夏休みって……誰のため?
桐山りっぷ
第1話
「そうだ、旅行へ行こうっ!」
夏休みも終盤、残すところ3日。
俺は急に思い立った。
ただでさえ外は最高気温が37℃と暑苦しいのに、家は烏合の衆。折角、大学もバイトも休みだというのに、家にいては息が詰まる。
それもそのはず、うちの白鳥家は7人家族なのだ。
父ちゃん48歳、タクシードライバー。
母ちゃん50歳、スーパーでパート。
東京から出戻りの姉、四葉。
その愛息で、1歳のヤンチャ坊の小太郎。
90歳の父方のじいちゃんは、耳が遠くてボケ ている。
家族の癒しペットの柴犬マルオ。
そして、地元の学校に通う大学2年生の俺。
ぐちゃぐちゃの家の中、毎日が機関銃の銃撃のごとく過ぎ去っていく。
俺だって、夏休みを満喫したい!
若者らしく海へ行ったり、プールへ行ったりして、(ここは海のない岐阜県だから海への憧れ人一倍。)あわよくば、可愛い女の子と出会いた~い! いや、異性もいいけど、気の合う男友達を見つけるのもいい。
「わ~。たぁ~!」
子供らしい声音で小太郎が、俺の髪の毛を引っ張った。
「い、いでで……。小太郎放して」
俺は涙目でちいちゃな手をやんわり放す。
赤子とはいえ、髪をぐいぐいされるとかなり痛い。将来の髪事情を考えると、かなりの痛手というかリスクかもしれない。
「航、ついでに小太郎のオムツも替えといて。もう1時間半は経ってる」
間髪いれず、姉の四葉が命令する。
四葉は東京で暮らしていたが、去年離婚して、この実家のある岐阜県へと戻ってきた。
離婚理由は詳しくは聞いていない。
姉にもきっと色々な事情があるのだと思っている。
「へい、へい。…………って、マジかぁ、小太郎うんちしてるぞ!」
確認して小太郎の布オムツを慌ててとじる。
ぷぅ~んと異臭が鼻をつく。
「うぷっ、離乳食になってから臭くなったなぁ~」
「それだけ、成長した証拠だね」
四葉が台所からいう。
「姉ちゃんは、何しとるん?」
「私? 今、人参茹でたのすり潰しとるよ」
「……ああ、なるほど」
弟に汚い仕事を押し付けておいて、と思ったが、姉は姉で仕事をしていた。
手早く布でコロコロうんちを丸め、綺麗なタオルでお尻をふく。さっぱりしたからか、小太郎はきゃきゃと笑っている。
笑っていたかと思ったら、次はぐじゅぐじゅ泣きはじめた。
「次は、なんだ!?」
「きっと、お腹空いたのよ! ほら、これあげて」
丁度出来たとばかりに、すり潰した人参の器を渡される。
「え、俺がやるの?」
「勿論。何か問題でもあるん?」
姉のヘビのように鋭い視線に口をつぐむ。
「……いえ、なんでもありません」
「私はオムツを洗ってくるわ」
姉は、そういって汚れた布を持っていった。
パタ、パタ、パタッ……。
玄関から居間へと向かうスリッパの音。
どうやら、午前中近所のスーパーで品だしのパートをしている母が帰ってきたようだ。
「航、夜何食べたい?」
母は俺の顔を見るなり聞いてきた。
「うーん、焼き肉」
「却下やな。他には?」
却下って、じゃあ聞く意味あるの??
「それなら、百歩譲ってハンバーグ」
やっぱ、ここはスタミナ重視で肉でしょ、と俺。
「どこが百歩譲ってるの? そんなのないから、あんた買ってきて」
「なにそれ……。スーパーで買ってくれたら良かったのに」
俺はぶつくさ文句を言った。だって、母はスーパーで働いているのだ。仕事終わりに買ってきといてくれればいいものを。
「母ちゃんも疲れとるのよ、ハンバーグ食べたいっていうなら、航が行って」
「えー! 聞いといてなんやそれ!?」
「文句は受け付けません。早く買ってきて」
有無を言わさない母にげんなりする。
文句を言ったところで何も変わらない。
小太郎に人参を食べさせたら、スーパーへハンバーグの材料を買い物へ行こう。
「航、わしの眼鏡しらんかの~?」
ひょっこりとじいちゃんが顔を出してきた。
じいちゃんは、飯のとき以外は、居間の隣の和室で過ごしている。
「眼鏡? 見とらんよ。よく探した??」
母ちゃんの次はじいちゃんかよ。
次から次へと家族が現れては、俺に雑用を頼んでくる。
「わしには、分からんで、部屋へ来て探してくれんか?」
「仕方ないなぁ、分かった。後で部屋に行くね」
「すまんのう」
じいちゃんは、ヨタヨタ歩きながら部屋へ帰っていく。
「ワン! ワン!」
今度はなんだ?
