あと1kg

せなね

 

 

 夕食を済ませ自室に戻ると、何故か副会長がベッドの上に座っていた。

 「・・・」

 「・・・」

 俺は一旦退室し、眼鏡を外して目をごしごしと擦った。そして、両の手で頬を張る。

 「・・・よし」

 気合いを入れ、再度、自室のドアノブを回す。

 「・・・」

 「・・・」


 やっぱり、副会長がいた。


 「・・・何してるんだ?」

 「あー…やっぱり、見えてます?」

 副会長は、途方に暮れた表情で頬をかいている。

 彼女の名前は小清水さんと言い、俺が生徒会長を勤める土井山高校の生徒会で、副会長をしている女子だ。しかしーー


 彼女は先日事故に遭い、意識不明の重体であるはずだ。


 何故俺の自室にいるのかは分からないが、ここにいるということは、副会長は意識を取り戻したのだろうか? いやーー


 よくよく見ると、彼女の身体は幻のようにうっすらと透けていた。


 「・・・まあ、そういうことです」

 あはは、と副会長は悲しげに眉を落とした。

 「・・・」

 俺は胸の奥から込み上げて来たものをぐっと飲み込むと、机にあったキャスター付きの椅子を引きずり出して彼女の前に座った。


 俺が取り乱してはいけない、と思った。


 全ての感情を押し込んで顔を上げる。

 小清水さんは、生徒会室でいつも見ていたのと同じように、屈託のない笑みを浮かべていた。・・・そう、彼女はいつだって笑顔の絶えない明るい人だった。そんな小清水さんを、俺はーー

 「・・・ちょっと見過ぎじゃないですか、会長?」

 小清水さんはもじもじと身体をくねらせている。

 「でもまあ、見るなって言う方が無理ですよね。私だって立場が逆なら会長のことガン見しますし、ついでに写真と動画撮ってインスタに上げますし」

 「そんなことしたら、バズりはするが大炎上するぞ。不謹慎だ、ってな」

 「そうですよねぇ」

 はぁぁ、と小清水さんはため息を吐いた。

 緩い沈黙が降りる。

 俺は背筋を伸ばした後、意を決して尋ねる。


 「何で、俺の所に来たんだ?」


 「・・・」

 小清水さんはすぐには答えず、じっと俺のことを見つめている。

 「・・・だから見過ぎですって、会長」

 彼女は俺から目を逸らし、頬を膨らませる。

 「謝るが、こういう特殊な状況なんだ。それは許してほしい」

 俺は小清水さんから目を離すことが出来なかったのだ。


 目を離した瞬間、彼女が本当の幻のように消えてしまいそうで。


 「・・・うーん」

 小清水さんは腕を組んで何事かを考え始めた。その様子を見て、

 「俺に何か頼みたいことでもあるのか?」

 と、尋ねた。

 「あると言えばあるんですけど…うーん…」

 歯切れが悪い。我が土井山高校生徒会において、怖いもの知らずの天然女子の異名を持つ小清水さんにしては珍しいことだった。

 「物凄く、ものすごーく、言いづらいことなんですけど、何も言わずに聞いてくれますか?」

 「分かった。何でも言ってくれ」

 小清水さんは覚悟を決めたように深呼吸すると、こう言った。



 「体重計、持って来てくれませんか?」



         ※



 「・・・」

 言いたいことは山ほどあったが、何も言わないと約束してしまっている。

 俺は無言で席を立ち、風呂場から体重計を拝借して来た。

 「あ、本当に持って来てくれたんですね。無言で立ち上がって部屋を出て行ったから、呆れられたのかと思いましたよ」

 「・・・何も言わずに聞いてくれと言ったのはそっちの方だろ」

 「何も言わずにって、別に無言で持って来てって意味じゃ無かったんですけど…まあいいです。会長ですからね」

 小清水さんはからからと笑っている。少しどころではなく引っかかったが、俺は何も言わずに黙って彼女を見ていた。

 

 体重計をどうするのかが気になりすぎて、それどころではなかったからだ。


 「・・・会長、それは流石にセクハラですよ?」

 「何でだ?」

 俺がそう訊くと、小清水さんは自分と体重計を交互に指差し、

 「女子。体重計。やることといえば?」

 「・・・計量か?」

 「そうです。なら、会長がすべきことは何ですか?」

 「・・・後ろを向いて見ないようにする?」

 「そうです」

 分かったらさっさとしろ、と言わんばかりに、小清水さんはぞんざいに手を振った。

 何だか腑に落ちないものを感じながら、俺は黙って彼女の言う通りにした。

 (何でこの人は幽霊になって同じ学校の男子の部屋に突然現れた挙句、体重計を要求して自分の計量をしようとしているのだろうか?)

