第七話 見えぬ足跡

 「ただいま」



 学校を終えて帰宅した玄弥はいつもと何も変わることなく靴を脱いで廊下を進んだ。昨夜は久々に紗良咲がこの家を訪ねて一緒に食卓を囲んだ。さらに、三日前突然この家にやって来た大学生の薫もいて、宮司家はいつもの数倍明るい雰囲気の中にいた。



 「玄弥、おかえり。ねえ、帰りに薫ちゃん見なかった?」



 母の聡子がスマホを手に持ったまま自室の障子に手をかけた玄弥に訊ねた。



 「いや、見てないけど。帰ってないの?」


 「まだ帰って来ないのよ。もう何度も電話してるんだけど、折り返しもなくて」



 昨日夕食の場で薫は上社の人に話を訊きたいと言っていた。暗くなる前には戻ると言っていたが、外はすでに街灯がないと視界が限られるほどの暗闇に包まれていた。玄弥は薫の連絡先を知らされていないのが、何かあったときのために聡子は連絡が取れるようにしていたらしい。


 初日の薫の様子なら、興味深い何かを発見したら我を忘れるほどに熱中して時間を忘れることが多々ありそうだが、さすがにあれだけ若い人がスマホの着信に長時間気づかないことがあるだろうか。


 彼女が持って来た荷物もまだこの家に残っているし、朝家を出る薫は軽装備だったと聡子は言う。誰にも何も言わずに調査を終えたからと上社を去ることはないだろう。



 「じいちゃんは?」


 「今いろんな人に電話かけて薫ちゃんと会ってないか確認してるところ」


 「そっか。俺、ちょっとこの辺り見てくるわ」


 「暗いから気をつけてね。遠くには行かないようにして」


 「うい。なんかわかったら電話する」



 玄弥は通学用の鞄を部屋に置くと、制服のまま先ほど脱いだばかりの靴を履いて戸を開けた。外は闇の中。藤城市の中心とは違い、上社に人工的な灯りは少ない。所々にある街灯と、自然の光のみが頼りの捜索が始まった。


 紗良咲と別れたばかりの如月家の前を通り、民家がある場所を選んで一通り走ったが、誰の姿もなかった。なんだかわからないが、嫌な予感がする。なぜかそのとき、玄弥は一昨日見た上空の黒い渦を思い出した。さらに昨日、結玄寺の手前で何者かの視線を背中越しに感じた。


 あれは幻覚でも気のせいでもなく、何かが玄弥に警告していたのだろうか。それらが薫のことと関係しているかは不明だが、今は彼女を早く見つけないと大変なことが起こりそうだ。


 一度自宅に戻ろうと如月家の前を通りかかったとき、玄弥のスマホに着信があった。母から無事薫が見つかったという連絡であればいいのだが、その相手は紗良咲だった。



 「もしもし」


 「玄ちゃん、久馬さんまだ帰ってないの?」


 「ああ、この辺り探してみたけど、どこにもいない。今ちょうど紗良咲の家の前」


 「ちょっと待って。外出るから」



 紗良咲が電話を切ると、すぐに玄関が開いて彼女が駆け足で門まで出て来た。彼女は風呂に入った後で、服装はすでに部屋着に変わっていた。



 「玄徳さんからうちに連絡があったって聞いて」


 「久馬さんは今日紗良咲の家に来たのか?」


 「うん、おじいちゃんは仕事でいなくて、おばあちゃんが話したって。でも来たのは午前で話した時間も短かったら、その後は知らないって」


 「そうか。なら、他の家にも行ってそうだな」



 上社の家に片っ端から電話をかけて確認している玄徳なら、すでに薫の動きがある程度わかったかもしれない。



 「俺一旦家戻ってみる。なんかわかったかもしれないし」


 「うん、何かわかったら連絡してね」



 紗良咲と別れた玄弥は走って結玄寺の庭を通り、自宅の戸を開けた。玄関の靴を見る限りまだ薫は戻っていないようだ。


 玄弥は靴を脱いで廊下を早歩きで進み、聡子を探した。居間で難しい顔をして腕を組む玄徳と、彼と向かい合ってスマホを両手で握る聡子が玄弥を見た。



 「どうだった?」


 「駄目だ、どこにもいない」



 考え事をしていた玄徳はとうとう決断を下した。



 「そうか。警察に連絡しよう。何かあってからでは遅い」



 そう言って、彼はすぐに警察に連絡を入れた。夜遅い時間ではあるが、玄徳が緊急事態であることを強調したため、これから上社に警察官が派遣されるという。


 玄弥がまだ幼かった頃、この上社には駐在所があって警察官が常駐していた。あの頃はまだ学生が住んでいたこともあり、この辺りは今ほど過疎地域と感じさせることはなかった。犯罪なんて無縁な地域ではあったが、有事の際に対応できるようにと駐在がいた。


 しかし、その交番は十年前に閉鎖された。事件がほとんど起こらない、あったとしてもペットがいなくなった、物を失くしたくらいの日常的なトラブルの範疇でしか活動がなかったためか、経費削減で標的になったのが、この上社交番だった。


 警察官がいなくても平和に暮らせるならそれがもっともいいことだが、いざ何かが起こると困る。医者にしても然りで、田舎は何を手に入れるのにも都会に比べて莫大な時間と労力がかかる。


 本来なら夕食の時間だが、この状況では食欲がまったく湧いてこない。聡子のスマホに連絡が入ることもなく、時間だけが流れていく。



 「久馬さんは今日だけでいろんな人と会っていたそうだ。わかった範囲で最後に会ったのは健吉けんきちさんだった。夕方のことだから、今から三時間ほど前か」



 田口健吉はこの上社にもっとも古くから住んでいる住人であり、玄弥の担任教師である真子の祖父にあたる人物だ。彼は上社の歴史伝承に詳しく、誰よりも長く実際にこの地域と共に生きてきた。薫が話を聞きたいとしたら、まさに健吉が最適である。


 健吉の家は先ほど玄弥が走り回った民家の中のひとつだが、薫がその辺りにいたことは間違いない。問題は、その後彼女がどのような行動をして、今どこにいるかだ。


 三十分ほどで自宅のインターホンが鳴り、玄徳が玄関に向かうと廊下から男性の声が聞こえた。会話の内容から警察官が到着したらしい。



 「お入りください」



 玄徳が警官をふたり連れてリビングにやってきた。



 「久しぶりだな。玄弥」


 「……井浦いうらさん?」


 「あの小さかった玄弥も高校生か」



 やってきた警察官、正確にはスーツの刑事のひとりは玄弥の知った顔だった。


 井浦克彰かつあきは藤城警察署の刑事課に所属する刑事だが、十年前まで上社交番で駐在だった人物だ。まだ小学生だった頃の玄弥は毎日彼と顔を合わせてはおしゃべりをしていた。紗良咲も彼を知っている。


 彼は度々玄弥の父である淳の墓に参るために上社に足を運んでいて、その都度玄弥に会ってから帰る。しかし、玄弥が高校生になってからは帰りが遅くなり、なかなか会う機会がなかった。



 「偶然上社方面に来ていてな。玄徳さんから通報があったと聞いて俺らが来ることになった。こっちは同じ藤城警察署刑事課の山下やました



 井浦はもう五十歳手前のベテラン警察官で、一緒に来た山下はまだ三十歳前後の若い男性刑事だった。



 「玄徳さん、早速ですが詳しくお話伺えますか?」


 「ええ。どうぞ、掛けてください」



 井浦との久々の再会を喜んでいる時間もなく、玄徳は薫について話し始めた。


 突然行方不明になった大学生。彼女は一体どこに。

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