茶色の尻尾をブンブン振って、愛犬マルオがやってきた。口に赤い綱を咥えている。
「そっか、もう散歩の時間かぁ」
マルオは、毎日4時に散歩をしている。
雨で行けない日などは、夜遅くまで遠吠えを悲しげにするので、小太郎が目を覚ますため困るのだ。
「用事すませたら、散歩するから待ってて」
「ワン!」
マルオの頭を優しく撫でると、マルオは元気よく返事をした。
はぁ~っっっっ。
非常に重いため息がでた。
夏休みなのに、家族が俺を放っておいてくれない。
とにかく、一人になりたい!
させて下さい、神様っ!!
これは、今の俺の切実な悩みなのだ。
※※※
そんなわけで、旅行に行くことは家族の誰にも内緒にして、こっそり出かけることにした。
「よし、準備は万端!」
とりあえず、2拍3日分を想定して、着替えの衣類、歯ブラシに洗顔フォーム、居酒屋のバイトで貯めた三万円、学生証、携帯などをひとつの旅行鞄に収める。
玄関を静かに出て、さっそく、愛車のワゴンRスティングレー、に乗り込もうとする。
愛車は、苦労してバイトで貯めた30万で今年購入したものだ。
「……じ、じいちゃん、何しとるん?」
「う、ああ?」
なぜ、俺の愛車の助手席にじいちゃんがいるのだろう?
うつらうつらと船をこいでいたじいちゃんは、目をぱちりと覚ました。
「航がな、温泉旅行へ連れていってくれるんじゃ」
歯がない口でハフハフさせながら、じいちゃんはうわ言のようにいう。
「俺が温泉旅行に? いったい、誰がそんなこと……」
「ばあさんじゃ」
「へっ!? ばあちゃん?」
俺はすっとんきょうな声をだした。
「そうじゃ」
神妙に頷くじいちゃん。
「何いってんだよ、ばあちゃんは去年死んでるだろ?」
そうなのだ、ばあちゃんは去年の冬に老衰で亡くなっている。享年85歳だった。
「ふぁ? そうじゃたかのう?」
ぶつぶつ独り言を喋っているじいちゃん。
でも、このままじいちゃんを車に乗せとくわけにはいかない。
これじゃあ、俺の計画は台無しだ。
「ごめん、じいちゃん。温泉旅行には行かないんだ。悪いけど車からおりてくれる?」
「なんでじゃ? 優しい孫が、老い先短いわしを温泉旅行に連れてってくれるんじゃろ?」
「うっ……」
なんか、痛いところを突いてくる。
「わしは、おりん。タオヤ志摩に泊まるんじゃ。伊勢エビの活け造りを食べて、のんびり温泉に入って、お洒落な浴衣で伊勢神宮へ参るんじゃ」
うわっ、しっかり調べとるやん!!
っていうか、なにその女子みたいな発想。
本当にじいちゃん、ボケてンのかな?
