あの家はいけない

せなね

 

 Aさんは某テレビ局にてADをしていた。

 そんな彼が、ある心霊番組のロケの最中に、妙な体験をしたそうだ。

 「今から※※市に向かうぞ」

 とあるロケを終え、皆が撤収作業をしている最中に、突如ディレクターがそう宣言した。

 「え、※※市って…そんなんスケジュールに無いですよ?」

 チーフADが言った。

 「そりゃそうだ。今、オレが決めたから」

 そのディレクターは気まぐれなことで有名だった。また悪い病気が始まった、とAさん含めスタッフ全員が内心でため息を吐いた。

 「でも、※※市って、いったい何しに行くんですか?」

 「何をしに行くもクソも無いだろ。オレたちは何のロケしてると思ってんだよ」

 「それは、もちろん、心霊特番のロケですけど…」

 「なら、行く場所は決まってんだろ。『そういうところ』だよ」

 『そういうところ』…つまりは、心霊スポット、もしくは、それに準ずる場所ということだ。

 「はぁ…。いや、でもオレ、※※市の辺りに親戚がいるから結構知っているんですけど、あそこにそんな場所ありましたっけ? 聞いたことないですよ」

 チーフADが首を傾げている。それを見て、ディレクターは凶暴とも言える笑みを浮かべた。

 「そりゃ本気の本気で危ない場所だからな。『ホンモノ』の人が口を揃えて、あそこには絶対に近づくなって言うくらいの所だ。隠されてるんだよ、意図的にな」

 「またまた、そんな…」

 チーフADは、ご冗談をと言わんばかりに笑みを浮かべようとしたが、うまく笑うことができなかった。頬が引き攣っている。

 そのディレクターは心霊特番にその人ありと言われるほどの名物ディレクターであった。当然、『そっちの道』に関する知識とコネは相当なものである。単にスタッフを脅かす目的でないのだとすれば、彼が行かんとしている場所は、本当にマズイところの可能性がある。気づけば、スタッフ全員が押し黙っていた。

 「ぷっ…」

 その沈黙を破るように、ディレクターの哄笑が辺りに響き渡った。

 「冗談冗談。お前らビビり過ぎだろ? 心配しなくても、これから行く所は、そんなヤバイ所じゃねぇよ」

 だから心配すんな、と再度ディレクターは繰り返した。

 スタッフ全員の緊張が、ふっと緩んだ。誰かが、「何だ、そうだったのか」と言ったのを皮切りに、全員に笑みが溢れた。Aさんも笑っていた。が、その中で、1人だけ、笑っていない者がいた。

 チーフADである。



         ※



 ※※市へ移動するバスの中で、AさんはたまたまチーフADの隣になった。彼は無類のお喋り好きで、移動の最中はずっと誰かと益も無い話をしているのだが、この時は珍しく黙り込んでいた。疲れているのだろうか、と考えはしたものの、先程の彼の意味ありげな沈黙が頭をよぎる。チーフADの顔は青く、何事かを恐れているようだった。

 「あの、※※さん、何かあったんですか?」

 AさんはチーフADの名を呼んだ。彼はAさんの方にちらりと視線を向け、「ああ」「うん」「いや」などと、煮え切らない独り言を言った後、意を決したように顔を上げた。

 「・・・ここだけの話にしとけよ。さっき、Dがこれから行くのは、『ホンモノ』の人が絶対に近づくなと言った場所だって言ったろ? それで俺、思い出しちゃったんだ。さっきは※※市に心霊スポットなんて無いって言ったんだけど、『何があっても絶対に近づくな』っていう場所はあったんだよ」

 子どもの頃の話だ、と言い、チーフADは話し始めた。



          ※



 これもさっき話したことだけど、俺には※※市に親戚がいてな。そこに、歳が同じの従兄弟がいたんだ。そいつの親は俺の親父の弟にあたる人なんだけど、昔から兄弟仲が良くてな。しょっちゅう叔父さんの家に家族ぐるみで遊びに行っていたんだ。

 従兄弟の名前はタケオと言った。俺はそいつのことをタケちゃんって呼んでた。

 ある日の夏のことだ。俺は、タケちゃんと一緒に昼の心霊特番を見ていた。・・・そう、他局で放送しているあの番組のことだよ。それを見ていてさ、ふとタケちゃんがこう言ったんだ。

 ーーー肝試しごっこしようぜ、って。

 当時、俺たちは小学校4年生くらいのガキだった。夜中に家を抜けだすなんて逆立ちしても出来やしない。真昼間に肝試しなんかやっても仕方無いだろって、俺が言うと、タケちゃんはニヤリと笑って、こう言った。

