第十八話 枯れた花
真子との通話を終えた後、玄弥はまったく予想していなかった結果に言葉を失った。
今は亡き玄弥の父、淳が十七年前に真子の事件を調べていた。そして、彼は何者かに殺害された。
淳に話を聞かれたことは誰にも話していないと真子は語った。そのとき淳に伝えた内容は、井浦に伝えたものと同じだった。犯人は男の人だったように思う、それ以外は何もわからない。だが、それを聞いた淳は深刻な様子だったと。
その後、淳が殺害されたことは真子に衝撃を与えた。それでも、彼女はこれ以上この件に関わることを恐れた。藤城高校を卒業して上社を離れるまで、真子は再び狙われるのではないかという恐怖と闘いながら暮らしたそうだ。
その話を聞いた玄弥が真子を責めるつもりはない。ずっと黙っていただけの玄弥がこの場で通話を聞いていたことを真子は知らない。
「父さんは、犯人を突き止めて殺されたんじゃ……」
「その可能性はあるけど、田口先生から聞いた話だけじゃ犯人はわからないよね。警察だって特定できてないんだし」
「紗良咲の考えが正しいなら、父さんを殺したのは八代ってことになるよな」
「あくまで推測だから。確証はないよ」
「父さんは八代とお酒をよく飲んでたって母さんが言ってたよな。なら、ふたりには接点がある。何かのきっかけで八代を疑った父さんは……」
「玄ちゃん、冷静になって。まだ何もわからない状況で先入観を持つのはよくないよ」
「そんなこと言われなくてもわかってんだよ!」
突然大声を出した玄弥に紗良咲は怯えたように身体を震わせた。
「ごめん」
玄弥は正座をして深く頭を下げた。
紗良咲だって玄弥の気持ちはわかっている。自分が生まれて間もなく父は亡くなり、それも殺人事件の被害者となった。祖父の玄徳は、淳を殺害したのは夢幻だと玄弥に言い続け、いつしか玄弥はそれを受け入れるようになった。
本気で信じたわけではない。だけど、そう思うことで恨みの対象が得体の知れない怪物になり、どう足掻いても復讐などできない存在だと自らに言い聞かせて生きてきた。
「あれ?」
玄弥はそのとき大きな違和感に気づいた。いや、もっと早くから気づいていてもおかしくなかったことなのに、意識するまでそのことを気にも留めていなかったという方が正しいか。
「どうしたの?」
「いや、じいちゃんは……」
玄弥が違和感の詳細を紗良咲に話そうとしたところでスマホが振動した。テーブルの上にあるそれは、大きく共鳴することでふたりの心臓を蹴りつけた。
着信の相手は井浦だった。坂口の件で何かわかったのかもしれない。
「もしもし」
「ぎゃああぁぁぁ!」
スマホの画面をタップして通話を開始すると、スピーカーモードになったスマホから井浦とは似ても似つかない声の人物が突然悲鳴をあげた。それは女の声で、何かを訴えようとしているような苦しいものに感じられた。
紗良咲は勢いよく玄弥の腕に飛びつき、力強く彼の胸に顔を埋める。玄弥もまた、恐怖で金縛りにあったかのように身体が硬直していた。
「もしもーし。玄弥、聞こえるか?」
悲鳴が消えた途端、井浦がいつもの穏やかな声色でこちらに語りかけてきた。それでもまだ呼吸が整わない紗良咲は玄弥から離れない。
「井浦さん、近くに誰かいる?」
「ん? まあ、街中だから通行人はいるが。どうかしたのか?」
「いや、女の人の声がして。悲鳴みたいな」
「悲鳴?」
「まあいいや。何かわかった?」
腑に落ちない井浦は「そうだそうだ」と坂口についてわかったことを報告しようとメモ帳をめくっているようだ。
「紗良咲ちゃんの読み通り、坂口さんが勤務していた塾の生徒に被害者がいた。事件が起こったのは五年前、被害者の名前は
「傷害事件の方は?」
「傷害事件があったのは遺体が発見された日の少し前。路上で酔っ払いのチンピラとトラブルになったのか、揉めたみたいでな。もっと掘り返せば何か出るかもしれんが、今わかってるのはそれくらいだ」
現状で判明した事実だけを端的に伝えた井浦だったが、通話を終えようとしたところで「あともうひとつ」と言葉を続けた。
「花山叶恵の事件だけ携帯電話が見つかってない。他の事件では特に盗られたものはなかったのに、その事件だけ被害者の携帯が見つからなかったみたいだ。犯人が盗ったのか、ただ失くしただけかはわからんが」
「携帯電話か……」
恐怖で固まっていた紗良咲だったが、井浦の報告により思考が活動し始めたようだ。玄弥は明らかになった情報を整理するために井浦との通話を終えることにした。
「わかった。傷害事件について何かわかったらまた教えて」
「これだけは言っとくぞ。絶対に無茶はすんなよ。特に、八代には気をつけろ」
「わかってる。何かわかったらすぐに井浦さんに連絡する」
「おう。またな」
井浦との通話を終えた玄弥は、深く深呼吸をした。井浦との通話が始まる前に突然室内に響き渡った女の悲鳴。あれは一体誰のものなのだろうか。夢幻に関係しているものかと思ったが、それなら紗良咲には聞こえないはず。
「なんだったんだ。あの声、紗良咲も聞いたよな?」
「うん。すごく苦しそうな声だった。辛そうで、可哀想な声だった」
思い出した紗良咲の手が小刻みに震え始めた。玄弥は彼女の小さな手を握って軽く力を込める。そんな些細な出来事が、紗良咲の心に安らぎを与えた。
「今は井浦さんの捜査を待とう。何か新しいことがわかれば、いろいろと見えてくるかもしれない」
「そうだね。まだ事実を知るには情報が少なすぎる」
時間は午後七時。すでに外は暗くなり、玄弥は自身が体感したより遥かに長時間をこの室内で過ごしていたらしい。
本来ならば紗良咲とふたりだけの時間を過ごすことは玄弥にとって何よりも楽しいものであるはずが、ひとつの事件がきっかけで何もかもが狂ってしまった。
これ以上居続けるのも申し訳なく思い、玄弥は帰宅することにした。
「俺、そろそろ帰るわ」
「もうこんな時間だったんだ。外暗いから気をつけてね」
「また帰ったら連絡する」
「うん、待ってるね」
紗良咲の部屋を出て廊下を進むと、玄関で仕事から戻った清正と会った。藤城市内で連続して発生している事件が、とうとう上社で起こった。市長として対応に追われる彼も随分疲れているようだ。
「玄弥くん、来てたのか」
「うん、もう帰るところ。お邪魔しました」
「気をつけて帰りなさい」
如月家から足を踏み出した玄弥は、結玄寺の方向に黒い渦を見た。
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