第十四話 眠る場所

 玄弥と紗良咲は正午に再び上社支社を訪ねて乃愛から話を聞くことにした。歳が近くても学生ではなく社会人として働く彼女は、余程の事情がない限り簡単に予定を変更できない立場だ。


 結玄寺の前まで戻ってきたところで、玄弥は裏山への道にいる井浦を発見した。これから捜索を開始するところに見えるが、思っていたような雰囲気ではない。


 捜索といえば大人数で一斉に実施するイメージがあるが、そこにいたのは井浦と以前薫が失踪した日に彼と一緒に結玄寺に来た山下のふたりだけ。井浦は玄弥と紗良咲に気づいてこちらを見た。



 「学校はどうした?」


 「休んだ」


 「玄徳さんに怒られるぞ」


 「それより捜索は?」



 玄弥の質問に井浦は渋い表情をした。彼にとって想定外のことが起こったのだろうか。



 「藤城市内で事件があってな。ほとんどの捜査員がそっちに引っ張られた。上社に来れたのは俺らふたりだけ」



 井浦の言葉に紗良咲は裏山の奥の方を見つめて言う。



 「ふたりだけでこれだけの範囲を捜索なんて、終わらないよね?」


 「できるだけやる」



 すでに一度捜索された場所を再び捜索するとなって警察も意欲が削がれているようだ。


 だったら……。



 「俺らも手伝う」



 どうせ乃愛から話が聞けるのも昼になってから。その時間までは特にすることもないから、素人でもある程度力にはなるはず。



 「駄目だ。怪我でもしたら俺らが怒られるんだ。学生は宿題でもやってろ」


 「その捜索、私も手伝っていいですか?」



 井浦が玄弥の提案を否定したと同時に、彼らに割って入るように男性の声が飛び込んだ。声がした方向を見ると、そこにいたのは坂口だった。



 「坂口さん、お仕事では?」


 「勤務時間に縛りはありません。やることはやってますから」



 坂口は会社員であるが、リモートワークのため全国どこにいても仕事ができる。その分裁量は大きいのだろうが、井浦が気になるのはなぜ彼が捜索を手伝うのか、だ。最近上社に移住したばかりで薫との接点もない。



 「私は久馬さんと挨拶を交わした程度で上社に移住して間もない。それでもこの地の住人として、この場所で起こった事件は解決したいんです。安心して暮らすためにも」



 わからない。坂口は何かを知っているのか。


 玄弥の中では彼がもっとも怪しい人物だったが、先ほど八代を見たときにその考えは変わった。坂口に一度見た夢幻は、八代の悪意に満ちたそれに比べると些細なものだった。


 そもそも玄弥に見える夢幻が何を意味するものか、まだ何もわかっていない。薫の失踪が夢幻と関わりがあるのかも判明していない。


 いや、これは好機だ。



 「ひとりでも手は多い方がいいでしょ。俺らも手伝うから。駄目でも勝手にやる」


 「そうだな、勝手にやる。それがいい。刑事さんには迷惑をかけないようにします」



 玄弥と坂口の子供じみた理論に井浦はため息をついた。止めようとしても彼らは勝手にやる。そうさせないために見張っていれば捜索は進まない。辿り着いた答えはひとつだった。



 「わかった。その代わり、常に俺が見える範囲で行動すること。それでいいな?」


 「了解」



 玄弥の隣で呆れている紗良咲と、満足そうに頷く坂口。紗良咲は玄弥から坂口には近づかないように言われているのに、それを言った彼自身が坂口と協力しようとしていることが理解できないらしい。


 現実的にこれだけの範囲を井浦と山下のふたりだけで捜索することは非常に困難だ。リスクはあるが彼らの申し出もプラスに捉えよう、と井浦は「気をつけろよ」と裏山へと入っていく。


