第八話 小さな変化
金曜日、藤城高校は一週間最後の授業を終えて各教室で担任教師によるホームルームが行われていた。金曜日は円滑に終業ができるように各クラス最後の授業は担任教師が担当する科目と決まっている。これは生徒たちが早く部活動に参加したり遠方からの生徒は帰路につくことができるように配慮されているためでもあるが、昨今の働き方改革の波に乗るよう教師側にも利点がある。
田口真子は数学の授業を終えてすぐにホームルームを開始し、ものの五分でそれを締め括った。生徒はそれぞれ鞄に教科書やノートを詰め込んで教室を後にする。
結玄寺に滞在していた大学生の薫が行方不明になってから二日、警察が捜索を開始したためかマスコミが報道を始めた。玄弥の祖父である玄徳宛の電話が多く、それらのほとんどは薫の件について話が聞きたいというものだった。
本来はあまり大事にして騒ぎ立てることは避けるべきなのだが、彼女が上社、それどころか藤城市にいない可能性もあるとしてひとりでも多くの人にこの事件を知ってもらおうと玄徳は取材に応じている。
学校では玄弥の実家が結玄寺であることをクラスメイトたちが知っているので、興味本位でその話題を出す生徒がいた。薫の無事を本心から願っている玄弥と紗良咲は、それを快く思わずも波風を立てないようにさらっと流している。
「玄ちゃん、帰ろう?」
「すぐ準備するから待って」
紗良咲は常に整理整頓できているため帰り支度はすぐに終わるが、玄弥は教科書やノートを授業後机の中に詰め込む癖があり、下校の直前になって慌てて鞄に入れる作業を毎日行う。
紗良咲が玄弥のいつもと変わらない作業を見つめていると、背後から担任の真子が話しかけた。
「ねえ、如月さん。大学生の女の子が行方不明になった件だけど、何かわかった?」
「いえ、何も。警察も毎日上社で捜索しているみたいですけど、進展はありません」
紗良咲は祖父の清正から情報を聞き、進捗を把握していた。市長である彼も平和な上社で起こった失踪事件に頭を抱えているようだった。
「……そうなのね。無事だといいけど」
「本当に。そう願ってます」
真子は何か言いたそうであったが、すぐに教壇の上にある教科書やノートを回収して教室を出た。その間に玄弥は荷物をまとめて鞄を持つと、席を立って椅子を机に押し入れた。
「よし、帰ろ」
教室にまだ残っていた恵と護に「また月曜日」と告げると、彼らは手を振ってふたりを見送った。恵と護は毎日テニス部の活動があるので、大きな荷物を抱えて部室に向かう。彼らの部活動が終わる頃、やっと玄弥と紗良咲は上社に到着する。
学校の正門を出ると藤城駅まで徒歩で十五分の道のりがあり、そこから電車で上社にもっとも近い駅まで移動する。さらにその駅からバスに乗って終点である上社のバス停で降車して、自宅までの道のりを歩く。
田舎でよくあることだが、乗り換えのタイミングがうまく合わず、バスを待つ時間が長いことでふたりの通学時間はさらに長いものになるのだ。
帰り道は楽しい話をしたり勉強や将来の話をしながら進むふたりだが、薫の事件から会話はほとんどが彼女についての内容になった。
「警察が上社の人たちに話を聞いてるけど、まだ目撃情報はないみたい。防犯カメラでもあればどこに行ったか追えるんだろうけど、上社にはカメラがないから足取りがわからないって」
「そりゃそうだろ。田畑に挟まれた道がただ真っ直ぐ伸びてるだけだしな。道を逸れたらただの山だ」
「それで考えたんだけど、久馬さんが行方不明になる直前に上社に起こった変化って何かないかなって。で、ふと思ったのが上社に引っ越してきた坂口さん。仮に久馬さんが誰かに誘拐されて監禁されてるとしたら、怪しくない?」
「うーん、変化といえば確かにあり得るけど、久馬さんは上社の歴史を調べに来たんだから、引っ越してきたばかりの人に話聞きに行くか? それに、その人にも警察は話聞いてると思うけど」
「でももしだよ? 今回の件がこれまで藤城であった事件と関係してるとしたら、誰かが上社に移住してきたタイミングで事件が起こるのは疑うべきじゃない? さっき言ったけど上社には防犯カメラがない。だったら人目のつかないどこかで
紗良咲が言うことは一理ある。藤城市内で発生している殺人事件と関わりがあり、その犯人が仮に坂口であれば説明がつく。移住したばかりで犯行に出たとすれば杜撰ではあるが、犯罪者の心情などこちらに理解できるわけがない。
上社は長閑な田舎であるがゆえに人が少なく、死角と呼ばれるような場所は数多に存在する。誰かの家を訪問中に襲われたとは限らない。
紗良咲はその頭脳を利用してあらゆる本を読み、その中には推理小説も含まれているためか名探偵のような推理をすることがある。そして、これまで大きな事件との関わりはないが学校で起こった日常的な出来事は蓋を開けると大抵彼女の読み通りだった。
「明日は土曜日か。リモートワークができるような企業に勤める人なら、休みのはず。話聞けるかもな」
「待って。危ないから警察に任せようよ。私からおじいちゃんに話すからさ」
玄弥はあの日見た黒い渦について考えてみた。あれが不吉の前兆と呼ばれる夢幻だとしたら、犯人と会えばまた見えるかもしれない。しかし、その話は怖がりな紗良咲にはできない。だから、玄弥はひとりで坂口に会いに行くことに決めた。彼女を危険に巻き込むわけにはいかない。
「そうだな。紗良咲は清正さんにそのことを話してみてくれ。捜査の役に立つかもしれない」
「うん、わかった」
明日その坂口を訪ねてみよう。紗良咲には申し訳ないが、これは彼女を守るための嘘。
坂口の付近で夢幻を見れば、井浦に相談して彼を調べることもできるかもしれない。
せめて、薫が生きていてくれれば。まだその可能性を諦めるわけにはいかない。一刻も早く彼女の居場所を見つける。夢幻が見えるこの能力、ここで使わないでどこで発揮するというのだ。
次の休みは新しくできたショッピングモールに行く約束をしていたのだが、紗良咲とのデートはお預けになりそうだ。薫が発見されるまでは紗良咲もそんな気分にはならないだろう。
上社に近づくにつれて足取りが重くなっていく玄弥と、いつもより早いペースで歩む紗良咲だった。
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