第2話 誰か

「あれ、心葉? こんなところで何やってるんだ?」


 ……?


 その声が私のしようとしていたことを一旦止める。 


 私を止めた声。耳の奥まで響く。


 今までで一番ドキッとしたかもしれない。


 私はそっと振り向く。


 声の主は――私と同じクラスの汐斗きよとくんだった。


 クラスの皆の悩みを聞いてくれたり、クラスの色々な小さな変化にも気づいてくれたりする、いわば先生みたいな存在だ。私との関わりは2年生になってからのこの3ヶ月間でほとんどなかったけれど、相手も名前ぐらいは覚えてくれていたようだ。


 流石さすがに誰かに見られてるのに、ここから飛び下りることなんてできない。今ここから飛び下りたら汐斗くんが犯人だと思われてしまうかもしれないし……それだけは避けたい。


 私は汐斗くんになんと言えばいいのか分からず、言葉に詰まってその場から動くこともなにか喋ることもできないでいる。すると、汐斗くんが何かを言った。


「あのさ、暇だったりしない? 友達と遊びに行こうとしたのに、その友達が急に用事ができちゃったみたいでさ……僕、暇なんだよねー」


 私にそっと近づく。こういう話しをしてくるってことは、私がここから身を乗り出そうとしてたとは思ってなかったってことだろうか。確かに、まだあの状態ではただここから見える美しい景色を見ていただけとも十分に思える。そこはよかったと思い、眉を開く。


 でも、これから私はどうすればいいんだろうか? 例えば、私が誘いを断って汐斗くんがすんなり屋上からいなくなったとしても、もう今日は身を投げる気分にはとてもじゃないけどなれない。それに、家に帰ったとしても今日は勉強できる気分にもなりそうにない。だったら……。


「別に…………いいよ」


「おー、そうか。じゃあ、来てきて! 今から近くのカフェ行こう!」


 私は何もする気分になれないなら……と思い、汐斗くんの誘いにのった。汐斗くん、テンションが高いな。というか、汐斗くんはなぜ屋上に来ていたんだろう。この高校の屋上はいつでも入ることができるけど、生徒が屋上に来るのはせいぜい昼休みに心地よい太陽の下でお昼を食べたい人が来るぐらいだ。だから、なんで今、汐斗くんがここに来たのか少し疑問に思ったけれど、逆になんで心葉はいたのと聞き返されても困るので、特に聞くことはしなかった。


 教室にカバンなどが置いてあるので、私がそれを取ってから、汐斗くんは私を高校から徒歩数分のカフェに連れて行ってくれた。特にその間はお互いに何かを話すこともなく、ただ黙って歩いていた。私みたいな人なんかと何か喋るのは少し難しかったのだろうか。それとも、外の景色を楽しんでいたとかで元々話す気はなかったんだろうか。


「いらっしゃいませ」


「あー、2名です」


「かしこまりました。開いているお好きなお席へどうぞ」


 何度もここに来ているのか、店員さんにそう言われると、すぐさま窓側の方の席に行った。それから、私と汐斗くんは対面になるように座る。


 というか、こういうところに来るのはいつぶりだろうか。高校に入ってからは勉強しかしてなかったから本当に久しぶりなような気がする。多分もう一生こんなところに来ることはないんだろう。だからこの空間が特別に感じる。


 さっきまで自ら人生を閉じようとしていたことを少し忘れ、ほんの少しだけ、分かるか分からないかぐらいの微妙な範囲だけど心がオレンジ色になった気がする。


 汐斗くんは2つあるメニュー表のうち1つ私に渡してきた。それを開くと、写真付きで様々なパフェだとか、パンケーキだとか興味を引くものが沢山載っていた。


「あー、好きなもの選んで。僕が奢るから」


「いや、それはなんでも悪いよ……」


 それは先輩とかの立場の人が言う言葉だ。流石に特別仲がいいわけでもない同級生に奢ってもらうわけにはいかない。

 

「僕さ最近、工芸作品でさー、まあ小さな賞だけど入選して少し賞金をもらったんだよね。その賞金があるから全然気にしなくていいよ。というか、むしろ奢りたいぐらい」


 たしか、汐斗くんは工芸部に入っていて、将来は何か美術作品に携わる仕事をしてみたいって2年生の始めの自己紹介で言っていた気がする。実績もあるみたいだし、大きな夢を持っているし……なんだかすごいなと素直に思ってしまう。私もこういう人になりたかった。


「じゃあ……お言葉に甘えて。でも、実は私、こういうところほとんど来なくて……だからどういうのがいいのか全然分からないんだけど、オススメってある?」


 せっかく奢りたいとまで言うのなら、汐斗くんの思うようにさせてあげたいが、ただ1つ問題がある。ほとんどこういう場所に来ないからなのか、さっきからメニュー表を見てもこういう場所で何を頼んだらいいのか全然分からない。もちろん、人それぞれでいいんだろうけど、どれを頼んだらいいか見当がつきそうにないのだ。だからそう聞くのが少し恥ずかしかったけれど、場違いなものを選んだらもっと恥ずかしいので、そう聞いた。


「そうなんだ。食べられないものとかは特にはない? コーヒーとかも大丈夫そう?」


「うん、基本的には大丈夫」


「じゃあ、僕が適当に頼んじゃおう」


 汐斗くんはそう言うと、テーブルにあった呼び出しベルで店員さんを呼んだ。 


 さっき私に食べられないものはないか気にしてくれたところに甘い恋愛小説を読み終えた後みたいに少しキュンとしてしまったのは気のせいだろうか。


「はい、おまたせしました」


 店員さんがやってくると、汐斗くんは広げたメニュー表を指差ししながら注文を始める。


「えっと、まずホットのブレンドコーヒーが2つで。パフェがこれとそれで……、パンケーキはこれとそれ、最後にサンドイッチがこれとあれでお願いします!」


 汐斗くんは最近はやっている音楽のようにリズムよく、軽快に注文していく。


 ……えっ。


「かしこまりました。ホットのブレンドコーヒーがお2つ、――」

 

 店員さんが特に表情を変えることなく汐斗くんの注文したものを1つずつ順番に、そして丁寧に読みあげていく。それが終わると、店員さんは少々お待ちくださいと言い、その場を後にした。

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