第6話 迎えられる

 汐斗くんの家はどうやら高校最寄りの駅から3駅ほど行ったところにあるそうだ。なのでまずは駅に向かった。


 というか、男子の家に行くの初めてじゃん! ということを電車に乗ってから急に気づき少し顔を赤くしていると、それを悟ったのかどうなのかは分からないけれど、3つ年上のお姉ちゃん(大学生)がいると教えてくれた。その他にも汐斗くんの家にはお父さんお母さんに加え、おばあちゃんと、おじいちゃんも一緒に暮らしているいわゆる拡大家族世帯らしい。


 汐斗くんの家の最寄りの駅に着くと、近くの薬局とコンビニで少し必要なものを買った。近くのスーパーで手土産的なものも買おうとしたけれども、そこまでしなくていいよと断られてしまった。


「お邪魔します」


「ただいま」


 汐斗くんが家の鍵を開け、私は汐斗くんに続いて家の中に入る。そこは、一言で言うなら少し古民家カフェ風のおしゃれな家だった。少し汚れが目立つところもあるけれど、私は全然嫌な感じじゃない。むしろこういうのはなんか言葉で言い表せないけれど好きだ。というか、誰かの家に遊びに来た(今回は泊まりだけど)のは何年ぶりだろうか。中学1年の頃に仲のよかった友達とクリスマスのパーティーをした時以来だと思う。

 

「あー、お母さん。お客さん。今日泊まっていくけどいい?」


 この古風な感じとは少し離れた色の洋服を着ていた汐斗くんのお母さんと思われる人が、顔を出した。私は反射的にペコリと挨拶する。汐斗くんと同じで優しそうな人だ。


「泊まるのは全然いいけど、どういう関係の方?」


 泊まることについては何も迷うことなく了承してくれたのでよかったけど、確かに親ならどういう関係で私をここに連れてきたか気になるだろう。ただ、私たちは親友というほど仲がいいわけじゃないし、ましてや恋人とかそういうものでもない。汐斗くんのことだから、私のことを明日を閉じようとしてて心が不安定だから連れてきたとかは言わないだろう。でも、汐斗くんもそれについては考えてなかったのか、一瞬、少し悩んだ顔をしていた。


「あー、なんか学校で課題が出てるんだけど、それが終わりそうにないからどっちかの家でやろうってことになって……。で、なんか彼女の家は親が出張中らしく誰もいみたいだからこっちに連れてきた」


 嘘と事実を混ぜて汐斗くんはそう言った。嘘というのは学校の課題が出てるという部分だ。


 ただ汐斗くんが彼女と言った部分にキュンとしてしまった。もちろん、三人称の意味で彼女と言ったのは分かっているけれど、そうなってしまったようだ。というか、男子は彼と言えるので、彼氏という言葉と区別がつくけど、女子の場合彼女と彼女の区別がつきづらいから少しやめてほしい。


「そうなの。もし親御さんが家にいるなら……とは思ってたけど、そうなんだね。まあ、うちは狭くて少し汚いけど、ゆっくりしていって」


「ありがとうございます」


「ちなみに、名前は何って言うの?」


「……白野心葉って言います」


「あら、素敵で可愛い名前じゃん。まあ、とりあえずあがって、あがって!」


 汐斗くんのお母さんに促されて、私は靴を脱いで家の中に上がった。汐斗くんはとりあえず自分の部屋に連れて行くからと言って、階段を上がっていった。それに私は着いて行く。


 というか、今、少しだけ心の中がオレンジ色に光ってるのかもしれない。その原因は、汐斗くんのお母さんに私の名前が、素敵で可愛いと言われたから。相手からしてみればたったそれだけのことしか言ってないとか思うのかもしれないけれど、私にとってはそれがかなり嬉しい。


 今では私をある意味で苦しめているお母さんだけれど、私はお母さんが嫌いなわけじゃない。むしろ、こんな私のために色々頑張ってくれて、尽くしてくれて、大好きなお母さんだ。そして、私は今までお母さんから小さい頃はパズルだとか、絵本だとか、大きくなっても望遠鏡だとか……色々なプレゼントをもらってきたが、私が今までもらったプレゼントの中で一番嬉しかったのは自分の名前だ。この、心葉という名前。私はこの名前が大好きだ。普通なら生まれてくる子供に付ける名前を決めるのは時間がかかるけれど、お母さんは事前には何も決めずに、生まれてきた時に感じ取った空気や想いだけで名前を決めようと、お父さんと相談したみたいだ。漢字すらも決めずに生まれてきた私を見て、すぐに心葉という名前をプレゼントしてくれた。


