第2話 目が合うと心が読めるらしい

 呆けていたのも束の間、はっと我を取り戻した響也は佇む音無に伺うような視線を向ける。


「司書室に何か用……ですか?」


 同級生で元クラスメイトにも関わらず敬語になってしまうのはほぼ初対面と変わらない関係値と彼女の圧倒的な存在感のためか。

 そんな響也にも表情を変えない彼女は――ふるふる、と首を横に振るだけ。

 さらさらと流れる絹のような髪に意識を奪われながらも「えっと……」と会話を続けようと言葉を溢す。


(参ったな……)


 彼女が音無姫たる所以をひしひしと感じながらどうにか頭から言葉を捻出する。


「……図書室は隣ですけど」


「ん」


 首肯が返ってくる。


 (ふむ、知ってるのね)

 

 どうやら誤解の類ではないようだ。響也はまた口ごもる。

 沈黙。

 涼しいどころか寒々しい風に身を震わせながらも、自分の目から視線を外さない音無にいたたまれなさを感じ、響也は司書室の中を指した。


「とりあえず、入りますか?」


「ん」


 首肯。

 そしてぺこりと頭を下げて室内に入る彼女の背をただ見送る。

 音無はあまり広くない司書室の中でも比較的日の当たる場所に座り、立ったままの響也に首を傾げた。

 その目は確実に響也の双眸を捉えており、本当によく目が合うな、と気まずくなるほどだ。

 首を傾げたままの音無に目を合わせながら、訝しむ。


(図書室に用でもないし……司書室に用でもない。ここにいるのは俺だけだし……俺に用ってことあるか……?)


 まるで接点のなかった自分に用があるものかと考えた瞬間。


 ——首肯。

 音無姫は満足げに頷いたのだ。


「……ん?」


 響也は彼女の首肯の意味が分からなかった。

 それはそうだろう。今、二人は何もない司書室で見つめ合っていただけ。なにやら親密そうな誤解を生みそうな状況だが間違いではない。

 だと言うのに、彼女は意を得たりとばかりにもう一度頷く。


(わっかんねぇ……)


 響也は理解を諦めた。

 だが、会話……というかやり取りをする意思があるようだと認めると、長机を挟んだ彼女の対面の椅子を引き、腰を落ち着けた。

 夕暮れの日差しが右頬を突き刺す。


「音無さん……なにかに用があるんだよね?」


「ん」


 首肯。


「司書室に?」


「……ん」


 ふるふる……艶のある髪を揺らす。


「……図書室?」


「……ん」


 ふるふる。

 やはり、彼女は首を縦に振らない。


「司書室」


 ふるふる。


「図書室」


 ……ふるふる。

 あ、可愛い。まるでイヤイヤ期の子供のように無言で首を振り続ける仕草に、響也は笑いそうになる口元を抑えた。


「司書——」


 ぺたんっ!

 もう一度繰り返そうとした時、音無姫が抗議した。平手で机を叩き、ずいぶんとかわいらしい音で響也の言葉を遮った。

 その表情は依然として平坦だが、なにやら口元が曲がっている様にも見える。


「ご、ごめん……もしかして、俺に用……とか?」


「うん」


 ——首肯。

 強く、首を縦に振った。


 さて、どうしたものか……。響也の脳内は軽くパニックだ。

 だが、


(会話のコツ……っていうかやり方がわかってきたぞ)


 糸口は掴めた。


「落とし物?」


「……ん」


 ふるふる。

 首を振っている最中も響也の目から視線を外そうとしない音無に、響也はどこか居心地が悪くなりながら音無との唯一の関りを思い浮かべる。

 

「……関係ないけど、よく目……合う、よね?」


 傍から聞けばとんだ勘違い野郎の出来上がりである。

 響也は自分でしておいて恥ずかしすぎる質問に顔に血が集まるのを自覚する。

 だが、自分と彼女の接点などこれ以外ない。


(これで知らないって言われたら軽率に死ねちゃうぞ……)


 そんな胸中とは裏腹に。


「……!」


 音無は勢いよく、二回首肯した。

 ビンゴ。響也は膝を打った。

 さて次はどんな質問を……とクイズのように楽しみ始めた彼を見る音無姫の目が夕暮れを反射して茜色に輝く。星々が煌めく様に、海が光を弾く様に。


「——てつくずのていこく」


「……は?」


 喋るのかよ。そんなツッコミは口から出なかった。音無が口にした言葉に、響也は思わず聞き返す。

 驚愕に心臓が跳ね、背に汗が伝う。聞き間違いだと願いながら、次の声を待つ。


「しんかいのはか。にじのだいばくふ。あおのへいげん。けもののくに」


 つらつらと綺麗な声で紡ぎ続けるそれらの言葉を聞いて理解できる人間はいないだろう。

 そう、明石響也を除いて。


(待て……待て待て待ってくれ!)


