無口な音無さんとなぜかよく目が合う話
Sty
はじまり
第1話 音無さんとよく目が合う
「まただ……」
移動教室の途中、ざわざわと生徒たちの声が反響する広い廊下。歩きながらふと覗いた教室で、待っていたかのように――目が合った。
いつも通り多くの生徒に囲まれながらも、その生徒たちの隙間から見える双眸。
明らかに神様が本気を出して作ったと思われる美貌。窓から差し込む光で艶やかな光沢が塗られた長いぬばたまの黒髪。それを一つに結って肩越しに前に流している。姿勢良く本を読んでいる途中で顔を上げたことがわかる態勢で、廊下を通り過ぎていく響也の目を一瞬だけ覗き込むように。
ぱちり。長いまつげに飾られた瞼をしばたたかせ――彼女は何事もなかったかのように目を逸らす。表情を変えず、平然と。
これもいつも通り。目が合うのはいつも一瞬だ。
最初は偶然が重なっているだけだと思っていた。
彼女と不思議と目が合うようになったきっかけなんてものもないはずだ。ただ、気付いたら一日に一度は必ず目が合うようになっていた。
現在高校二年生を謳歌している響也は去年、彗星のようにこの学園に現れ、尽きることのない話題の的になった音無聡里と同じクラスだった。
話したことはもちろんなく、関わることすらあったか怪しいほどの接点。
なのに、無視することのできない存在感に目を奪われた時、必ずと言っていいほど目が合うのだ。
去年のこの学園の中心は、間違いなく彼女だっただろう。
それは響也にとっても例外ではなく、その美貌と巻き起こる出来事に興味を示して眺めることも多かった。
音無聡里の周りには必ずと言っていいほど人が集まり、好意が集まり、仄暗いあれそれの感情も集まっていた。
傍目に見るくらいが丁度いいそれらは絶え間なく渦巻き、この学園を風靡した。
そして一年経って彼女がいることが日常になった今でも、彼女の話題が尽きることが無い。
通称『
聞くだけで小っ恥ずかしいその名前は、しかし彼女を表すにはこれ以上ないほどに合致していた。
苗字である音無が由来なのはもちろんだが、その他にも確固たる理由があるのだ。
それは、声を聞いた人がほとんどいないこと。
返事は首肯か首を横に振るかの二択。声を出させようとちょっかいを掛けようとするバカたちを華麗に躱し続けながら、よほど親しい者でなければ会話もままならないほどの大人しい性格と美貌から、音無姫。
「よく言ったもんだよ」
初めはおふざけや皮肉で呼ばれていた名前は、今や彼女を指す代名詞だ。それは姫なんて呼称に名前負けしない美貌あってのことだろう。
一人ごちる響也は足を速める。そしてまた――空想を始めるのだ。
それは誰かのピンチを自分が救うようなものでも、テロリストに占拠された学園を自分が救うようなものでもない。
遠いどこかの世界。異世界と呼ばれるそれを、頭に思い浮かべ、思考を沈殿させていく。
子供のころスマホでなんとなく見つけたネット小説にハマってから、彼の日常は異世界の空想に溢れていた。
いつしかそれを形にするべく脳裏に溜めているアイデアはもう自分でも処理しきれないほどに折り重なっている。文字に書き出してみようと思ったことも多々あるが、未だ重い腰を上げることが出来ず自分の中だけの空想にとどまっていた。
「…………」
そうして脳を空想で埋めながら自分の教室に戻る響也は、自分の背中を追い続ける視線には気づかなかった。
放課後。
四月の涼しい風と茜色の日差しが生徒の少なくなった教室に注がれる。
部活にバイト、級友たちとの会話に勤しむ生徒たちを尻目に、響也は脱いでいた紺色のブレザーを着直して私物を詰め込んだリュックサックを背負い図書室に向かう。
手持無沙汰でスマホを開けば、メールアプリの新規通知が一件。
『先輩お疲れ様です。本日急用のため、図書委員のお仕事は先輩にお願いしますね』
簡潔に書かれた気の置けない後輩からの連絡に『了解』と二文字で返す。
