を叩く音を聞きながら、響也はふと考える。


(そういや、音無さんと友達……? になったのはいいけど、具体的にどうすんの?)


 何もしないでこれまでと同じように過ごすだけでいいなら、彼女から接触してくる意味はない。 

 だとすれば、音無の行動は現状からの脱却を試みたものだったはず。

 梓が今しているように、メールアプリの連絡先を知っていたなら目立たずに話をできるはずだ。


(連絡先交換すればよかった……か?)


 おこがましくもそう考えながら頭を悩ませる響也の耳に、ざわめきが入り込む。


「ん?」


「あっ、姫だ」


 そう声を上げ席を立った梓。

 響也たちのクラスの前の廊下を横切る音無に駆け寄り、教室の出入り口に手を掛けながら響也にしたような快活な挨拶を一つ。


「おっはよー姫!」


「……ん」


 微かな返事。

 廊下にいた生徒は声も上げずに、ただ「良いものを聞いた」とばかりに顔を綻ばせた。


「……日比野がいると音無の声聞けるのありがてぇよな」


 響也の横の席で駄弁っていた三人の男子がそう話し始める。

 そう、梓は音無と仲が良いか数少ない生徒の一人。その理由は分け隔てないコミュ力と裏表の無い性格だ。

 声を掛けても返事は無言。目を合わせることすら困難な音無が、梓相手だと顔を上げほんの少し声……というか息を発する。

 周りはそれをありがたがって、響也のクラス周りの生徒は男女問わず声を潜めるのだ。大した団結力である。


「じゃあねー姫」


「ん」


 束の間の団欒が終わると、音無に手を振った梓が踵を返し席に戻ってくる。

 その、肩越し。


(……あ)


 誰にも気づかれないほんの一瞬。

 ちらっ……と、響也と音無の目が合った。

 昨日までは偶然だと思っていたそれに気付くと、


(……おはよう)


 そう思い浮かべる。

 響也自身何やってるんだと思いながら、昨日打ち明けられた秘密の再確認の意味も兼てのこと。

 すると、


「っ」


 音無はぎゅっ、とブレザーの裾を掴みながら恥ずかしそうに短く「コクコクっ」と二回頷いた。

 小さなその行動に気付いた生徒はいない。ただ二人の間で交わされる秘密の挨拶だ。

 そうして通り過ぎていく音無から、響也も視線を外す。


「ごめんねきょーくん! 姫がいるとどうしても身体が吸い寄せられてさ~」


「気にすんな。相変わらず仲良いな」


「当然っしょ、かわいいしっ! もちろん顔だけじゃなくて中身もかわいいんだよぉ」


 うへへ、と可愛い動物を思い出しているような顔で惚気る梓。


「それを知ってるのも仲良い特権! 羨ましいっしょ~?」


「羨むことすらできない特権ですよ。流石梓さん」 


 はは~、とおちゃらければ梓は笑って返す。

 そんな梓を見ながら、響也は昨日の司書室での仕草などのことを思い出す。


(まぁ、好きな男子が多い理由はわかるな)


 得心したように心の中で頷く。

 そんな響也の内心を知る由もなく、「でも」と梓は首を傾げる。


「珍しいんだよね~……姫がスマホを手に持っててさ。もちろん前から持ってたけど、学校で出すことなんてほとんどなかったのに……」


「スマホ?」


「そそ。いつも本読んでるし、なんかあったんかな?」


「……さぁ」


 もしかして、響也が音無の連絡先を知らない不便さに思い当たったのと同じように、音無も自分と同じ悩みに辿り着いたのかも。

 そんな妄想のような考えが過り、響也は頭を振る。


(浮かれすぎだろ。勘違い野郎が……)


 たまたまだ。そうに違いない。

 そう思いながらも、その考えはずっと響也の頭に残り続けた。



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