第32話 日記

 「お姉ちゃんが悪かったなー」


 多分あれのことだろう。――汐斗を恋人にするのはどう……? と聞いてきたそのことだろう。少し恥ずかしくなったけれど、別に汐斗くんが謝るほどのものでもない。


「うんん、皆で会話できて楽しかったし、別に気にしてないよ」


「そうか。でも、心葉が僕のことをすごい人って言ってくれたのは少し嬉しかったな」


「……っていうか、汐斗くん、また本が増えてるね」


 私は少しずるいなと思いながらも汐斗くんの言ったことが更に発展するのを少し阻むために、急に話をずらした。流石にこれ以上、その話をされると目に見えるほど恥ずかしくなってしまう。逃げるために私はその言葉を言ったが、今いる汐斗くんの部屋の本棚には、前回来たときよりも本が増えていた。前回一番上の棚の空いた部分にはウサギのぬいぐるみが置かれていたが、そこにはまた工芸関係の――染め物についての本が置かれていた。


「あー、そうだな。お小遣いで買ったやつ。考えるなとか思うかもしれないけど、もしもの時にお金が余り過ぎてたらもったいないよなーと思って本とか今までも買ってきたんだよ。だけど、こうなるのは望んでたけど、ある意味もったいないことしたなー。でも、何が起こるか分からないからこんな本とかにお金を使ってしまったこと、とりあえず正解ということにしとこう!」


「うん、正解でいいんじゃない? 汐斗くんにとってこの本は意味があるものだったんでしょ?」


「……おー、いいこと言ってくれるな。じゃあ、正解だな」


 確かに、私、今、少しいいことを言った気がする。少し、役立てたような気がする。


 私は、その本棚の中にある、工芸関係の本はあまり見ても分からないので、少しだけある小説を取り出した。少しおかしいのか、それとも読書好き(元だけど)にはあるあるなのか分からないけど、中身を読むではなく、いくつかの小説の表紙だけをじっくり見ていく。色々なジャンルがあるけれど、特に恋愛系が多い気がする。ボーイミーツガール。少しだけ、私は汐斗くんを見てしまった。私たちの物語はこれから先、どうなるんだろうと。あの時始まった物語はどうやって終わるんだろうと……そう思ってしまう。


「どうした?」


「いや、何でもないよ」


「そういえば、僕、おかげさまで変わることが出来たから、日記とかもこの機会に捨てようかな。小さな闘病日記」


 汐斗くんは自分の机の右引き出しにあった、1枚のノートみたいなやつを取った。そのノートには少し崩れた字で『小さな闘病日記』と少し殴り書きされたように書かれている。


「ねえ、心葉はどう思う? 捨てるべきか、取っておくべきか。僕はもう縁を切るのが正しいのかは分からないけど、捨てようかなと……」


「汐斗くんが捨てたいと思うなら、捨てたほうがいいんじゃない。汐斗くんの思う選択――それが私の答えかな」


 私にそれを捨てるべきか取っておくべきか決める権利なんてない。私には知らないことだらけだし、それにその日記への想いが一番あるのは汐斗くんだから。汐斗くんが思った決断が私の答えになるんだ。


「じゃあ、心葉の言った通り、僕の決断でこの日記とは縁を切ろうかな」


「……あのさ、じゃあ、もし嫌だったらあれなんだけど、ちょっと見てもいい? もちろん、嫌ならはっきり言ってほしいんだけど」


 私は、単純にこの日記にどういう事が書かれていたのか、私と同じように苦しみを抱えているけれど、どんな風にどう違う苦しみだったのかを知りたいと思った。でも、もちろん見せたくないかもしれないので、そこは考慮してそう聞いた。


「別にいけど……。でも『小さな闘病日記』だから内容は分かってると思うけど……。そういうのでもいいなら、読んでもいいぞ。でも、責任は取らないからな」


「じゃあ、少し……。失礼します」


 私は汐斗くんからどういう内容が書いてあるか理解した上という条件付きで許可をもらった。なので、その『小さな闘病日記』を開いた。開いた途端、少し昔の匂いがした。


 一番最初のページだ。


 今とは少し字の形が違う。


 私は、日付を見て、強い何かを感じてしまう。


 その日記の中に自然と入り込んでしまう。その中に別の世界があるかのように。


『4月5日

 今日から中学3年生! 残りの中学生活を楽しむぞー! と思いたいところだけれど、家に帰ってから体調が悪くなってしまった……。いつもと違う悪さな気がする。病院に行ったけど、色々検査されて……もしかしたら悪い病気かも。不安で今日は寝られそうにない。でも、お姉ちゃんが優しく「大丈夫だよ」と励ましてくれた。お姉ちゃん、なんだかんだある人だけど僕を今、一番安心させる人だ』 