 ーーーいいところがあるんだよ。

 そうしてタケちゃんに連れてこられたのが、『あの家』だった。



 叔父さんの家から自転車で15分ほど離れた場所に、その家は建っていた。

 古臭い平屋の木造住宅だ。一体いつからその場所に建っているのか、屏は蔦と苔で覆い隠され、家屋の外壁は真っ黒で腐りかけていた。庭は荒れ放題で雑草だらけ。そのくせ、何故か玄関に続く道だけは綺麗に草が刈り取られていた。その時の俺はまだ砂利ガキだったのに、それを見てひどく気持ち悪いと感じた。

 こんな家に誰かが出入りしている。

 そのことが、たまらなく気持ち悪かったんだ。

 「ねぇ、タケちゃん。ここ、『何』なの?」

 気付けば、俺はタケちゃんの服の裾を引っ張っていた。タケちゃんは振り返って、にぃっと笑い、

 「大人が、ここだけは絶対に近づくなって言ってる、やばいとこ」

 と、言った。

 その顔が、何だかいつものタケちゃんらしくなくてさ。俺はゾッとしたよ。まるで動物園の猿が歯を剥いているような、そんな気味の悪い笑みだった。

 「タケちゃん、ここ、ダメだよ。絶対、入んない方がいい。帰ろ? ねぇ、帰ろ?」

 俺はタケちゃんの服の裾を何度も引っ張った。でも、タケちゃんはてんで聞きやしない。

 それどころか、俺を無視して、どんどん家の中に入っていこうとするんだ。

 俺は必死で止めたよ。でも、タケちゃんはすごい力でさ、まるで大人みたいな力だったよ。両足で踏ん張って服を引っ張ってるのに、びくともしなかった。

 「タケちゃん!」

 俺は大声で叫んだ。


 ーーーその時、『それ』と目が合った。


 廃屋のガラス窓だ。年月ですっかりくすんでしまったそこに、『何か』が見えた。

 最初、それが何なのか分からなかった。いや、分かっていたんだけど、脳が理解することを拒否したんだと思う。窓から見えたもの、それはーー


 無数の人の顔だった。


 1人や2人じゃない。幅が2メートルも無いような小さな窓に、びっしりと人の顔があったんだ。そいつらは、みんな笑って俺たちのことを見ていた。スマイリーマークってあるだろ? あんなような、絵に描いたような非人間的な笑みだった。

 全員が、同じ顔で、同じ笑顔で笑っていた。

 それが何人も何人も窓の中に群がっていて、俺とタケちゃんをじっと見つめているんだ。俺は堪らず叫んだよ。

 「タケちゃん!」

 タケちゃんが振り返った。


 タケちゃんも、同じ顔で笑っていた。


 「ひいぃぃぃ!」

 俺は腰を抜かしてしまった。と、同時に、服の裾から手を離してしまった。タケちゃんはズンズンと大股で歩いて行き、廃屋の玄関口に手をかけた。


 ーーーダメだ、タケちゃん! そこを開けちゃダメだ!


 そう叫びたかった。でも、どうしても声が出せない。俺は恐怖のあまり、完全に萎縮し切っていたんだ。

 ガラッ、と玄関のドアが微かに動く音がした。

 もうダメだ。

 俺が諦めて目を瞑った時だ。


 後ろから、誰かが猛スピードで走ってきた。


 その誰かはタケちゃんの襟首を掴むと、門扉の外へ放り投げた。タケちゃんの身体が砂埃を上げながらぐるぐると回転する。

 知らない爺さんだった。

 その爺さんはタケちゃんが開きかけた玄関を叩きつけるように閉め直すと大急ぎで折り返し、腰を抜かしてへたり込んでいる俺の襟首を掴んで門扉の外へ走った。

 「撒け!」

 爺さんがそう叫ぶと同時に、周囲にいた近隣住民らしき老人たちが、何かを手にして廃屋の方へ駆け寄ってきた。老人たちはてんで違うものを手にしていた。それが何だったのか、何の意味があったのかは、正確には分からない。でも、その中の一つは塩だったと思う。それらを、殴りつけるようにして廃屋の中へ撒いていく。俺はへたり込んだまま、何も言えずにその光景を眺めていた。