 今の状況、言葉にすると本当に意味が分からん。

 心の中で首を傾げていると、背後から小清水さんの「うーん…」という唸り声が聞こえた。

 「・・・もういいのか?」

 「あ、いいですよ、どうぞ」

 振り向くと、小清水さんは体重計の上に立ったままだった。

 デジタルの目盛りは『0』と表示されている。

 「・・・まあ、こうなりますよね」

 小清水さんは頬をかいて、たははと笑った。

 「・・・俺には全く副会長の心理が読めないんだが、キミはいったい何がしたいんだ?」

 何も言わないと約束したが、流石に限度がある。


 小清水さんは、本当にいったい何がしたいのだろか?


 「・・・」

 彼女は目を瞑り、何故か体重計に乗っかったまま黙り込んでいる。

 不気味な沈黙が続く。

 空気に耐えられなくなって、俺が口を開きそうになった時、小清水さんは目を開いた。

 「・・・会長。気付いてましたか? 私ね、ここ最近ずっとーー」



 ダイエットしてたんです。



         ※



 「・・・」

 知らねぇよ、という言葉を寸でのところで飲み込むことが出来た。悟りを開いたような顔をして何を言うかと思えば…。

 「私、どうしてもあと1kg痩せたかったんです。そのために、大好きなお菓子もずっと我慢してて…」

 そういえばこの女は「生徒会室は治外法権ですから」と訳の分からんことを言って、生徒会室でお菓子を食べるような奴だった。

 最近お菓子を持ち込まなくなったなと思っていたが、それは風紀委員長の風間さんにこっぴどく叱られて心を入れ替えたわけではなく、単にダイエットしていただけだったとは。

 俺は途方もない疲労感を覚え、はぁぁとため息を吐いた。

 「それなのに、この様ですよ。−1kgどころか−50kgですよ。イヤになっちゃいますよね。こんなことなら、お菓子我慢しなきゃ良かったなぁ…」

 自ら体重をセルフ開示した訳だが、そこを指摘すると絶対に面倒なことになるので黙っておいた。代わりに1つ、質問する。

 「そもそもの話、何であと1kg減らしたかったんだ?」

 「あー…それはですね。私、あと1kg体重減らしたらやるって決めていたことがあって」

 「それは何だ」


 「好きな人に告白すること」


 「・・・」

 「私、結構頑張ったんですよ? お菓子我慢するだけじゃなくて、ウォーキングもやってたんですから。学校の裏山があるじゃないですか。あそこの頂上の何をお祀りしてるのか分からない祠の所まで、私毎日ウォーキングしてたんですよ? 雨の日とか、気分じゃない日はお休みしてましたけど」

 「・・・気分じゃない日って何だよ」

 「そりゃあ、気分が乗らない日ですよ。週4、5日はそういう日があるんです」

 毎日とは?と思ったが、黙っていた。

 「最初の数kgは簡単だったんですけど、目標体重までのあと1kgが中々しぶとくてですね。あの日ーー私が事故に遭った日、ウォーキングのついでに寄ったあの祠で、『あと1kgどげんかしてください』ってお祈りしちゃったんですよ」

 「・・・何を祀ってるのか分からんような祠は迂闊にお参りすると危ないって、前に言っただろうが…」

 「ですよね。私、会長の言葉憶えていたんですけど、焦っちゃってて、つい…」

 「何を焦る必要があったんだ? 身体測定なら、とうの昔に終わっただろ」

 「身体測定はどうでもいい…ことはないんですけど、それ以上に大事なことがあってですね…」

 「大事なこと?」


 「生徒会、もうすぐ解散じゃないですか」


 「・・・」

 「それまでに、まあ、何とかしたかったわけですよ。でも、ご覧の通り、この様です。あと1kgでいいって言ったのに、体重全部持っていかれちゃいましたよ。やっぱり、会長の言う通り、何をお祀りしてるのか分からない祠にお願いごとなんかするものじゃありませんね。・・・まさか、バナナの皮を踏ん付けて転んでこんなことになるなんて…まるで昭和のマンガじゃないですか。ホント、笑えますよね」