 ――中学3年生の4月。


 私と始めは同じだ。私が明日を閉じようとするきっかけになる出来事が始まったのもこの辺りからだった。


 苦しみの種類は違うけれど、同じ時から大きな苦しみを抱えていたんだ。


 私たちは苦しみを抱えて今日まで生きてきたんだ。


「汐斗くん……」


 私は作業している汐斗くんを見る。だけど、その声はあまりにも小さい声だったため、届いていない。


 何だよ、そんなときから苦しみを抱えてきたのに、なんで私なんかを気遣えるんだよ。


 自分だって苦しいはずなのに。どうすればいいのか分からないはずなのに。他の人のことを考えられる余裕なんてないはずなのに。他の人のこと考えすぎたら自分のことを失ってしまうかもしれないのに。


 なんで、私を気遣うことが、苦しみを抱える汐斗くんにできたのに、私は全然汐斗くんを気遣うことができないのか……。同じはずなのに。そんな自分が悔しいし、許せなくなる。


 でも、そんな弱音を吐くと汐斗くんに叱られてしまいそうだから、とりあえずその気持ちを抑えて、私はページをめくっていくことにした。その音が私の耳の中に響く。


『4月12日

 どうやら僕の病気は、あまりいいものではないみたいだ。ダラダラと書くとそれだけで簡単にノートが全て埋まってしまいそうだから短くまとめるけど、どうやら、悪い菌が体の中に入ってしまい、それが増殖しているらしい。そして残念なことにその病気についてはまだ分かってないことが多いらしい。今すぐ僕の命が尽きる可能性は低いけれど、命に関わることになるかもしれないことを想定したほうがいいという趣旨のことを言われた。一言で言うなら今の状況は――辛い』


『4月23日

 今日は最近仲良くなった友達何人かと近くのショッピングモールに行った。特に今のところは行動は制限されてないけれど、帰りに少し体調を崩してしまった。お医者さんが前に言っていた症状と被るから、たぶん、これもあの病気のせいなんだろう。少し倒れそうになった時に、友達が「大丈夫?」とか「どうしたの?」とかいう優しい声をかけてくれたり、助けてくれた。皆、ずるい……本当に優しい。僕もそんな人になりたい。誰かに「ずるい、優しいよ」って言われるぐらいの人になりたい。それが今の僕の夢なのかもしれない。そんなのこんな僕にはなれないと思うけど。でも、少し怯えながらこういう楽しいこともやらなきゃいけないのが怖い……楽しみたいのに。今日もまた辛い、辛い……』


 そんなようなものがこの先も続いていた。私の辛さと、汐斗くんの辛さがリンクして余計に苦しくなる。でも、私は今まで知ってあげられなかった汐斗くんを知るために、その辛さに耐えた。頭が少しガンガンしているけれど、それでも私は汐斗くんが自分と向き合ったときの字を瞳に収めていく。この字を書いたときの様子が私はなんとなく見えてきた。どんな自分と汐斗くんが向き合っていたのかということが。


 でも、辛いという文字だけで飾っていないのが、流石だと思う。もちろん、この『小さな闘病日記』の大半を占めるのが辛いということが占めているけれど、でも、時々楽しいという文字も見ることができた。辛いながらも汐斗くんは楽しさも自分の力で見つけ出していたのだ。辛い中でもできることを見つけていたのだ。私と正反対だ。


『6月15日

 今日は本当に本当に楽しかった! 待ちに待った修学旅行に参加できたぜー! でも、お医者さんに2泊するのは止められているので、1泊だけ……(先生と相談して、皆にはどうしてもはずせない用事があるという設定にしてる。嘘をつくのは少し辛いけど) だけど、全く行けない可能性もあったんだから、そう考えると1泊できただけでも満足じゃん! 皆と色々写真を撮ったり遊んだりして繰り返すけど本当に楽しかった! この思い出はずっと残ってしまうんだろうな……。たとえ僕に明日がなくたとしても(あまり考えないほうがいいか)』


 私は、ページを捲るために少しずつ違う匂いがすることに気づいた。どれも違う匂いに錯覚かもしれないけど、感じる。汐斗くんがその時持っていた感情が匂いとなってここにずっとしまわれてるんじゃないだろうか。


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