 俺たちを助けてくれた爺さんは、しばらく荒い息を吐いていたが、やがて赤い顔でツカツカと俺たちの前にやって来ると、拳骨で思い切り頭を殴りつけた。

 「クソガキどもめっ! お前ら、どこの家のガキだっ!」

 それから後は、もう大惨事よ。

 駆けつけた親に怒鳴られ殴られ、俺とタケちゃんはけちょんけちょんにされたよ。しかも、その後、俺たちの親同士も喧嘩を始めちゃってさ、


 『なんで※※のことをお前のガキに教えておかなかった! バカなのかよ、お前!』


 『市外に住んでるんだから必要ないだろ! それより、お前のガキは何考えてるんだ! お前こそウチのを巻き込みやがって!』


 そんな感じで、警察沙汰になるレベルの取っ組み合いになってな。叔父さん一家とは、もうそれっきり。完全な絶縁だよ。 

 それからしばらくして、俺は※※っていう神社に1週間ほど預けられた。お前は知らんだろうが、『その道』では有名な所でな。そこの神主さんに、入念に祓って貰ったんだ。

 ーーーキミは、もう大丈夫。

 神社を辞する際、神主さんにそう言われた。ただ、大丈夫という割に、その表情は曇っていた。俺はバカな子どもなりに、神主さんが何でそんな表情をしているのか、気付いてしまったよ。


 ーーーキミ『は』、もう大丈夫。


 数年が経った後、ある親戚からタケちゃんが行方不明になったって聞いた。

 その日、タケちゃんは確かに帰宅したはずなのに、晩飯の時間になっても部屋から出てこなかった。不審に思った親がタケちゃんの部屋を覗きに行くと、そこにタケちゃんの姿は無かったそうだ。財布は手付かず、靴も玄関に放置したまま。タケちゃんは、煙のように自分の家から姿を消してしまったーー



 「あれから20年以上経った。あれだけ酷い思いをしたのに、何で俺は忘れちまっていたのかねぇ…」

 チーフADは、遠い目をしていた。

 おそらく、あまりにも強烈な体験のため、記憶に固く封をしていたのだろう。Aさんが指摘するまでもなく、それはチーフADも分かっている様子だった。

 「・・・もしも、今からDが行こうとしている場所があの家だったら、俺は降りる」

 お前もそうしろ、と言い、チーフADは静かに目を瞑った。



         ※



 その廃屋は奇妙な場所にあった。

 ※※市の中心街からほんの僅かに離れた場所にある住宅街ーー住宅街『だった』ものの端っこに、隠れるようにして建っていた。

 「この辺りな、軒並み空き家なんだよ」

 ディレクターが独り言のように言った。

 「これでも10年くらい前はそこそこ賑わってる住宅街だったんだ。当時、大規模な分譲が行われてな、土地が安かったこともあって、多くの若い家族がこの周辺に家を建てたらしい。が、ものの数年でこの様だよ。この辺りにはもう、誰も住んでやいないらしい」

 人が離れた理由は、不明『ということ』になっている。市がテコ入れや再開発に着手することなく、この地域一帯を完全に無視しているのも、不明『ということ』になっているらしい。

 「さて、それじゃあ、行くとしますか」

 廃屋を前にして、ディレクターがスタッフ全員を見回して言った。

 みんな暗い顔をし、不安そうにお互いの顔を覗いていた。

 皆の脳裏には、先程のディレクターとチーフADのやり取りがあった。

 チーフADは取材先がここだと悟ると、ディレクターに「ここだけは絶対にダメだ」と猛抗議した。が、ディレクターは聞き入れず、長い押し問答の末、2人は喧嘩別れとなった。

 チーフADは社員証を地面に叩きつけ、帰っていった。

 「あいつ、なんか分からんがすげぇびびってたけど、ここはマジで危ないところとかそんなんじゃないからな? 安心しろよお前ら」

 そう言って、ディレクターは笑った。今度は誰も笑わず、何も言わなかった。

 ディレクターの笑みが、引き潮のように引いていく。

 廃屋の外観は、先程のチーフADの話とまるで同じだった。蔦と苔だらけの屏、木材が腐った外壁、雑草まみれの庭。そして、何故か玄関に至る道だけは綺麗に雑草が刈り取られている所も、何もかもが話の通りであった。

 Aさんはちらりと窓を見やった。経年劣化によりすっかり濁った乳白色をしているその窓に、今の所、人影は見えない。しかしーー

 Aさんは、何とも言えぬ怖気を覚えた。

 まるであの窓の奥から、何かがこちらを見つめているような気がしてーー

 「さあ、いよいよご開帳だぞ。気合い入れろよ、お前ら」

 いつの間にか、ディレクターは玄関の扉に手をかけていた。カメラマン、照明、音声、その他のスタッフが、一斉に唾を飲む音が聞こえた気がした。

 ディレクターはレポーター代わりにマイクを持ってカメラの前に立っている。そのカメラマンの横に、補助役としてAさんは立っていた。

 強烈な逃走願望が胸の奥から鉄砲水のように溢れてくる。

 やっぱり、やめにしましょうよ。

 その言葉が喉まででかかった時、

 「カメラOKだよな? それじゃあ、開けるぞ」

 ディレクターは、扉を開けてしまった。


 ーーーえ?


