第33話 私のこと

 それからも書かれていることを見ていったけれど、あるところで私のページをめくる手が止まった。


『今日は少し不思議な人に出会った。教室に戻ろうとした時、いつもみたいに体調が悪くなっていたのか飲み物を自販機で買い、飲みながら歩いていた頃、急に一瞬だけだったけど、くらっときてしまった。そして、その飲み物を廊下に(かなりの量を)こぼしてしまったんだ。そんな時、トイレを終えて出てきた感じの女の子が何も言うことなく、そのこぼれたところを教室にある雑巾を持ってきて僕よりも早く拭き始めたんだ。そして、いつの間にかまるで時間を戻したかのようになっていた。そんな女の子にお礼を言い、ちょうど持っていたポッキーをお礼がてらに渡そうとしたのだけど、「忙しくて食べる時間がないので、お気持ちだけで結構です」とよく分からないことを言い残して、教室に戻っていったのだ。その女の子のいる教室を覗くと確かに、その女の子は机にいくつもの教材を出し、勉強をしていた。本当に不思議な人だ。でも、そんな不思議な人に僕は何かを感じてしまった。優しさ……? それ以外にも何かがある気がする。もしかしたら、何か今度関わることになるんじゃないかな(それは願望かもな)』


 この少し不思議な人って、私なんじゃないだろうか。この、私。


 確かに、そんな出来事もあったかもしれない。1年のときは違うクラスなので、汐斗くんの名前は知らなかったけれど、確かにこの時見た人と汐斗くんは似ている気もする。あの時の君と。私がトイレに行って勉強を再開させようとした時、何かふらついた感じの人が、廊下に飲み物をこぼしてしまったところを見た。廊下には人がいなかったから、私は無意識に動いた体を頼りに汐斗くんの日記に書いてあるようなことをした気がしなくもない。そんな些細なことで、汐斗くんは何か感じてしまった。そして、今、この日記の通り、関わることになっている。


 私も少し不思議な気持ちになってしまった。私のことも書いてあるなら、自分が未来を閉じようとしてしまった日のことも書いてあるんじゃないか。そう思ってあの日のことが書かれてないかを探した。どこかに落とした手紙を探すように。もう少し、前の方にきっと、汐斗くんなら文字という形で綴っているはず。


 ――あった。あの日のことが書かれている部分が。


 何を汐斗くんは綴ったんだろう。私には直接言わなかった、日記という逃げ場――本音だけで構成されている場所には怒りがあるんだろうか、諦めがあるんだろうか、痛いということが書いてあるんだろうか。それを私は知りたいと思った。汐斗くんの本当の心を。


『今日はあるクラスメートと僕の大きな出来事を書きたい。その前に、昨日は眠すぎて書けなかったので、僕の体調の近況報告。昨日病院に行き、いつも通り検査したところ、少し細菌の数が増えていたみたい。もし、このまま増えたら僕は一体どうなるのか? それはたぶん、言わなくても分かると思うけど、明日を見ることができなくなる。もちろん、まだこのまま増えていくと決まったわけではない。だから、僕はもしものために、後悔しない生き方をしなきゃいけない。

 

 そして次に、冒頭にも書いた、あるクラスメートと僕の大きな出来事を書きたい。一応名前は伏せることにするけど、Cさんは学校の屋上で明日を閉じようとしていた。そんなところを僕は止めた。そしたら、素直に従ってくれた。そして僕はCさんにある約束をした。1ヶ月だけは待ってほしいと。そしたら君の自由にしていいと。普通ならこんな約束しないだろう。それも、たった1ヶ月という。1ヶ月で人の心を変えることができるのか、もしくはその人が変われるのかなんて分からない。でも、この約束は守ってくれる。それだけはCさんの心を見て、自然と分かってしまう。それと、これについても書いておきたい。僕が病気のことを伝えると、もしかしたら少し僕を見る目が変わるのかな、色々しつこく質問されるのかなとか思ったけれど、そんなことはなく、自分のしたことについて謝ってくれた。いい意味で裏切られたけど、それがなんだか嬉しかった。僕は正反対の人だけど、この人と少し人生を創りたい。別に、これが人生の最後になっても後悔はしない』


 私もいい意味で裏切られた。そう感じてくれていたのか。汐斗くんは私と関わりが深くない中でもしっかりと私のことを分かってくれていた。そして、仮にこれで人生が終わってしまったとしても、私と関わることに後悔はないと言ってくれた。


 この先もたぶん私――Cさんのことがいくつか書かれているのだろう。でも、私は見るのはここまでにした。どんなことが書かれてるのか怖いという理由で開かなかったのではない。むしろ、だいたいどんなことが書かれているのか予想はつく。じゃあ、なんでか。ここまでで知ることは留めておきたかったから。あとは、心で感じたいと思ったから。


「ありがとう」


 私は、その小さな闘病日記を全部は読まず、そこまでで汐斗くん本人に返した。汐斗くんが最初に言った通り、内容はそういうものが多かった。でも、読んだ意味はあると思う。汐斗くんのことが、どういう人間なのかが十分に分かった。


 汐斗くんも苦しいのに……。


 辛いのに……。


「汐斗くんって、ずるいし、優しいよね」


「心葉、どうした急に?」


 汐斗くんは覚えてないんだろうか。でも、覚えてないのかもしれない。中学3年生のことだから。昔のことなんて、時々思い出さないと、いつの間にか忘れてしまうんだから。もしかしたら数年経てば私といた日々なんてなかったものになってしまうのかもしれないんだし。でも、汐斗くんは書いていた。――誰かに「ずるい、優しいよ」って言われるぐらいの人になりたい。それが今の僕の夢なのかもしれない。そう、書いていた。だから、私は言ってみた。本当の気持ちと、この言葉は怖いぐらいリンクしていたから。


「いや、ただ思いついただけ」


「そうか……。それよりさ、『小さな闘病日記』を見て、どこか具合が悪くなったり、自分を閉めちゃったりしようとしてない?」


 ほら、言ってるそばから。ずるいぐらい優しい。私が見たいと言って見せてもらったんだから、ある程度は覚悟して読んだから、そこまで気にする必要ないのに。


「それは大丈夫。でもさ、私も一つ言いたいことがある。この日記を見て思ったことを」


「……」


 なぜか、汐斗くんは何も言わなかった。でも、汐斗くんのことだから、うんという意味だろう。


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