第三話 黒い渦
最寄りのバス停に到着したとき、辺りはすでに薄暗かった。いつもと同じことなのだが、秋になると日が沈む時間が早くなり、一層暗くなっているように感じる。これから日は次第に短くなっていき、雪が積もればさらに帰宅は遅くなる。
玄弥と紗良咲はバス停から今朝歩いた道を引き返していた。藤城高校の付近は住宅やコンビニもあり街灯も相まって夜でも明るいのだが、この上社は対照的に暗い。
日中は田畑と山が長閑な古き良き日本を感じさせるが、夜は途端に何も見えなくなる。街灯も数百メートルにひとつあるだけで車が通ることも滅多にない。怖がりな紗良咲は玄弥と一緒にいないと恐怖で足がすくむほどだ。
だから紗良咲は玄弥が病気なんかで欠席するときは、彼女も学校に行かない。学校側はそんな事情を容認しており、優秀な紗良咲は自宅でも自主学習ができると信頼されている。
「紗良咲のおかげで宿題終わってよかったわ。ありがとな」
「これで明日田口先生に怒られなくて済むね」
「たぐっちゃん最近俺に厳しいよな」
「玄ちゃんが宿題サボるからでしょ?」
「ははっ、ぐうの音も出ない」
帰り道はできるだけ明るいトーンで話しながら帰ることにしている。それは紗良咲ができるだけ暗がりを歩いていることから気を紛らわすことができるようにという玄弥の計らいであった。
小学生の頃冗談で幽霊がいると話した日には、紗良咲が号泣してその場から動けなくなり、帰宅した後祖父に大説教をくらったことは今でも覚えている。
玄弥の祖父は紗良咲の祖父と古い仲であり、今でも住職と市長は交流がある。だから、紗良咲のことは怖がらせない。何があっても彼女のことは玄弥が守ると決めていて、彼らともそう約束を交わした。
「ねえ、玄ちゃん」
「ん? どうした?」
「今度の休み、一緒に出かけない?」
「どっか行きたいところでもあんの?」
「買い物。最近できたショッピングモールあるでしょ? 結構遠いからひとりだと遅くなったとき怖いし。ご飯奢るよ」
紗良咲が言うショッピングモールは藤城市の郊外にできた複合商業施設で、若い女性に人気のブランドやアパレル、メイクアップ道具を扱う店が一箇所に集まる夢の国。高校で女子たちがその話題で盛り上がっていた。
「ご飯奢られなくても一緒に行く。紗良咲ひとりじゃ危ないし」
「心配してくれるんだ。なんか嬉しいな」
「心配っていうか、お前怖がりだろ。今日宿題手伝ってもらったから、そのお返ししないとって思っただけだよ」
玄弥は心の中で大きくため息をついた。普通なら気になる女子とデートの約束をしたら舞い上がるものだが、紗良咲の反応が乙女だと恥ずかしくなって照れ隠しをしてしまう。
暗闇の中を他愛のない話をしながら進む。こんな日常も永遠に続くことはなく、同じ高校に通うのもあと一年半を切った。受験前には通学することも少なくなるだろうし、大学生になったら紗良咲はきっと玄弥が手の届かない場所に行ってしまうだろう。
しばらく歩くと、紗良咲の自宅が見えてきた。今日も何事もなく無事に彼女を家まで送り届けることができた。と、思ったのだが、なぜかその瞬間玄弥は酷い頭痛に襲われた。
「痛え……。なんだこれ」
「大丈夫? 頭痛いの?」
玄弥は目を強く瞑って痛みが止むまでなんとか耐えようとした。しかし、それはますます威力を増して玄弥の心を蝕んでいく。今まで経験した頭痛のどれとも違う。何者かが脳内に侵入して頭を掻き回すような、言葉では説明し難い痛みと気持ち悪さがあった。
玄弥はとうとう立っていられずに地面に膝をついて頭を抱えたままうずくまった。目を瞑っている暗闇の中で薄らと脳裏に映るその光景は、何度も夢に見た父の最期。まだ生まれたばかりの玄弥が知るはずのない出来事。
「どうした? 大丈夫か?」
「おじいちゃん、玄ちゃんが!」
騒ぎを聞きつけた紗良咲の祖父、
頭を抱えて苦しむ玄弥の様子を伺いながら、救急車を呼ぼうとポケットからスマホを取り出したところで、玄弥は突然何事もなかったかのように立ち上がった。
その姿はまるで、玄弥とはまったく異なる誰か。見開いた目は、満天の星空の中に何か邪悪なものを捉えているようだった。
「なんだよこれ。何かが起こるのか。この上社で」
「玄ちゃん? どういうこと?」
「大丈夫なのか、玄弥くん」
苦しんで悶えていたことが嘘のように、玄弥は無表情になった。そして、視線を落とした彼は微笑んだ。
「ごめん、なんでもない。清正さん、ありがとう。もう大丈夫だから」
「そうか、それならいいんだが」
「俺行くわ。紗良咲、また明日な」
「うん、またね……」
どうにも腑に落ちない紗良咲を清正に預けて、玄弥は結玄寺までの道のりを駆け足で通り抜ける。家に戻って祖父に話さなければ、酷い頭痛の中で見たのはきっと
何か不吉なことが起こる前兆とされるそれは、玄弥の父を殺した存在。それがまた動き出したとすれば、この郷で誰かが犠牲になるかもしれない。
結玄寺はかつてこの上社が
現代では単なる伝承でしかないことの話を本当の意味で信じる者はいない。
だが、玄弥は確信していた。なぜなら、父が命を落とした日、祖父である
玄弥は息を切らして結玄寺までの道を脱兎のごとく走り、実家の扉を開いた。
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