第25話 電話

 いつもより何倍も気持ちが楽だ。数年前の自分に戻ったような感じがする。中学1、2年とかそれよりもっと前の感情とか、もうとっくに忘れかけているはずなのに私はその感情が今、再び蘇っているような気がする。なくしていた感情というパズルのピースが見つかって、それがはめられる。楽しかった過去が……。その原因は言うまでもないだろう。

 

 忘れかけていたものが、次々と私の中に入っていく。


 私の持っている感情のはずなのに、誰か違う人の感情のような気がしてしまう。


 私は、久しぶりにお母さんとお父さんも入っている家族のグループラインにメッセージを打った。『今、電話してもいい? 少し話したくなっちゃって』と。ラインは数日に1回あっちから確認の意味も込めてしてくるけれど、出張に行ってから生の声を聞くことはまだしてない。でも、その声を聞きたくなってしまった。


 数分たってから既読2と表示された。どうやら2人が見てくれたようで、お母さんから『いいよ』というメッセージが来た。だから、私は何日ぶりだかは分からないけれど、久しぶりにその声を聞くために、2人に電話をかけた。


 自分を産んでくれたお母さんと、お母さんとともに私を大切に育ててくれたお父さんに電話するだけのはずなのに、妙に緊張してしまった。その原因は、久しぶりに声を聞くからだけじゃない気がする。


「もしもし……」


 始めに声をかけたのは、私だ。でも、すぐ消えてしまう少し弱々しい声だ。


『もしもし、心葉』


『久しぶりだな、心葉』


 懐かしい声。どこかに置いてきてしまったかのような声。久しぶりに二人の声が聞けた。やっぱりこの声が一番私を落ち着かせる。


『どう、変わりはない?』


「うん、お母さん、大丈夫。むしろ、大切な人と出会えて、いい意味で少しずつ変わってる気がする」


 私の本音だ。大切な人――海佳ちゃんに唯衣花。そして汐斗くん。その3人により少しずつ私の世界はいい意味で変わってきてるような気がする。特に、明日を見る君には沢山助けてもらった。でも、全てがまだ変われたわけではないからもう少し自分を変えたい。自分と思えるような姿になりたい。その話題になったからか私はいつも2人に話すような口調に戻っていた。


『それならよかった。電話越しだからかもしれないけど、確かに、口調もいつもより落ち着いてるかも』


 そうなんだろうか。私には分からない。でも、ずっとずっと私と過ごしてきたお母さんが言うのなら、そうなんだろう。


「仕事の方はどう?」


『うん、忙しくて大変だけど、なんとか……かな』


 今思ったことだけれど、逆にお母さんの口調は少しだけ乱れているようにも思えた。でも、そういうことを触れられるのはあまり好きではないだろうと思い、特段気にしないことにした。


『お父さんも少し話したいって』


「分かった」


 少し経った後に、今度はお父さんの声がした。


『俺だ、心葉。まだまだ帰ってこれなくてごめんな。最近、なんか楽しいことあったか?』


「楽しいこと――」


 楽しいこと、なんだろうか。汐斗くんに出会えたことだろうか、でもそれだけじゃない気がする。さっき、お母さんが変わりないかと聞いてきたときにも思ったけど、海佳ちゃんや唯衣花とも仲良くなれたこともそうだし、それから公園に行ったり、今日も汐斗くんとカフェに行ったり……そういう日常が楽しいような気がしてきた。もちろん、少し前も明日を閉じようとしてしまったけれど、踏み留まることができたし、前より楽しいと思える回数が増えてきたのは確かだ。


「言葉にするのは、少し難しいけど、色々あるよ。自分がやるべきことが分かったから、もっと今後楽しくしていきたいって思ってる」


『そうか。今日は声を聞かせてくれてありがとうな。なにをやってるのかは分からないけど、いつも心葉は自分の部屋にいて、忙しそうだからこっちからはかけづらくて……。また時間あるときにでも声をかけてくれたら嬉しいな。もちろん、帰りに心葉が好きなもののお土産も買ってくるから待っててな』


「うん、お土産、楽しみにしてるね! じゃあ、また」


『うん、心葉、またね』


『またな』


 声はもうしない。

 

 電話をゆっくりと切ったのだ。


 本当は、その話が出たから、最後ここで私は自分の部屋で何をしてるか分かる? とでも一瞬、聞こうとしたけれどやっぱりやめた。親は私が自分の部屋でほとんどを過ごしているのは知っているけれど、具体的に何をやってるのかは多分知らない。だけど、勉強しかやって辛いんだよというのを言うのは今じゃない気がしたし、もしかしたら、それはただたんに自分の心のせいかとも思ったから、それを言うのをやめた。


 電話を切った後、私は久しぶりに心の落ち着く音楽を聞いた。これは汐斗くんがおすすめしてくれた曲だった。


 その音を近くで感じ取りたいため、誰もいないけれど私はイヤフォンを両耳につけた。


 音楽もこんなにちゃんと聞いたのは久しぶりだったから、本当に美しい音色に思えた。音楽の力を感じることができた。こんなにも音楽の世界って透き通ってるんだ、そう感じた。私の中で時間がゆっくりゆっくりと流れていく。心臓の音が時を刻んでいく。


 ――落ち着く。


 それから少し、あるものを書いた。こんなのを書く必要なんてたぶん今の私にはない。でも、本当にもしかしてもしかしたらの時に、伝えられなかったら嫌なので、書くだけ書いておいた。文字だけでいつの間にか紙いっぱいになっていた。だけど、たぶんいつの間にかこれもゴミ箱に捨ててしまうんだろう。むしろ、捨てたい。捨てられた方がきっと幸せだ。


「よし、少し勉強をやろう」


 仮に落ち着いた状態で勉強すれば私は本来の力を出せるんだとしても、それが勉強をほとんどしなくていいという意味に結びつくわけではないので、勉強をいつもよりは控えるけれど少しやることにした。


 たしかに、シャーペンで英単語を書いてるときの感覚まで違う気がする。これまで見えていなかった世界が少し見えてきた気がする。私の世界が少し広くなったんだろうか。


「はぁー」


 英単語の勉強をやっているところで少しあくびが出てしまった。少しの間、私は椅子の背もたれによりかかって目を閉じた。いつもなら、頑張って目を開けようと色々なことをするが、今日は無理をせずに、ちょうどいいところで切り上げて眠りについた。

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