第十三話 支所の闇

 まだ午前四時にもなっていない頃、玄弥はまた夢幻が父を殺害する夢を見て起床した。昨夜はいろいろ考え事をしてしまいなかなか寝付けなかったため、何時に眠りについたかは覚えていない。おそらく三時間も寝ていないというのに、なぜか頭はすっきりしてこれ以上寝ようとしても彼の意思とは反して身体を休めようとはしなかった。


 昨日井浦からの連絡で藤城市役所上社支所に所属する乃愛が薫の姿を結玄寺の裏山で見たことわかり、本日警察による捜索が行われることになった。


 すでに裏山一帯は捜索が済んでいるのだが、これだけ広いと見落としもある。警察や上社の住人たちは薫が生きていることを願いつつも、その望みは限りなく薄いことを覚悟していた。そこに目撃証言が出たことで一筋の光が差した。


 玄弥は紗良咲にチャットを送った。彼女はまだ眠っているだろうが、起きたらすぐに返事をくれるだろう。そう考えたのだが、玄弥が送信してから五秒ほどで既読がついた。


 そして、「わかった。私も今日は休む」と返ってきた。玄弥は学校を休むことを紗良咲に伝えた。薫のことで学校にいてもまともに授業を聞いていられる気がしない。普段でもさほど集中して聞いているわけではないのだが、今日に限っては別の次元で集中力を欠きそうだ。


 紗良咲はひとりでの登下校はできないので、もし彼女が学校に行くなら登校と下校は同行するつもりだった。一度藤城高校まで送り届けて上社に戻り、下校の時刻に合わせて再び藤城高校に向かうという二倍の距離を移動することになるが、それでも昼の時間は上社にいられる。


 すると、玄弥のスマホが振動した。画面には紗良咲の名前が表示されている。玄弥は静まり返った空間で眠っている聡子や玄徳のことを思って小声で応えた。



 「こんな時間に起きてるんだな」


 「眠れなくて」


 「どうした? 一睡もしてないのか?」


 「仮眠はとったよ」



 どうやら紗良咲も同じ状況らしい。そして、彼女は玄弥の思考をすでに読み取っているらしく。さすがは幼馴染、かつ秀才。



 「今日乃愛さんに話聞くんでしょ? 私も行きたい」


 「九時頃に支所に行くつもり」


 「うん、わかった」



 支所は八時四十五分から勤務が開始する。あらかじめ乃愛に都合のいい時間を聞いておいて、その時間に合わせて彼女から話を聞く。



 「学校休んで怒られないか?」


 「大丈夫だよ。仕事をしたくなくてそんな気分じゃないときもあるって、よくおじいちゃんがおばあちゃんに言ってるから」


 「珠代さんはそんな言い訳許してくれない気がするけど」


 「今は薫さんの方が大事なの。玄ちゃんも通学路を二往復したくないでしょ?」


 「それは確かに」



 玄弥は九時前に支所に着くように紗良咲を迎えに行くと約束して通話を終えた。


 次第に外が明るくなってきたが、時間の経過は遅いもので気持ちだけが先走る。玄徳はすでに掃除を開始し、聡子も朝食の準備を始めた。


 玄弥は部屋を出て聡子に学校を休むと伝えると、体調の問題かと訊ねられた。気分は優れないが、それは精神的な問題で身体は至って健康だ。


 本当なら学校を欠席することを許可されないだろうが、母は玄弥の思いを察して紗良咲に迷惑をかけないことを条件に認めてくれた。


 午前九時、玄弥と紗良咲は上社支所にやって来た。普段学生が訪ねる用事はない場所なので、随分久しぶりにその建物を見た気がする。市役所の支所という位置付けであるが、その建物はコンビニよりも小さいプレハブ小屋。


 そのプレハブの前で、玄弥は覚悟した。


 隣にいる紗良咲には悟られないように振る舞っているが、この建物の中にある禍々しい何かは目に見えなくとも彼に頭痛を引き起こさせた。紗良咲は返すべきかと思ったものの、ここまで来て帰れと言っても納得しないだろう。



 「おはようございます」



 先に入った紗良咲が挨拶すると、職員は全員立ち上がって彼女を迎えた。高校生である彼女はこの上社期待の秀才であり、彼らの上司である市長の孫。紗良咲自身は特別扱いを嫌うが、それでも大人の社会で生きる彼らにとってはそう簡単な話でもない。


 その中でも玄弥と紗良咲が訪ねた目的の人物、乃愛が最初に玄関に来た。


 乃愛は紗良咲を普通の女の子として扱ってくれる。まだ二十歳で年齢が近く、紗良咲の相談に乗ってくれる少しだけお姉さんの乃愛は上社支所の紅一点。田舎にいてもメイクと髪型を綺麗に整えて、現代の若者であることは放棄していない。



 「紗良咲ちゃん、こんな時間にどうしたの? ふたりとも学校は?」


 「学校は休みました。それより、ちょっとだけ話を聞きたいんですけど、今日時間ありますか?」


 「お昼休憩なら時間作れるけど、話って?」


 「詳しくはそのときに話します。十二時にまた来ますね」



 玄弥は一言も発さないまま、紗良咲と一緒に上社支所を出た。どうも彼の表情は堅く、不思議に思った紗良咲は玄弥に訊ねた。



 「どうしたの? また体調悪いの?」


 「奥でパソコン触ってたのは八代さんって人?」



 八代正嗣まさつぐは月曜日から上社に赴任した職員で、十五年前までこの地域に住んでいた。


 支所の中で玄弥の目はある人物を捉えた。その人は中年の男性で、奥のデスクでパソコンを触っていたが、彼の周囲を取り囲むように禍々しい黒い渦が漂っていた。それは、ときどき人の形になって玄弥を警戒するようにこちらを見ていた……のは気のせいかもしれないが、彼に何かあることは違いない。


 玄弥の質問に紗良咲は目を瞑った。こうして彼女は記憶の中の映像を見返して、奥にいた人物は誰だったのかを思い出す。



 「うん、そう。あの人が八代さん」


 「そうか」


 「それがどうかした?」


 「いや、あの人父さんのこと知ってるってこの前母さんが言ってただろ? だから、今度話できたらな、と思っただけ」


 「そうだよね。玄ちゃんが生まれる前のお父さんのこと、知りたいよね」



 本当はそれが目的ではない。あれだけの夢幻が憑いている人物はこれまで見たことがない。坂口とは比べものにならないくらいにおぞましいものだった。一刻も早くあの場所から離れたくて、玄弥は何も言わずに建物を出た。


 だが、そうなると坂口に見えた夢幻はなんだったのだろうか。彼らが繋がっていて、共犯という可能性もあるかもしれない。紗良咲には八代に近づかないように言っておきたいところだが、余計に意識させてしまうと却って危険に巻き込まれる恐れがある。



 「一旦帰ろう。また十二時に支所に来て、話を聞こう」


 「うん、わかった。警察の捜索はもう始まってるのかな?」


 「午前からとは聞いてるけど、戻って様子見てみるか」


 「そうだね。見つかるといいけど」



 ふたりは上社支所を離れて帰路についた。玄弥はちらっと振り返ると、支所はまだ薄らと黒い何かが飛び交っているのが見えた。


 八代正嗣。お前は一体何者だ。

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