なんだか、疑わしくなってきた。
それにしても、うちのじいちゃんは家族の中で最強の頑固者。ちょっとやそっと説得したところで、気持ちは変えてくれない。
「もうー! 仕方ないなぁ」
俺ははぁ~、とため息をつく。
車で旅行するのは、諦めた方がいいかもしれん。
暑いけど自転車こいで、家から40分の距離に駅がある。この際、車は諦めて電車やバスをうまく使って旅行すればいいのだ。
「自転車はどこだ?」
じいちゃんをほっぽいて、俺は自転車を探すことにした。
今年の4月に愛車のスタングレーを購入するまでは、自転車が俺の愛車だった。中学、高校でも乗っているし、かなり年期が入っている。
家の隣の納屋に置いてあるはずと、そちらを覗くと運よくあった。
「よかった~! タイヤも大丈夫そうや」
自転車を確認すると、タイヤの気圧もそこそこにあるし、どこも壊れていない。これなら乗れるだろう。
さてと。愛車1号にまたがり、いざ出発。
……ズシッ。
「なんだ? なんか、重くないか??」
俺は後ろを振り向いて固まった。
「マルオ! いつの間に!!」
「ワオーンーッ!」
みんなの癒し、柴犬のマルオが自転車の荷台に乗っていた。
しっぽをフリフリして、なんだか嬉しそうだ。
「もしかして、僕も連れていってといってる?」
こわごわ俺が聞くと、マルオは短くワン! と答える。
じいちゃんの次は、マルオかよ……。
なんで犬まで俺が旅に出ること知ってんだよ。
ゲンナリする。
「犬と旅行なんてしないよ」
「ワン、ワン、ワン」
「最近は、ペットと一緒に泊まれるホテルがあるって?」
キラキラと期待を込めたつぶらな瞳が、俺に向けられる。
ま、まぶしい!
犬なのに、なんでそんなに旅行がしたいんだ。
「ダメだよ、俺は一人になる時間を作るために、旅がしたいんだ」
「ワン、ワン」
「なに? 犬はダメなのかって?」
「ダメだよ。マルオは犬だけど白鳥家の一員だからさ」
「クウゥゥン……」
悲しそうに肩を落とすマルオ。
「また今度、ペットも一緒に泊まれるホテルに連れていってあげるから」
マルオの体を持ち上げて、地面におろす。
「クウゥ……」
マルオは、目に涙を溜めて俺を見つめてくる。
俺は、後ろ髪を引かれる思いをぐっとこらえた。
一人になるには、こうするしかないんだ!
仕方ないんだ~っ!!
自分に強く言い聞かせると、地面に転がっていた玩具のボールを、納屋の奥へ向かって放り投げた。
ポーン、と半円を描いてボールが飛んでいく。
「マルオ、とってこーいっ!」
「ワン、ワン!!」
俺に遊んでもらえると思って、マルオはボールめがけて追いかけていく。
ごめんな、マルオ。すぐ帰ってくるから!
俺は猛烈と自転車を走らせた。
※※※※
自転車こいで40分、芋づる駅へ到着した。
田舎の無人駅はとてもひっそりとしている。
汗をかいて喉がカラカラだったので、駅内の自動販売機でコーラを買った。
運動した後のコーラは最高にうまい。
満足しながら、ホームへと歩いていくと、ベンチに誰かが座っていた。
「うん? あれは……」
あの見慣れた二人組は……。まさか、そんな!
一人は女性。もう一人は女性の腕に抱かれた赤ちゃん。
「ね、姉ちゃん。どうしてここに……?」
四葉ねえは、ついさっきまで家で小太郎の布オムツをタライで洗濯(節約のために)していたはずだ。
そんな人物が、なぜ俺を追いこして駅にいるのだろう?
「あんた、私達をさしおいて、旅行に行こうとしてるわね!」
「ど、どうしてそれを……」
素直な性格の俺は、すぐに反応してしまった。
「やっぱりそうなのね。うちらを置いて旅行だなんて、よく行けるわね!」
もしかして、カマかけられたのか?
姉と目が合うと、ギロリと睨まれて、俺は身が縮んだ。まるで、蛇に睨まれたカエルの心境だ。
「べ、別に、俺がどこへ行こうが勝手だろ!」
俺は、姉から目をそらしていいつのった。
幼稚園のころから姉には頭があがらない。
「勝手じゃないわよ! あんたが旅にでたら、小太郎のオムツ替え、着替え、離乳食作り、ごはん、お風呂、子守唄を唄う、寝かしつける、はいったい誰がやるのよ!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
どうして俺が小太郎の面倒をみなきゃいけないんだ!?
俺の子供でもなんでもないのに……!!
こんなの、誰がみたっておかしいはずだ!!
