第37話 大丈夫


 ――おい、大丈夫か。


 うん――大丈夫? 大丈夫?


 私は、望み通り、明日を閉じてしまったんだろうか?


 まだまだ見ていたかった汐斗くんの顔はもう、一生見えないんだろうか。


 最後に、私は世界を変えてくれた君に「ありがとう」も言えなかった――いや、言わせてくれなかったんだろうか。


 私はそう思いながら、この世界を見渡すために、目を開いた。


 ――私の瞳には、汐斗くんの顔が映った。


 ……


 ……


 ……


「……あっ、よかった、心葉。本当に」


 ここはどうやら、まだ私がさっきまでいた世界? 現実世界?


 私は地面に横たわっているようだ。


 でも、私……。


「救急車とかは呼んだから。でも、ごめん、僕のせいでこんなことに……謝りきれない」


 そうか、私はまだなんとかこの世界にいることができたんだ。ここはまだあっちの世界ではないんだ。


「……いや、今はそんなことは。でも、痛い、痛い」


 やはり、トラックに轢かれたからか、色々なところが痛む。全身が。どのような状況で怪我してるのかも私にはよく分からない。声を出すのもやっとなぐらいに痛い。


 ここの世界はまだ汐斗くんのいる世界だ。でも、私はもうすぐ、本当に、明日を閉じてしまうんじゃないだろうか。そうとまで思えてくる。この状況をうまくつかめない。今まで感じたことのないぐらい言葉に表せない傷み。


「やばいな、これはもしかしたら、少し厳しいかもだぞ! 救急車はまだ来ないのか!?」


「いや、まだ呼んだばかりだから、もう数分はかかるかと……」


 周りの人たちの声だろうか。怒鳴り声も混ざっているし、他にも様々な声が飛び交っていた。私は、今、そんなにも厳しい状態なんだろうか。でも、私の近くには赤いものが見える。


 誰か名前もわからない大人が、私の応急処置をしてくれているみたいだ。皆、懸命にこの世界でたった一人の私を助けようとしてくれているのだ。こんな、私を助けようと……。私と関わりなんかない名前すらも知らない赤の他人を助けようと……。助けたところで意味があるのかも分からないのに。


 でも、さっき一瞬だけ、あの世界が見えてしまった気がする。


「いや、心葉、大丈夫だから泣くなよ」


 優しい汐斗くんがまた、私の顔を見てくる。自分は、泣いているのだろうか、そんなの分からなかった。自覚なんてない。


 ただ、私はもうもたないかもしれないことは、自分でも十分に分かっていた。体がそんなことを教えてくれている。


 こういう現実――終わり方もあるんだな。


「あのさ、汐斗くん。少し話したい。もしかしたら、明日を閉じてしまうかもしれないから」


「……いいぞ。ちゃんと聞く。でも、明日を閉じるなんて言うなよ! 変わった今の心葉にそんな言葉似合わないよ!」


 分かってるけど、ここで弱音を吐かないことなんて、私にはできない。そんなに汐斗くんの思っているほど私は強くないんだ。自分で明日を閉じようとしていたんだもん。本当は、今の私にこの言葉、似合わないこと、そんなことぐらい知ってるよ。だって、汐斗くんが似合わない言葉にしてくれたんだから。


「汐斗くんは、本当に私にとって大切な……私の世界を変えてくれた人でした。それに、いつも優しくて、誰かのことを考えられて、いいところがいつまでも言える人……そんな人、たぶんこの世界で汐斗くんぐらいしかいません。本当にありがとう。私、さっきまではこれが望んでいたことなんだからいいじゃんとか、本当はもうこの世界にいないはずだったからいいんじゃないかとまで思ってた。でも、やっぱりそんなことはなかった。私の望みは、汐斗くんに書き換えられてしまった。だから、私は――」


 本当に書き換えられるなんて、思ってもなかった。あの日のままの私だと思ってた。でも、汐斗くんは違った。


 汐斗くんの変えてくれた世界が、私にとって今、一番の宝物なんだ。だから――


「――私は、自分の世界、閉じたくないよ。まだまだ、汐斗くんとこの世界を歩んでいきたいよ。明日も、その次も汐斗くんの顔を見ていたいよ。見せてよ……」


 私は、自分の力でどんな状態になってるかも分からないけれど、汐斗くんに抱きついた。前と感触は全然違った。ちゃんと抱きしめられない。でも、抱きしめているのは私を創ってくれた汐斗くんだった……それだけは間違いなかった。


「最初は自分の世界を閉じたいと思ってた。でも、大切な人と会ったことで、明日を創りたくなった。こんな自分勝手な人を、神様、どうか許してください、許して……、許して……」


 こんな人、多分神様は怒って、私の本当の望みは叶えてくれない。叶えてくれっこないって分かってる。でも、私はまだ生きていたい。こんな素敵な人と出会えたのだから。この世界で出会わせてくれたのだから。


「大丈夫だよ、心葉の心も神様はきっと見てるはずだから」


「怖い、怖いよ。もっともっと君といたいよ。まだ、遊園地だって行ってないじゃん」


「分かってる。分かってるよ。でも、心葉もう喋らない方が……それ以上喋ると、もしかしたら、だめになっちゃうかもしれない。この世界から追い出されちゃうかもしれない」


 私の呼吸がさっきよりも苦しい。荒くなっている。泣いているからと、大きな怪我をしているから。さっきよりも悪化している。少し前までの望みに近づいてしまってる。私は、もう、汐斗くんに喋ることも難しくなっている。声はもう厳しい……。声で想いを伝えることは難しい。でも、まだ伝えられる方法はある――文字で。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る