第二十八話 無限輪廻
少しだけ暗闇に目が慣れてきたのか、紗良咲は椅子に座らされて両手両足をガムテープで縛られ、椅子に貼り付けられた状態で坂口が動いている姿を視界に捕らえた。何か重いものを持ち上げては、床に下ろす鈍い音が聞こえる。
すでに朝陽は昇っている時間だというのに、この部屋は外界からの光が一切届いてこない。ただカーテンを閉めただけなら隙間から光が差し込むだろう。この家は上社でも比較的新しいもので、機密性が高いのかもしれない。雨戸やシャッターを閉め、さらにカーテンを閉めれば光を完全に遮断することができそうだ。
坂口の本性はやはり殺人犯だった。これまで彼に抱いていた印象は大きく変わり、夢幻が見えるという玄弥はこれに気づいていた。
いや、本当にこれが坂口の本性なのだろうか。まるで別人になったような、たとえ演技だとしてもこれだけ別人のようになれるのは俳優くらいのものだ。
「少しだけ話をしよう」
紗良咲の正面で仁王立ちする坂口が口を開いた。
「頭のいいお前はどこまで気づいている?」
「……」
この問いに答えてしまうと紗良咲は殺されるかもしれない。自分の推理がすべて当たっていないとしても、核心をついた事実に触れてしまっては口封じをされる。しかし、この状況では何をしても結果は変わらない。
こんな時間に玄弥が起きているはずもないし、何より彼に黙って行動している紗良咲が坂口の家に監禁されているなどと思わないだろう。
もし、ここで殺されてしまったら、玄弥の前に現れて彼と話すことはできるだろうか。玄弥に抱いているこの特別な感情を彼に伝えられるだろうか。できることなら生きているうちに伝えたかった。そして、彼がどう思っているのか、聞いてみたかった。
紗良咲は覚悟を決めた。
何も言わなくても殺されるなら、坂口の心の底を探ってやろう。坂口だって追い詰められているんだ。
「上社で久馬薫さんを殺したのは、あなたでしょ。ある事件の事実を隠蔽するために」
否定せずに坂口は紗良咲の言葉を聞いた。
「あなたは五年前、塾講師をしていた頃の教え子だった女子生徒と特別な関係にあった。でも、それは教育者としては許されないこと。そしてトラブルになった。殺意があったのか事故なのかはわからないけど、あなたは彼女を殺害した。彼女のスマホにはあなたと連絡を取っていた履歴が残っているから持ち去った。本来なら警察は被害者の身辺調査を徹底的に行う。だけど、藤城市内で起こっていた連続殺人がうまくミスリードしてくれた。警察は一連の事件のひとつだと判断して本腰を入れることはなかった。あなたにとっては都合がよかったはず」
坂口はここまで話を聞いても何も言わなかった。
それは紗良咲の指摘が事実と一致しているのか、それとも間違っているから否定する必要がないのか。光のない世界では表情を確認することもできない。
「そのスマホ、まだ持ってるんでしょ? スマホを捨てても誰かが見つける可能性がある。マジックのように消してしまえば見つからないけど、用心深いあなたなら自分で持っておくことを選ぶ」
確証はない。これは紗良咲なりに井口から得た情報と坂口の言動からプロファイリングした彼の性格から推測されるひとつの選択肢。しかし、その結果が点と点を結んで線となる。
「夢幻が見えるあなたは八代の本性を知っていた。偶然この土地に来たんじゃなくて、八代が狙いだった。八代が移住してきたタイミングで殺人が起これば、警察は容疑者として候補に挙げる。そして、八代が連続殺人の犯人だと判明すれば、あなたが殺害した女子生徒も八代に殺されたことにできる。複数の事件が同一犯の仕業だと先入観を持った警察は、単体の事件に目を向けることはない。八代がその中のひとつを否定しても信じない。あなたは自分の罪をなかったことした」
話し切った。
私の命はもうすぐ奪われる。
そう覚悟したが、視界が暗くても見えるのは玄弥の笑顔だった。身体が震え、自然と涙が溢れた。
死にたくない。
身体が心を隠すことはできなかった。
だが、坂口の反応は予想していたものと違った。
「やはりお前は憎いほどに優秀なようだ。この部屋を見る限りでは、この男が人を殺めたことに相違ないだろう。が、それが嘘か真か、我には興味がない」
「え?」
「この器が何を思って何をしようとしたか、そんなことはどうでもよいのだ。どうせ捨てるものだからな」
紗良咲は坂口の口調が明らかに彼のものではないことに気づいた。言葉遣いから現代のそれとは違うような、遠い過去の人と話すような感覚だった。
「我は新たな器を欲している。そして、それはまもなくこの場所に来る」
器?
坂口は何を言っている?
紗良咲の頭脳は常識の範囲内での思考に秀でているが、ここで起きている事象はその範疇を優に超えている。
「少し黙っていてもらおう。お前は愛する者の手で葬られるのだ。幸せなことだろう?」
坂口は紗良咲が言葉を発せないようガムテープで口を塞ぐ。それも頭の後ろを通して何重にも巻くようにきつく貼り付けた。
目の前の陰が手を挙げると、紗良咲は額に強い衝撃を受けた。暖かい液体が顔を伝ってゆっくりと流れ落ちる感覚がした。じんじんと痛みが走り、それが血液であることがわかった。
鈍器で殴られたらしい。
私はここで殺される。
光が届かないせいで視覚が制限されていたことに加えて、聴覚すらも麻痺してきた。意識が朦朧としていく。
微かにインターホンの音が脳まで届いた。
坂口は「来たか」と言って部屋を出た。
──ここは、結玄寺の和室。扇風機が暖かい風を循環させ、外からは蝉の声が飛び込んでくる日差しが強い灼熱の昼下がり。
隣にいるのは十年ほど前、まだ小学生だった玄弥。畳の上には古い書物が並んでおり、子供の紗良咲にはまったく理解できない筆で書かれた文字がそれらを彩る。
これが夢だということはすぐに理解できた。そして、これが現実にあった過去の出来事であることもよく覚えている。
夏休みの自由研究で上社の歴史について調べたいと玄弥が言ったことで玄徳に頼んで書物を特別に見せてもらうことにした。これらは結玄寺の家宝とも等しい代物で、汚したり破いたりしたら説教では済まない。
悪戯が好きだった玄弥も隣で玄徳の目が光っているため、迂闊に触ろうとはせずに意味がわからない書物をただ眺めていた。
本来であれば書物の中身は意味がわかってこそ記憶に残るもの。だが、視界を写真の如く保存することができる紗良咲は、これだけ時間が経過している記憶の理解できない書物を見ることができた。
高校生になり、あらゆる知識を蓄えた今なら、かつてより意味がわかる内容になっていた。
『夢幻は狂人を器として、幾度となく蘇る。器壊れし時、新たな器に移りゆく』
その一文は、上社の謎を解く鍵として紗良咲に衝撃を与えた。
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