第29話 体調

 私はある人に電話をかける。


 その相手は、汐斗くんでもなければ、家族でも友達でもない。


 でも、私のことをちゃんと知ってくれていて、私のことを支えてくれる人。


 私の明日を閉じるということについて知っているこの世界でたった2人のうちの1人――汐斗くんのお姉さんだ。


 なぜか少し手が震える。お姉さんのところをタップした。


『もしもし、心葉ちゃん。今日はどうかしたの?』


 お姉さんは相変わらず私を安心させるような優しい声で話しかけてくれる。なんか、ずるいな。でも、今日は大事な話があるのだ。


「ここ3日間、汐斗くんお休みしてますけど大丈夫ですか? 休んでるので直接連絡するのはもしかしたらあれかなと思い、お姉さんに連絡させていただきました」


 私が今言った通り、汐斗くんは水曜日から金曜日までの3日間お休みしている。多分体調が悪いんだろうけど、それがあのことを知っている私にとってはかなり心配で、ずっと頭のどこかで気になっていた。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせていた。


『あー、わざわざ心配してくれてありがとう。弟なら少し体調は悪いけど、なんとか大丈夫だよ。多分病気のあれだから、伝染らないとは思うし、もし心配だったら明日病院行くんだけど、ついてくる?』


「……じゃあ、もし、迷惑でなければ」


 勉強のことも前よりは考えなくてよくなったからそこまで勉強に焦る必要もないし、何と言っても汐斗くんが心配――もしかしたら汐斗くんが本当に明日を見られなくなっちゃうんじゃないかと心配だったので、私はできれば汐斗くんについていきたい。その趣旨をお姉さんに伝える。


『うん。私たちは全然迷惑じゃないから大丈夫だよ。じゃあ、午後1時に△△病院を予約してるから、その付近で。というか、心葉ちゃんが来てくれるってむしろ、汐斗は喜んでくれるんじゃないかな。こんなかわいい子に心配されてさー。汐斗は幸せものだなー』


「いや、私はそんな……」


 お世辞だとはなんとなく分かっていても、そう言われるのはやはり嬉しいことだ。でも、もちろん私は否定する。ここで認められるわけがない。


『ふふっ。事実だけどね』


 お姉さんは電話の向こうで少し笑っていた。これがどういう意図を表しているのか分からないけれど、自然と胸がキュンとしてしまう。


『それより、心葉ちゃんの心の方は大丈夫?』


「えっと、今は、大丈夫です。心はおかげさまで安定してます。……やっぱり汐斗くんのおかげです。本当に、私は汐斗くんには感謝しかないです。まだ、3週間しか経ってないけど、だいぶ変われた気がします。だから、あともう少しで……ってところです」


『おー。それならよかった! それに、汐斗からも少し聞いたけど、ちゃんと約束守れたみたいだね。自分の弟を褒めるのはあれだけど、汐斗、意外とやるでしょ。まあ、心葉ちゃんも色々忙しいだろうから私から言うのは、ここら辺にしておこうかな』


「じゃあ、お互い色々あると思うので、失礼します」


 私はそう言ってから、静かに電話を切った。それから少しだけ、教科書の内容を頭に入れた。今日はあまり難しい単語は覚えられそうにないから、短い単語を覚えよう。今日は、汐斗くんと最近カフェにいった時に2人で撮った写真を眺めてから眠りについた。


 


 お姉さんに言われた通り、△△病院に午後1時前の午後12時45分に着いて、汐斗くんが来るのを待った。それから5分ぐらい経ったところで前に汐斗くんの家に行った時にあったシルバーのワゴンカーが病院の駐車場に入ってきた。ナンバーも確認したけど、汐斗くんが乗っている車で間違いないだろう。