 どこかで発表したこともない。友人どころか家族にも話していない空想。文字に起こすでもなく、形に残したわけでもないそれを。


(何で知ってんだよっ!?)


 跳ね上がった鼓動はどんどんと速さを増していき、驚愕は恐怖に変わっていく。

 今彼女が羅列した単語は、明石響也がいつか書こうと溜めてきたファンタジー小説のネタ。主人公たちが目指すべき目的地の名称だ。

 浮かんでは泡になって消える数々のアイデアの中でも特にしっくり来て、今も残り続けている設定たち。


「……音無さん……ど、どうしたんだ?」


 シラを切ることしかできない響也を見つめ、彼女は口を引き結ぶ。

 そうして、意を決したように息を吸った。


「……こころ、よめる」


「——え?」


「め、あうと」


 言葉少なに伝えようとする彼女の声は不思議な響きを持って耳に届く。


(心、読める……目、合うと。目が合うと、心が読めるってか? ……嘘だろ?)


 あまりに荒唐無稽な彼女のカミングアウト。

 そんなことを鵜呑みに出来るはずもない――のに。


「——うそじゃ、ないよ」


「……まじ、かよ」


 声に出していない、質問ですらない言葉に、彼女はハッキリとそう返した。

 引力に吸われるように逸らすことが出来ない薄い虹彩の瞳は、美しく、空恐ろしい。

 

 ずっと、目が合い続けてきた。

 去年のいつ頃かも覚えていない頃から、ずっと。

 

 ——目が合うたびに、心を覗かれていたのか?

 鳥肌が全身を駆けた。肌が粟立つって言うのはこういうことなんだろうと、どこか冷静な響也の頭は理解した。

 

「……きょねんはいっしょだったから」


「去年はクラスが一緒だったから、よく覗いていた?」


「っ! ん、ん」


 驚く様に、どこか嬉しそうに、音無聡里は何度も頷く。


「でも、いまちがう」


「クラスが離れたから」


「たまにしか」


「目が合わないと」


 会話のキャッチボールもとい即興会話のリレーに、音無は目を見開き輝かせた。

 まるで外国人との会話が成立したような反応に「こっちが驚きたいわ」と響也は頭を抱える。

 彼女との意思疎通に慣れてきたことに喜べばいいのか、はたまた――いや。


「あかしのかんがえるじょうけい、ものがたり、とうじょうじんぶつ。みりょくてき」


 言い募る。


「しらないせかい。ばしょ。みてきた」


 去年も今も変わらず、響也の脳内に広がる空想は変わっていない。

 そして彼女は、それを見ていたのだ。目があった時、響也と彼女は同じ情景を共有していたのだ。


 ——あぁ。これで喜べたなら、どれだけ楽だっただろう。


「ごめん音無さん。……めっちゃ怖い」


「——————」


 熱に浮かされていた音無は、言葉を止めた。

 響也は目を逸らさず、ありのままの恐怖を口にする。

 目が合うだけで心を覗かれ、秘密を暴かれる。接点がなかった高嶺の美少女に、自身の空想を吟味されていた。

 羞恥とも言えるその感情に恐ろしさが混ざり、響也はたまらずそれを吐露する。

 彼女に悪気はないのだろう。言い触らすわけでもなく、悪用すらしようのない一男子の空想。そんなものは何の役にも立たない。

 だが、急にもたらされた心が読めるなどと言う非現実的な能力とその実証。処理をするには時間が掛かった。


「あっ、ご、ごめん音無さん! でもっ……! ……音無……さん?」


 数十秒の葛藤の末に吐き出した響也の言葉は自分が思っていた以上にはっきりと口に出され、直後に謝罪を告げる。

 そんな響也に反応するでもなく、音無は目を真ん丸にして固まっていた。





(おんなじだ)