怒りがふつふつとマグマのように煮えたぎる。
「そういうところが、ダメなんじゃないのかよ!?」
気がつけば、コップに注がれた水が満タンで溢れだすように不満が口から出ていた。
「どういう意味よ?」
「だから、そういうところが嫌になって、太郎さんに愛想つかされたんだろ!」
「あんたに言われたくないっ!」
ピシャリと言い返した姉の肩が微かに震えていた。
あ、姉にトドメをさしてしまった……。
こんなこというはずじゃなかったのに、勢いあまって口が滑ってしまった。
これは、姉と元夫の太郎さんの問題なのに、俺が口出しするべきじゃないのに……。
後悔、あとにたたず。
さっきの発言、撤回させて下さ~い!!!
旅どころじゃない。泣きたくなってきた俺。
「ね、姉ちゃん……」
「もう、いいわよ! 勝手にどこへでも旅行してきなさいよ。あんたが旅先でのたれ死んでも、家族は他人のふりしてやるからっ!」
プイッと横を向いた顔は、いつもの姉の顔に戻っていた。
「そ、そんなぁ~」
俺は情けない声を出しながらも、ちょっとだけほっとする。
さっきは、ごめんよ、姉ちゃん。
姉ちゃんは、いつも小太郎の面倒をよくみてる。元夫がなんて言おうが、俺はちゃんと知ってるから。
そう心の中で謝っておく。
「姉ちゃんにも、小太郎にも、お土産をちゃんと買ってくるからさ。機嫌直してよ」
罪滅ぼしではないが、ここは下手に出ておく。
「じゃあ、私はシャネルの鞄ね。この子にはそうねぇ、グッチのスタイがいいわ」
平然と注文してくる姉。
「え? 俺がどこへ行くと思ってるの??」
「へ? 東京でしょ?」
「…………」
知らなかった。俺の旅先、東京だったの!?
姉の腕の中で小太郎がふぁぁと、のんびりあくびをした。
※※※
電車に乗った。
そういえば、家族から離れることで頭がいっぱいで、旅先を決めてなかったわ……。
ここまで来ると、旅行に行きたいのか、行きたくないのか、わからなくなってきた。
目的地もなく電車に乗っていても、なんだか無駄な気がしてきた。
そんなわけで、俺は次の駅で電車をおりた。
駅前のロータリーでボーッとしてると、黒色のタクシーが、目の前に停まった。
「よっ、航!」
タクシーの運転席の窓が開き、いきなり声をかけられた。
父だった。
「これって偶然? それとも必然?」
「母ちゃんから聞いた。ハンバーグの材料買いにいったんやろ?」
「あ、そう言えば頼まれてた」
「なんや、忘れとったんか? 怒られるぞそんなん~」
のんきに父ちゃんはニカニカ笑っている。
タクシーの助手席に乗り込む。
「なぁ、父ちゃんは、家にいる時、イライラしたりしないの?」
「そんなん、数えきれんほどあるわ」
鼻先で父ちゃんに笑われて、俺はムッとした。
「いいな、父ちゃんは、家にあんまいなくて。タクシー運転手とか、お客さんいない時は一人やし、静かでいいな……」
親に向かってなんだって、怒られると思っていた。そんな生意気は、自分で働いて、家族養ってから言えって。
でも、今の俺はそんな風にしか言葉にできない。
「そう見えるか?」
父ちゃんは、怒りもしないでゆるく笑う。
俺は、父ちゃんに今まで溜まっていた家族の愚痴を全部吐き出した。
「航が家におらんと、家族みんなが心配するからなぁ。それだけ頼りにされとる証拠や」
「それは、そうだけど……。夏休みぐらい、一人になりたいよ」
拗ねるみたいに横を向いた。
車窓から流れる景色はなぜだか新鮮に見えた。
窓ごしに映る父ちゃんの顔が、前より一段と老けたように見えた。
父ちゃんも、俺が知らんところで、タクシーに乗り込んだ酔っぱらいに怒鳴られたり、理不尽なことを言われたりしてきたのかもしれない。
ふと、そんなことが頭に浮かんだ。
「父ちゃん、いつもありがとう……」
何もできないけれど、それだけは伝えてときたいと思った。
「な、なんだ? 急に??」
父ちゃんは、ハンドルを握りながら、目を白黒させた。
俺はそれを見て、ふうっと嘆息したのだった。
夏休みって……誰のため? 桐山りっぷ @Gyu-niko
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