第十五話 凶悪の再来

 「玄弥、紗良咲ちゃん連れて寺で待ってろ」



 井浦に言われた玄弥は紗良咲と共に裏山を出た。坂口はその場に残って捜索を見届けると言い、ふたりが山道を戻る最中大きなシャベルをふたつ持った山下と擦れ違った。


 斜面を上って下る道中、紗良咲はずっと玄弥の腕を掴んだままで酷く動揺している様子だった。ずっと探していた、一度だったが話した薫があの場所に埋まっているのだとしたら、すでに彼女はこの世にいないことを意味する。誰がなんのために、よりも薫が何者かに殺害されたという事実が重くのしかかる。



 「紗良咲、大丈夫か?」


 「うん」



 結玄寺に戻って自宅のソファに紗良咲を座らせて、玄弥はお茶をコップに注いで彼女に渡した。聡子は何かがあったことを悟っているものの、あまりの憔悴を見せる紗良咲に気を遣って何も言わずにリビングを去った。母へは後で説明することにして、玄弥は紗良咲の隣に座る。


 今頃井浦たちはあの場所で土を掘り返している。そして、玄弥が見たものが幻覚でなければ、そこにいるのは薫だろう。高校生でもまだ子供の玄弥と紗良咲がそれを見れば、心の傷として深く刻まれることになる。大人だとしても同じことだ。坂口は強い意思で最後まで見届けることを選択した。



 「玄ちゃん、あそこで何を見たの?」


 「別に何も見てない」


 「嘘。最近玄ちゃんおかしいよ。耐えられないほどの頭痛で苦しんでるのに病院に行こうとしないし。坂口さんに近づくなとか、何かあるんでしょ?」



 すべては紗良咲のため、大切な彼女を怖がらせたくない、不安にさせたくない、その思いで黙ってきた。だが、それも限界に近い。頭のいい紗良咲はすでに気づいている。


 玄弥の顔に紗良咲の唇がつきそうなほどの距離で、彼女はまっすぐな視線を玄弥に向ける。こういう状況でなければ、玄弥の理性が壊されそうな場面であるが、そんなことを考えている余裕すら今の彼にはなかった。


 でも、一度放ってしまった言葉はもう取り返せない。このまま事実を伝えてしまっていいものだろうか。夢幻が実在することを伝えてしまっては、玄徳と交わした約束を反故にすることになる。



 「玄ちゃんが頭痛で苦しんだのは、二回とも私の家の前だった。その二回に共通したのは、八代さん。あの人がうちにいた」


 「八代さんがいた?」



 紗良咲は頷いた。


 玄弥も知らなかった。あの頭痛が八代に対して起こったものだったとは。確かに二回目の頭痛は八代の歓迎会があったときだった。だが、一回目はまだ八代が上社に移住する前だったはず。



 「八代さんが引っ越して来たのは日曜日。だけど、その前から転勤の準備で上社に来てたの」


 「そうだったのか」


 「それで私調べたの。十五年前、八代さんが上社から異動になって、どこで勤務してどこに住んでいたのか」


 「なんでそこまで……」



 そう言って紗良咲はスマホを取り出すと、保存してあった写真を玄弥に見せた。そこには藤城市内の地図があり、各地域の支所がある場所に印があった。その印には期間が記されており、それは八代が各支所に勤務した時期を示すものだった。



 「これを見てあることを思い出したの」



 紗良咲のスマホを持つ手が震えた。今にもそれを落としてしまいそうなほどに力を維持できず、彼女が知った事実がどれだけ恐ろしいものかを暗示していた。



 「藤城市内で殺人事件が起こった地域と時期がこの情報とほとんど一致した。連続殺人と言われてる若い女性を狙った一連の殺人事件と」



 一連の殺人が同一犯によるものだとニュースを騒がせていた頃、紗良咲はテレビ番組のボードに表示されている事件の発生した場所と日時を示した情報を見た。そして、彼女はそれを記憶した。いつでも脳内に呼び出せる写真のような情報として。


 紗良咲は八代に疑いを持ち、祖父の清正に八代のことを訊ねた。もちろん、この情報は清正がくれたものではない。個人情報を無断で他人に伝えることは法に反する。だから、いけないことだと知りつつも、紗良咲は祖父の目を盗んで彼の書斎を漁った。その結果が、彼女の記憶から見たことのある情報を呼び出した。



 「そんな、それじゃあ、八代が犯人なのか? 薫さんだけでなく、あの殺人事件すべてを……」


 「証拠はないよ。だけど、偶然にしては一致しすぎてる。それに、きっかけは十七年前なのかもしれない」


 「十七年前?」


 「田口先生の誘拐未遂。その犯人があの人だとしたら、そこからすべてが始まったのかも」



 玄弥は全身を走る鳥肌を抑えようと右手で左の二の腕を強く握った。


 玄弥と紗良咲の担任教師である田口真子は上社で生まれ育ち、十七年前高校生の頃にこの土地で誘拐されそうになりながらも逃げ出したことで事なきを得た。犯人はいまだに逮捕されていない。それは、当時交番勤務だった井浦がこの平和な上社で唯一覚えている未遂に終わった凶悪事件。


 玄弥が八代に見たこれまでにないほどの禍々しい邪気。紗良咲が頭脳を持って導いた事実。八代が上社に異動になったと同時に発生した薫の失踪。それらは幸か不幸か八代が元凶であることを裏付けている。


 紗良咲を巻き込まないようにひとりで抱え込もうとした玄弥の知らないところで、彼女は彼より先に恐ろしい事実を知った。これではもう隠し事をすることも無意味だろう。



 「俺には夢幻が見えるらしい」


 「夢幻って、言い伝えにあるあの?」


 「多分。自分でもよくわからないけど、今朝八代を見たときに真っ黒な……なんて説明すればいいか」


 「それを坂口さんにも見えたから、近づくなって言ったの?」



 玄弥は頷いた。紗良咲は理解が早く、それも玄弥の言葉を一切疑おうとしない。あのときは坂口が危険人物だと思っていた。しかし、八代を見た後では彼に見えた夢幻など弱々しいものに思える。


 仮に犯人が八代だとしたら、なぜ坂口にもそれが見えたのだろうか。


 紗良咲のポケットでスマホが振動した。静寂の中でそれは一際大きな存在感を放ち、彼女は着信の相手を見ると慌てて電話に出た。



 「乃愛さん、ごめんなさい」



 通話の相手は乃愛。すでに時間は昼休憩の半ばを過ぎた頃で、乃愛は玄弥と紗良咲が来るのを待っていたようだ。裏山で起こったことがあまりに衝撃的で、失礼ながら彼女のことをすっかり忘れてしまっていた。



 「はい、はい。また改めて」



 紗良咲は乃愛との通話を終えてため息をついた。こちらから押しかけておいて、乃愛に気を遣わせたことを申し訳なく思う。



 「このことは、井浦さんに相談した方がいいよね?」


 「そうだな。後で話そう」



 その後、上社には警察官や鑑識が集まり、事態は最悪の方向に進み始めた。その日の夜、上社で行方不明になっていた女子大学生が遺体で発見されたとの報道が全国に広がった。


 山中に埋められた薫は、身体中に刃物による刺し傷、切り傷があり、首を絞められた跡が残っていたそうだ。


 この上社で再び殺人事件が発生し、夢幻之郷は巨大な黒い渦に囲まれた。

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