第三十一話 君の心へ続く
春がやってきた。
今年は暖冬だったせいか桜の開花が遅れ、近年では入学式の頃には散っていた桜がちょうど満開を迎えた。藤城高校はまた新たに新入生を迎え、新たな一年が始まろうとしている。
玄弥は今日から高校生活最後の一年を過ごすことになる。勉強が苦手な彼は優秀な幼馴染のおかげで留年することなく順調に三年生へと進級した。高校を卒業した後の進路もそろそろ真剣に考えなければならない。
新たなクラスが発表され、偶然か学校の計らいか、玄弥と紗良咲は再び同じくクラスになった。残念ながら恵と護は別のクラスになってしまったが、担任教師が今年も真子に決定し、玄弥と紗良咲は安心した。
昨年の秋、上社で起こった出来事は大きく世間を騒がせた。
始まりはひとりの女子大生の失踪だった。
久馬薫は上社の歴史や伝承を調査するために結玄寺に滞在し、住人と交流しながら学問の研究に励んでいたが、突然姿を消した。そして、間もなくして彼女は遺体となって発見された。
その後、十五年ぶりに上社支社に転勤してきた八代正嗣が自殺した。玄弥を誘拐して殺害しようとした彼は藤城市内で起こった連続殺人の犯人だと推定されるが、確たる証拠は出ていない。
さらに、同時期に移住してきた坂口翔は紗良咲を自宅に監禁して暴行、挙句には家屋に放火し逃走した。坂口はその後、待ち構えていた警察に確保され、連行された。
その後の調べで、坂口が上社で薫を殺害、遺棄した人物であることがわかっている。彼の所有するカムリのトランクから血液反応が出て、それが薫のものと一致したのだ。殺害現場はおそらく自宅であるが、全焼した建物を今更調べることはできない。
五年前に殺害された花山叶恵は連続殺人による被害者だと考えられていたが、彼女は坂口が勤める進学塾の生徒であり、彼とは特別な関係にあった。痴情のもつれで殺害してしまい、それを連続殺人のひとつとして片付けるために八代が転勤した時期に薫を殺害して警察に捜査させ、罪を八代になすりつけようとしたと見られている。
花山のスマホが見つからなかったことから、坂口がそれを所有していれば証拠として扱えるはずだが、自宅が全焼した今ではそれを探す術もない。
この一連の事件は証拠が見つからずに坂口が薫を殺害したこと以外、何も立証できないまま幕を閉じた。
世に報道されたのはここまで。
逮捕後の坂口は理性を失い取り調べでも暴れて警察署内は大変な騒ぎだったらしい。夢幻は器を離れられず、坂口が命尽きるまで共に生きていくことになるだろう。
玄弥にとってはさらに深い因縁があった。八代という器に棲みついた夢幻がその器を離れるために八代の身体を殺し、坂口に乗り移った。夢幻は坂口という器も捨て、最終的には玄弥の身体を手に入れようとしていた。
夢幻がまだ生きた人間だっととき、彼を殺害したのは結玄寺を建立した結玄和尚だった。そして、その結玄和尚の血を継ぐ子孫こそが上社に外部から入ってきた玄弥の父、淳だったのだ。
結玄寺の歴史を遡ると、宮司家は断絶した結玄の意思を守るためにこの寺を継いだ血の繋がりのない家柄であることが記されている。実際何が起こって結玄和尚の血筋が上社を離れたかは不明である。
長い月日をかけて結玄の血は再び上社に舞い戻り、宮司家と交差して玄弥が誕生した。そして、淳が受け継いだ目を宮司家の末裔である玄弥が継承した。
逮捕された坂口は自ら命を絶とうとしたそうだが、それは井浦が許さなかった。死ねば夢幻が解き放たれることを知っている彼は、うまく理由をつけて坂口の監視を強化するよう根回しした。
だが、司法で裁かれてもいずれ自由の身になるときは来る。そのとき、夢幻はまた玄弥の前に現れるかもしれない。
「玄ちゃん!」
「うわっ、びっくりした」
三年生の新クラスで窓際の席について外を眺めていた玄弥に対して何度も声をかけたが無視され続けた紗良咲の頬が膨れている。
「さっきから何回も名前呼んだのに、全然聞いてなかったでしょ」
「悪い、考え事してた」
「あのこと?」
「いや、もう三年だし、そろそろ将来のこと考えないとなと思って」
「珍しく真面目モード」
失礼な。
俺はいつも真面目に生きてる、つもりだ。
「高校生活最後の一年、悔いのないように過ごしてね」
真子は新学年最初のホームルームをその言葉で終えた。ただただ平和な一年を暮らせることを祈るのみだ。
紗良咲が坂口の自宅に監禁されて玄弥が助けに駆けつけたとき、井浦は上司の指示に背いて上社で待機していた。それも、山下をはじめとする彼の後輩を数名従えて坂口を監視していたと後から聞かされた。そのことは玄徳も知っていて、協力していたらしい。
孫が暴走しても助けられるようにと井浦に頭を下げてくれていたそうだ。
おかげで玄弥と紗良咲は元気に生きているわけだが、その後井浦は勝手な判断で組織を乱したと処分を受けた。今でもたまに連絡があるが、彼は刑事課を離れて藤城市内の交番にいる
それでも、玄弥と紗良咲が無事だったから悔いはないと清々しく笑っていた。
玄弥の周りにいる人たちは、彼を守るために自らの立場を犠牲にし、危険に臆することなく力を貸してくれた。
そのことは、これから先も忘れてはならない。
──始業式の日は午前で学校が終わった。
玄弥と紗良咲はクラスが離れてしまった恵と護と合流して、近くのファーストフード店に入った。店内は藤城高校の生徒で埋め尽くされていて、彼らもまた青春を楽しんでいる。
テニス部である恵と護は夏まで部活があるため、受験モードになるまではまだ時間がある。高校生活は勉強がすべてではない。部活に友情、恋愛、いろいろなことがあって、共に過ごす時間はかけがえのない宝物になる。
ひとりひとりがハンバーガーのセットを注文して、席についた。ポテトを一本摘んで玄弥が恵に訊ねる。
「昼から部活?」
「新入生の勧誘しなきゃだし、もう大変よ」
ジュースを一口飲んだ護が紗良咲を見た。
「まだ時間早いけど、この後すぐ帰るの?」
「特に用事はないかな。私は玄ちゃん次第だから」
紗良咲が玄弥を横目で見ると、彼は「帰る」と即答した。
「ひとつ言いたいことがあるんだけど」
恵がハンバーガーを豪快に
「もう三年じゃん? あんたたちいつ付き合うの?」
あまりにもさらっと言ってのけた恵だったが、玄弥と紗良咲はお互い視線を合わせるとすぐに逸らした。
気まずくなった空気の中で、玄弥は口数少なくハンバーガーを食べ進め、紗良咲も玄弥の顔が見れなくなったのか、ずっと俯いていた。
これも青春の一ページ。
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