 皆が、一斉にそう言った。

 レポーター役以外が撮影中に声を入れるなど御法度である。それは皆分かっているのに、誰もが困惑の声を上げざるを得なかった。


 玄関を開けると、そこには奥が見えない程の長い廊下が続いていた。


 左右には廃屋に似つかわしく無い新品のような襖があり、それが奥までずっと続いている。

 ありえないことだった。

 廃屋の大きさはせいぜい普通の一軒家程度。むしろそれより小さいくらいである。何がどうなろうが、こんな奥が見えない程の廊下が存在するわけが無い。

 ディレクターが、マイクを落とした。


 ーーーばんっ


 それを皮切りにしたかのように、廊下の奥から妙な音がした。


 ーーーばんっ、ばんっ


 ーーーばんっ、ばんっ、ばんっ


 音が次々と連鎖していく。

 廊下の奥の方から、何やら動きがあるのが見えた。目を凝らすまでもなく、それは左右の襖が奥からこちら側にかけて次々と開いていく音だということに気がついた。

 あっ、と声をあげる間すら無かった。襖は、ほぼ一斉といって良い速さで開いた。そして、Aさんたちのすぐ側の襖が開かれると、音はそれきり止み、しんとした静寂が走った。

 襖の奥は真っ暗である。

 まだ陽のある時刻だ。それに加え、Aさんの後ろには撮影用の照明がある。それなのに、その闇の奥を何も見ることが出来ない。

 Aさんの全身に、冷たいものが走った。


 ーーーそして、『それ』が現れた。


 襖から、人間の頭が次々と出て来る。男もいれば女もいる。老人もいれば子どもいた。廊下の奥から何人も何人も、数え切れない程の人間が顔を出す。そして、その全員が同じ表情で笑っていた。

 まるでスマイリーマークのような、非人間的な表情。

 誰かが、悲鳴を上げた。

 それで堰が切られた。Aさんたちは、我先にと廃屋から逃げ出した。


     

         ※



 その後、ディレクターは自宅で行方不明になった。

 彼の息子はまだ幼く、一人で用を足せない。介添としてディレクターは息子と一緒にトイレに入ったのだがーー

 

 ーーートイレの中が、ぐーんってなってて、知らない人がいっぱいいた。


 息子の証言である。

 それを見た途端、ディレクターは我が子を突き飛ばしてトイレの外に出したそうだ。彼も続こうとしたらしいのだが、


 ーーー手がいっぱいいっぱい出てきた。


 それが、ディレクターを引きずり込んだそうだ。

 泣き声を聞いた妻が駆けつける。息子はトイレを指差し、おとうさんが連れていかれた、と答えた。妻は中を確認したが、トイレは普段通りで、何の異常も無かったそうである。


 カメラマンは、あるスタジオで収録の最中、ちょっとタバコ休憩に行くと言ったきり、行方が分からなくなった。

 その日、スタジオにいた何人もの人間が、『へんな笑い方をしている人間』を見た、と証言している。


 照明は、帰宅途中に行方不明になった。

 その日、信号待ちをしている車が動かない、という通報が警察に相次いだ。駆けつけた警察が車内を改めると、そこには誰の姿もなく、キーが差しっぱなしの状態で放置されていた。それが、照明の車であった。


 それから、音声も消えた。同僚のADも消えた。

 そうして、残るはAさんただ一人になった。

 AさんはチーフADに連絡を取り、彼が子供の頃に世話になったという御祓の神社を紹介してもらった。

 「あなたは、無理だと思う」

 神主はAさんの目を一切見ずに告げた。

 Aさんは額を畳に擦り付け、何とかしてくれと泣いて懇願した。

 神主はしばらく難しい顔をした後、

 「『アレ』は、扉の向こう側から来る『モノ』です。ですから、『扉』と名のつくものを徹底的に遠ざけるようにすれば、あるいは連れて行かれずにすむかもしれません。そんなことが可能であれば、の話ですが…」

 と、言った。



 以降、Aさんは実家に戻り、引き篭もる生活を始めた。

 家の扉はすべて外し、玄関ですらも扉を外した。


 ーーーあの家には、頭のおかしな男が住んでいる。


 近隣の住民からは、そう噂されていた。

 そうして、長い年月が経った。

 Aさんの姿は、長く誰も見ていない。ただ、Aさんの家の窓からは、気味の悪い笑顔を浮かべる人間が度々目撃されているそうだ。


 ーーーあの家はいけない。


 Aさんの家は、絶対に行ってはいけない場所として、今尚、有名なところである。








 





 



 

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あの家はいけない せなね @senane

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