 音無はふわふわと知らない感覚に襲われる。


「音無さん、荷物持とうか?」

『優しくしておけば、ワンチャンあるかも』


「音無さんかわいいね!」

『生まれてから苦労してないんだろうな~』


「ホントに好きなんだ。付き合ってくれない?」

『顔可愛いしスタイルもいいとか……はやくヤリてー』


「手伝えることあったら何でも言ってね!」

『何考えてるかわかんないけど、仲良くしとけば得ありそうだし』


 別に、それらを否定するわけではない。

 本音と建前は人間の常だし、それを覗いている方がおかしいことなんてわかっている。

 当然そんな人たちばかりでもない。だが案外、人の心など知らない方が精神衛生上は大変よろしいのだ。

 音無聡里は望んだわけでもない能力に振り回され、それでも折り合いをつけて生きてきた。


 だが、今。


「ごめん音無さん。……めっちゃ怖い」

『全部見られてた!? 恥ずぅぅぅううあああぁぁああっ! いやてかこっわ! 音無さんには悪いけど怖ぇよ普通に! なにその能力!?』


「あっ、ご、ごめん音無さん! でもっ……!」

『いや怖いは言い過ぎか!? もうちょっとオブラートに包んだ方がよかったか……でも、俺の物語が魅力的……か。怖いけど――めっちゃ嬉しいな』


 本音と建前が同じなのだ。

 怖がられるのは覚悟していた。それはそうだろう。一年前からあなたの考えてること覗いてましたと言われて嬉しいだろうか。

 学園に数えきれないほど存在する音無に好意を抱いている男子たちならいざ知らず、話したこともない響也であれば怖がられるのが道理だろう。


 だが彼は、素直に「怖い」と口にした。

 怖いと思いながら、それでも言葉だけでも取り繕うことはできたはずだ。

 だと言うのに、真正面から、目を合わせてそう言うのだ。


 一年前から知っていた。彼がこうであることを。

 だからずっと目を合わせていられた。たまに空想の間に流れてくる「綺麗だなぁ」とか「可愛いな」とか、そんな自分に対する言葉もくすぐったくて。勇気を振り絞って秘密を吐き出して、こうしてまた関りを持とうとして。

 恋愛だとか、そんなものではない。話したこともほとんどないのだから。


 だからこそ、


(ただ、あかしのいせかいのけしきとかものがたりが、すき)


 惹きつけられ、彼を知りたいと思ったのだろう。


「……音無さん?」


 心配そうな彼から流れ込んでくる感情は心配と焦燥。

 返事をしない音無に、彼はまた目を合わせる。

 もう、彼女の力を知っているはずなのに。


「怖いのは本当なんだけどさ……でも、ありがとう。俺の空想っていうか物語? を褒めてくれて……」


 彼の本心と寸分違わない感想に、音無聡里は再び意を決する。

 今日は、これを言いに来たのだ。


「——……あかし、ともだちになって。あかしのおはなし……もっとみせて」


 言い切って、瞳を閉じる。

 返事を待つ時間がやけに長く、鼓動はいつにも増して早く跳ねる。

 見ることが出来れば不安もないだろう。ただこれは彼女のポリシーのようなものだ。


 大事な瞬間は、何も見たくない。


 響也が息を吸う音に身体を跳ねさせ、それでも目は開かない。


「えーと……その、友達になるのはまったく問題ないし、まぁ心を読むって言うのも非現実を求める俺にとっては忌避するものでもないと言うか……いやでも俺も男子高校生なわけじゃん? 多感じゃん? だからたまに空想に混じると思うんだわいろいろ! 意識すればするほど変な感じになるあれとかどうすればいいんだよ……音無さん絶対不快になるだろうし……」


 目を閉じたまま、ふるふると首を振る。


「……けど、音無さんよく本読んでるから、話しが合うかもしれない……俺で良ければ……ぜひ」


 おずおずと頷いた響也に音無は目を開け、一房に結った髪先を恥ずかしそうに弄った。


「……うん、よろしく」


 

 かくして、学園の花と一般空想家の秘密の共有が始まった。



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