いつも二人組で行われる図書委員の仕事——とは言っても本の貸し出しの受付やらの退屈な雑務だけなのだが――は一人で行うことになりそうだ。
廊下を行きかう生徒を避けながら、図書室までの退屈しのぎに入ってから挨拶しかしていない『2ーC男子』のグループの画面を開く。
『今日、一年の男子が姫に告白したらしい!』
『うわまたか……』
『玉砕乙』
『いやまだわからない』
『玉砕だったらしい!』
『ざまぁあぁぁああああwwwww』
『去年も春頃はこんな感じだったな笑』
『最後までこんなんだったろ』
『↑ここまで全員敗北者』
『↓ここからも全員敗北者』
『取り消せよっ……!』
『姫に断られた奴らが同類貶してんのみじめぇ……』
『挑戦する勇気もない奴らがなんか言ってらww』
『いいなぁ一年は、青いねぇw』
『夢見れるの羨ましいな』
彼らのやり取りにくすりと響也の口角が上がる。
なにも男子たちは本気で貶し合っている訳ではない。ただ代り映えの無い日常に安心して、テンションが上がっているだけだ。自分たちの憧れの姫様が未だ誰にも手の届かない高嶺にいることに安堵しているだけ。
諦めたふりをしながら、誰もが彼女を見上げている。
相変わらずモテモテな音無聡里を思い浮かべ、響也は首をひねる。
(まじでなんかしたのかな……俺)
目が合うのはやっぱり偶然なのか、意図的なのか。謎は深まるばかり。
何かあったとしても彼女から話しかけてくることは天地がひっくり返ってもありえないし、響也が話しかけに行けばクラスどころか学園中にそのことが広まるだろう。ちょうど今日、彼女に手を伸ばした一年男子くんのように話の種になること請け合いだ。そんなのは御免だった。
委員会の日直に渡される鍵を使い、図書室に隣接している司書室に入り再び鍵をかけて荷物を置く。
時刻は16時を過ぎた頃。完全下校時刻である17時50分まで二時間近くある。響也は受付席で暇を潰すためにカバーに包まれた本を取り出した。楽しみにしていたライトノベルの新刊だ。
図書室の受付カウンターの中に繋がっているドアのノブに手を掛けた――その時。
コンコンッ。
司書室のドアがノックされた。
「あれ?」
響也は首を傾げた。
自習スペースとして使われることが大半な図書室だが、たまに本を借りていく生徒も多少いる。その時受付に図書委員がいない場合は、図書室から司書室にノックをすることもある。
だが今ノックされたのは廊下に繋がるドアからだ。
(珍しいな……忘れ物か……先生か?)
なにはともあれ無視をすることもできず、なんとなしに鍵を開けドアを開ける。
「はい――――い゛っ?」
そうして開いたドアの向こうに立った生徒の姿に、響也は思わず声を漏らした。
廊下の窓から吹いた風が彼女の濡羽色の髪を揺らし、甘い香りを目の前に立つ響也に届ける。
いつも不思議と見ることになっていた色素の薄い虹彩が、今はいつもより数段近くで煌いていた。
「音無……さん?」
綺麗だ。可愛い。
作り物めいた美しさは近くで見るとより鮮烈で、否応なしに響也の脳裏にそれらの感想を刻み付ける。
彼女の表情は依然として不動のまま、自分より頭一つ分ほど高い響也を見上げて――口を開いた。
「——……あかし、ひさしぶり」
「————————」
――天地がひっくり返った。
俺の名前知ってるんだとか、距離近いなとか……響也の考えは散漫として纏まらない。いや、そんな思考のすべてがどうでもよくなっていく。
彼女が喋る。それは響也にとってそれほどの衝撃。
学園に入ってから一年経って初めて聞いた彼女の声。鈴を転がすよう――なんてありきたりで陳腐な表現は、しかし彼女の声を表すのに最適だ。
喋り慣れていないのか、少し舌足らずで幼くも高く澄んだ声が響也の耳に届いた時。
(声かっわいいなぁ……)
そんな風に思考停止するしかなかった。
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