 刑事ふたりの後ろを付いていく玄弥、紗良咲、坂口の計五名は坂道を上って何かないかと左右を確認しながら歩みを進めた。見渡す限りに木々と地面を覆う枯葉があるだけ。すでに捜索されたであろう山の景色は以前と何も変わらないように見える。


 正午が近づいて晴れていた空が次第に雲に覆われた。天気予報によると雨は降らないはずだが、木に覆われた山の中は陽の光が届きにくく、曇りに変わるだけで夕方のように暗くなる。



 「玄ちゃん、そろそろお昼だよ」


 「もうそんな時間か」



 時間を忘れて捜索を続けていた玄弥は紗良咲に言われて乃愛との約束の時間が近づいていることを悟った。やはりこれだけの人数では捜索に限界があり、そもそもこの山に薫がいると決まったわけでもない。まったく見当違いの捜索をしていることもありうる。


 玄弥は井浦に用事があることを伝えようとすると、ふと坂口の姿が目に入った。彼は何もない場所を見つめて目を細める。


 玄弥は無意識にその方向に目をやった。すると、遠くの方向に人影が見えた。



 「あそこに誰かいる」


 「ん? どこ?」



 玄弥の視線の先を紗良咲が追ってみたが、彼女の瞳に人の姿は映らなかった。



 「ほら、あの向こうの木の辺り」



 井浦と山下が目を凝らしてみるも、彼らにも人の姿は見えないようだ。



 「俺にも何も見えないが。近づいてみるか」



 井浦に提案されて玄弥は先頭を歩いた。歩いてきた道とは反対の方向に斜面を下っていく。上社に住む人もこんな場所まで来ることはほとんどない。裏山のすぐそばに住んでいる玄弥ですら、ここまで来たことはなかった。



 「この場所は……」



 五人が降り立ったのは斜面の麓にある、そこだけ明るい光が届く平な六畳ほどの狭い空間だった。そこに木はないが、周囲と見比べても枯葉が散っているだけの特に変化のない場所。



 「今ここに人がいたんだけど、気のせいかな」


 「玄弥」



 玄弥の名前を呼んだ井浦の表情は硬かった。そして、井浦を見た玄弥は突然大声を上げて彼から距離を取った。その様子に紗良咲と山下も驚いて身構える。


 井浦の背後から黒い渦が空に向かって伸び、その渦から薫が現れた。ようやく探していた人が見つかった。そのはずなのに、彼女は生気が奪われたような白い顔と肌をしており、無表情で玄弥を見ている。



 「う、後ろ!」



 玄弥が井浦の方向を指差し、全員がその方向を見るも焦っているのは玄弥だけ。他の誰にも今彼が見ているものは見えていない。


 取り乱す玄弥を坂口が「落ち着いて」と両肩を揺すると、次の瞬間に薫の姿はなくなっていた。



 「深呼吸するんだ。大丈夫、ここには俺たちもいる」



 玄弥は坂口の指示通りに深呼吸をして心を落ち着けた。もう彼を怖がらせるものは何もない。井浦は玄弥の前まで歩みを寄せ、目線を合わせて訊ねた。



 「玄弥、何が見えた?」


 「薫さんが、そこにいた」


 「え? どういうこと?」



 理解を超える恐怖が紗良咲を包み、彼女は玄弥の腕にしがみつくように密着した。


 井浦は玄弥が指差す場所まで移動し、土を覆う枯葉を両手で払う。そして、その下には最近掘り起こされて再び埋められたような土の色が濃い場所があった。ちょうど人が入りそうな範囲に。



 「山下、掘るぞ」


 「え?」


 「シャベル持って来い!」


 「は、はい!」



 山下は慌てて斜面を駆け上がって、結玄寺に向かって走り出した。


 井浦の嫌な予感は次第に確信へと変わっていく。どういう偶然か。



 「ここは玄弥の父親が殺害された場所だ」



 井浦の淡々とした声色は、この夢幻の郷があえて薫を使って彼らをこの場所に導いたかのように木々の間を抜けて消えた。

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