 ――その時、お母さんは名前という一生消えることのないものを私にプレゼントしてくれた。


「どうした? 少し、顔、赤くなってない?」


「いや、何でもない」


 私はどうやら顔までも赤くなってしまったようだ。私はとっさにそう言う。


 汐斗くんの部屋に入ると、汐斗くんは座われるスペースをもっと確保するために邪魔なものを端に避けたり勉強机の上に置いた。だからといってものが散乱してるとかそういうことではなく、あくまでものが多いので収納スペースが足りていなくて色んなところに置かれている感じだ。汐斗くんが適当に座ってと言ってくれたので、私は遠慮なく本棚の近くに座った。誰かの家ってやっぱり新鮮な感じがする。でも、新鮮すぎるからなのか、私はさっきから小刻みに体を揺らしている。何か話したほうが、落ち着くかもと思い汐斗くんの部屋を見回して話になるような話題を探す。


「やっぱり、汐斗くんの部屋って工芸関係の本が多いんだね」


 私が話題になりそうだなと思ったのは、本棚の中にあった工芸関係の本だった。さっきカフェで工芸について少し話したのを思い出したのだ。この本棚の中に工芸関係の本が何十冊……下手したらそれ関連で100冊以上はあるんじゃないだろうか。


「あー、うん。まあお小遣いはだいたいそれに費やしてるかな。将来、工芸に携わることをしたい――これが僕の初めて叶えたいと思った夢だから、無理かもしれないけど、この夢に少しでも近づきたいんだよね」


 やっぱりすごいな……そう感じてしまう。部屋をもう一度見渡してみても、汐斗くんが作ったであろう名前は何ていうのか分からないものも多いけど、工芸作品やそれを作るのに必要な機械がいたるところに置かれている。もちろん、完成している作品だけでなく、まだ作り途中の作品も置かれていた。それほど汐斗くんは夢を叶えたいという想いが強いんだろうなってことが自然と伝わってくる。この感情は尊敬……で正しいんだろうか。


「心葉は離したくないぐらい夢中なものはないの?」


「んー、今はないかな。昔はあったけど、色々あってやめちゃったんだ。だから、本当に汐斗くんがすごいと思ってる」


「いや、そんな褒めないでよー!」


 汐斗くんは素直に喜んでいた。そういう人、私は好きだ。素直な人。真っ直ぐな人。


 私もかつては、汐斗くんほどではなかったかもしれないけれど、離したくないぐらいに夢中になっていたものはあったけど、色々あってやめてしまったので今は特にそういうのはない。なくなってしまったが正しいかもしれない。


「今も色々何個か並行して作ってるんだけど、これから、染め物もしようかと思ってるんだよね」


「染め物? 私も幼稚園の時やったかも!」


「一応、僕も。でも、今回のは高校生というか職人の染め物? って感じにしたいなと。色々平行でやってるから時間はかかるかもしれないけど、できたら見てほしいな」


 普通ならここで私はうんと答えるべきだろう。でも、私はそう答えるのを何かに拒否されてしまったのか、答えられなかった。たぶん、私がその染め物が完成するまでいるのか――いや、自分の意志で生きているのかが不安になったからだろう。だから、うんといえば小さな約束をしたことになってしまう。私がその約束を守れる保証はどこにもない。


「なんか、心理学系の本も多いんだね」


 なので、私は汐斗くんには少し悪いけれど、話しを別のものにした。本棚の中には大半は工芸関係のもので占められていたけれど、心理学系の本も少し多くあった。だから、次にそれを話題に出してみた。


「お姉ちゃんが大学で心理学を勉強してるから、それを少しかじってみてるって感じかな。お姉ちゃんはたしか、将来、児童相談所の職員になりたいとか言ってた気がする」


 そうなんだ。汐斗くんのお姉さんは心理学系の勉強をしているのか。そして、将来は児童相談所の職員になりたいのか。私には、そんな未来のことなんて考える力なんてなく、その未来を自分から閉じようとしているのに、汐斗くんや汐斗くんのお姉さん含めて多くの人はその未来を描いているのか……。それをどう考えればいいのか難しい。自分に置き換えるのが難しい。


「まあ、僕は読んでもあんまり理解できないことが多いけど。というか、さっきから本について話してくるけど、心葉は本が好きなの?」


「うん、そうかも……。本は好きだったかな。特に小説が。今は勉強しなきゃいけないから本なんて読む時間はないけど、今も読んだら本の世界に入っちゃうと思う。さっき言った話したくないぐらい好きだったものはまた別なんだけど、私、中学は文芸部だったんだ」


 今は部活には入っていないけど、中学の時はいくつか部活に入っていて文芸部にも所属していた。そこで小説を各自で書いたり、お互いに好きな本を紹介したり、リレー小説といってお互いが書いた文を繋げていくものをやったりしていた。


 なんか、物語は自分の世界に入ることができて、その世界に入ることで色々な大切なものを得ることができて好きだった。


 どんな感情のときも物語は私の心を掴んでくれた。受け止めてくれたのだ。


「へー。僕も好きだよ。まあ、この本棚、工芸関連と心理学関係で9割近く埋まっちゃってるから小説とかはあまり置いてないけど……。まあ、でも少しなら」


「これとか、小説だね」


 私は本棚にあった小説を差した。汐斗くんはうんとうなずく。


 汐斗くんも本が好きなのか。どうやらこれは、仲間……なんだろうか。少しだけ親近感、が……。

 




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