第18話 危ない

 小さな思い出が――幸せが降り注いできた。ずっと残しておきたい物が詰まっているところに今日の思い出が入っていく――そう思うとなんだか特別だった。でも、この思い出も、もしかしたら自分で消すことになってしまうのかもしれない。明日を自分で閉じることになったら……。そう思うと少し悲しい。


 今はもうすぐ集合時間になるので、2人はその前にトイレに行った。私は大丈夫だったのでその近くで待っている。でも、時間の感覚って本当にその時によって変わってしまうものなんだな。楽しいと思える時はすぐに終わってしまうのに、苦しいときは少しも時間が進まないように感じる。今日は時が流れるのが時計の針が壊れてしまったのかと疑ってしまうぐらいすごく早く感じてしまった。


「おっ、心葉じゃん、今日はどうだった?」


「あっ、汐斗くん。すごく楽しかったよ。でも、こういう時間を作れない自分が少し悪いなって思っちゃう。私、本当になんで勉強できないんだろう」


「……そっか。進学できないのはやっぱだめ?」


 汐斗くんが少しおかしなことを聞いてきた。


「うん、親に悪いし。それに、退学するのはやっぱここにこれなかった人にも少し悪いし。でも、もしかしたらそういう選択を取ることも明日を閉じないためには必要なのかもしれないね。だけど、やっぱそんなこと、親には相談できないな」


 私は汐斗くんの問に対してすぐに答えた。この世界には正しい答えがいくつもあるずるい問いが溢れている。


「んー。まあ、心葉の立場に立てばそうだよな……」


 こんなことしか言えなくて、私を支えてくれている汐斗くんには申し訳ない。明日を閉じないために、自分のもしかしたらもう終わりが近いかもしれない命を使ってまでもそうしてくれているのに。でも、私が変わること、本当に現実的なんだろうか。


「じゃあ、集合時間に遅れないようにな。僕はなんか喉渇いたし、自販機で飲み物でも買ってから並ぼうかな」


「うん、じゃあ、また後で」


 そう言うと、汐斗くんは自販機のある方向に向かった。私はそんな汐斗くんに自然と手を振っていた。


 というか、2人とも遅いな。トイレ、混んでるんだろうか。私はそう思いながらトイレの方に視線を移した。


 ――あっ!


 私の目が大きく開く。


 見てはいけないものが、私の視界に入る。


「……あ、あっ……」


 フラフラと、まるでどこからか遠隔操作されているみたいに自分自身で動くことができていない唯衣花がここから数メートル離れたところにいた。それだけならまだいいのだが、その周りには柵がないから下手したら下に落ちてしまう。その下はビルの何階に相当するかは分からないけれど、かなり高いし、この下には交通量はそこまで多くないとはいえ、舗装された道路が広がっている。


 だから、もしここから落ちてしまったら大きな怪我は免れない。もしかしたら、最悪の場合には頭の打ちどころが悪かったり、もしくは偶然通りかかった車に轢かれて明日をもう迎えることができなくなってしまうかもしれない。


 そんなのはいやだ。唯衣花を失うなんていやだ。


「唯衣花! 危ない!」


 どうしてそうなってるのかは分からないけれど、私は心の中から声を出して必死にそう呼びかけた。


 が、反応がない。この声が、唯衣花には届いてないみたいだ。でも、届かせなきゃいけない。私は更に叫ぶ。


 私は唯衣花を助けなきゃ……その思いから、気づけば唯衣花の方へ駆け出した。


 でも、なんで急に唯衣花はこんな風になってしまったの?


 まさか、唯衣花も自分から明日を閉じようとしている? 実は私と同じ立場だったの? 同じような何か苦しみを抱えていたの?

 

 そうと決まったわけではないけれど、もしそうなのだとしたら、このまま唯衣花の好きにしたあげたほうがいいんだろうか。自分の人生なんだから自分で終わり方を決めさせてあげた方がいいんだろうか。汐斗くんだって1ヶ月経っても変わらなかったら、自分の好きにすればいいと言ってくれたんだし。


 でも、だめだ。唯衣花を失うことはしたくない。それが、仮に唯衣花の希望だったとしても。そんなのはよくない。大切な存在になってくれた人を失うのは怖い。私だって、確かにそうかもしれないけど……。


 何度も何度も唯衣花の名前を呼んだ。でも、一向に振り返ってくれそうな雰囲気はない。私の声もどんどんかすれていく。ぐちゃぐちゃだ。


 私は、唯衣花に追いつく。フラフラとしてもうすぐ落ちてしまいそうだった唯衣花を後ろから抱きしめた。


「唯衣花……」


 ――これで、大丈夫だよ。絶対に離さない。


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