 その車が駐車場に止まり、完全に停車すると、中から汐斗くんとお姉さん、そして汐斗くんのお母さんが出てきた。


「あ、心葉ちゃん、わざわざありがとう」


「いえいえ、お姉さんもいつもありがとうございます」


「心葉、本当に来てくれたんだ」


「もちろん!」


 汐斗くんの様子は確かに顔の表情を見れば、体調が悪いと分かる感じだけれど、もう歩くことができないぐらいとか、すごく辛そうとまでの状態まではいってなかったので、少しだけ安心した。でも、体調が悪そうなのは事実なのでそこは少し心配だ。というか、汐斗くん、私が来ること嘘だと思ってたんだ。私は、そんなことに対して嘘をつかないし、汐斗くんが大切な存在だから来ただけなのに……。


「心葉ちゃん、お久しぶり。2人の方が汐斗も安心できるかしら……? じゃあ私たちは車で待ってるから、なんかあったら呼んでくれればいいから。というか、すごくいい人だね……心葉ちゃんは」


「……まあ、そうだな。いい友達だろ。なっ!」


 何か、汐斗くんのお母さんに勘違いされているところがある気もするけれど、私は特にはそこに触れなかった。どうやらお姉さんとお母さんは車にいるということだったので、私たちは2人で病院の中に入ることになった。ここの病院には小さい頃、夜中に高熱を出してしまったときや、自転車に乗ってて電柱にぶつかり怪我してしまったときなど何回かお世話になったことはあるけど、下から見下ろすとやはりその大きさに圧倒される。一体、何床のベッドがあるんだろうか。


 病院の中に入るためには駐車場にある横断歩道を渡る必要があるので、私たちは左右をよく確認して渡れるタイミングを待っている。


「ここで事故にあったら元もこもないからな。急に車が暴走することもあるかもだし」


「変なこと言わないでよ! ほら、今車いないから渡っちゃおう!」


 車が来ないことを確認してから横断歩道を渡り、病院に入ると、汐斗くんはささっと受付までを行なった。その一連の流れは本当にあっという間だった。私が瞬きすることもなかった。ただ、私は病院の匂いが嫌いなんだなと改めて感じた。


 どうやら、お医者さんに先に血液検査をしてから来るよう言われているらしいので、汐斗くんには血液検査を行なってからいつも行ってる科の前で待った。私は正直に言うと、あの痛い注射は嫌いだ。でも、血液検査を終えた汐斗くんは痛い顔一つせず、特になんともなかったという顔をしていた。きっと、慣れてしまったんだろう。


「体調はどんな感じ?」


「んー、なんとも言えないな」


 今までの汐斗くんならそこまで心配する必要ないとか言うのに、今日はそんなこと言わず、少し弱音を吐いたようにも見えた。顔の表情からはそこまでじゃないとさっきまでは思っていたけど、表情だけでは分からないところで苦しいのかもしれない。そう思うと、私の心配度は更に増してくる。


「あ、でも体調がまだ大丈夫だった火曜日までで染め物はだいたいできてきたから、もうそろそろお披露目かな!」


 私が心配してることを悟ったのか、私が少し元気になるような話題を汐斗くんは話してくれた。


「私も、後もう少し。だから、私ももう少しでお披露目できるよ!」


 私も海佳ちゃんのと汐斗くんのミサンガ作りを同時に進めているが、もう少しで完成しそうだ。久しぶりにやったので、昔よりクオリティーは劣るかもしれないけれど、簡単にそのミサンガが切れることはないだろうし、つけても恥ずかしくはない完成度になることは保証する。


「というか、心葉、カバンいたのか?」


「あー、まあお財布とかハンカチとか入ってるし、あとは紙も……なんか一応のために持ち歩いてる」


 汐斗くんが私の今持っているショルダーバッグを指摘してきたので、その中に何が入っているのか触りながら少しあさった。


「紙……?」


「いや、何でもないかな」


 この紙のことについて考えると、また厄介なことになりそうだから、そこで話を止めた。それからすぐに、汐斗くんの名前が呼ばれた。


 私は、よいしょと言って立ち上がり、汐斗くんを気にしながら呼ばれたところの診察室に入った。汐斗くんの歩き方が少しぎこちなく見えた。

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