 たはは、と小清水さんは悲しげに笑った。

 「でもまあ、だいぶインチキな気がしますけど、これで目標体重達成ですよね。・・・それじゃあ」

 すう、と小清水さんは大きく息を吸い、目を閉じた。一拍の後、彼女はゆっくりと目を開く。そしてーー


 「会長、好きです。ずっと、あなたのことが好きでした」



          ※



 「・・・」

 お互い、長い時間黙っていた。

 「・・・俺は」

 口火を切ったのは俺だった。切らねばならない、と思ったから。



 「俺は、こう見えて、意外とモテる」



 「・・・」

 小清水さんは、ポカンとした顔で俺を見ている。

 「えっ、こんな時にそんな冗談言うんですか?」

 「冗談じゃない。本当のことだ」

 「絶対嘘ですね。土井山高校で変な性癖持ってそうな男子No. 1の会長が? そんな訳ないじゃないですか」

 「俺は裏ではそんな風な扱いなのか? ・・・いや、それはどうでもいい。良くはないけど、今はいい。とにかく、俺は本当にモテるんだよ。今日の放課後だって、一年の女子に告白されたんだぞ」

 「・・・会長可哀想。モテなさすぎて、頭が…」

 俺は肩を怒らせて立ち上がり、机の引き出しに仕舞ってあったラブレターの束を持ち出した。中身を取り出し、小清水さんに見せてやる。

 「女の子の筆跡真似るの上手いですね、会長」

 「現実を見ろ。妄想じゃなくて、俺は本当にモテるんだよ」

 「・・・」

 小清水さんは、しょげたように俯いてしまった。


 「でも、この中の誰1人として、俺は付き合っていない」


 小清水さんが顔を上げる。

 「全部断った。何でだか分かるか? 俺にもーー」


 「俺にも、ずっと好きだった人がいたから」


 「・・・」

 小清水さんとは小中高と定期的に一緒のクラスになっている。

 初めて一緒のクラスになったのは小学校2年生の時だった。

 最初に小清水さんを見た時は、いつも鼻水を垂らしながらヘラヘラ笑ってる変な女だという印象しかなかったが、いつの間にやら彼女の姿を視線で追うようになっていた。好きになった理由は分からない。・・・いや、本当に本当に分からない。


 けれど、俺はどうしょうもなく小清水さんのことが好きだったのだ。


 だから、彼女が副会長に選ばれた時、俺が心の中でどれほど喜んだことかーー

 俺はいつしか涙を流していた。


 「小清水さん、好きです。ずっとあなたのことが好きでした」



         ※



 「・・・嬉しい」

 顔を上げると、小清水さんも涙を流していた。

 「あーあ、こんなことなら、ダイエットなんかやらずに、さっさと告白しとけば良かったなぁ…」

 「俺も、もっと早く想いを伝えていれば良かったって、思ってる」

 「・・・だよね。これはお互い様だね」

 小清水さんは、からからと笑っている。

 

 その姿は、もうほんのうっすらとしか分からないくらいに透けていた。


 「そろそろ時間みたい」

 「・・・イヤだ。行かないでくれ」

 「私だって行きたくないよ。・・・でも、これはしょうがないことだから…」

 こんな時なのに、小清水さんの顔からは笑みが消えない。

 彼女は涙を流しながら、しっかりと俺を見据える。

 「バイバイ、遠野くん。最後に想いを伝えられてよかった」



 ーーー嬉しかったよ、ありがとう。



 その言葉を最後に、彼女の姿は完全に消えてしまった。

 俺は、ひとりぼっちになってしまった部屋の中で、声を押し殺して泣き続けた。



 ・・・


 ・・


 ・



 しかし翌日、小清水さんは普通に意識を取り戻し、普通に回復して、数日後に普通に登校して来た。



         ※



 ワンチャンあの夜のことを憶えていないかもしれないと思ったが、生徒会室で顔を合わせるなり「コイツは憶えている」と確信した。

 それは向こうも同様だったようで、俺たちは地獄のような空気を生徒会室で味わった後、何やかんやあって結局付き合うこととなった。


 何もかもがぐたぐだで、俺たちの今後は何一つ決まっていないけれど、とりあえず初デートは学校の裏山で、あの何を祀ってるのか分からない祠の所へお参りに行こうと決めている。



                  <了>











 



 

 










 



 








 

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あと1kg せなね @senane

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