第4話 神様…お願いします
県立浜ヶ崎高校。
地域的に見ると賢いところだが、全国で見ればずば抜けて賢いと言うわけでもない普通の県立校。
図書室はひと教室分の大きさだし、食堂はそこまでメニュー豊富ではないし、屋上は使えない。唯一の取り柄といえば、制服のデザインのセンスが良いことぐらい。
と言ったように、俺の通う浜ヶ崎高校はちょっとばかりの取り柄以外はどこにでもある普通の高校だ。
だが……普通ではないことが二つだけある。主に俺のクラス内で。
「おはよう、真! 幸せホルモンは足りてるか?」
俺は机に突っ伏して家でできなかった二度寝をしていると、一風変わった宗教勧誘の様な台詞を吐きながら男が俺に近づいてきた。
「足りてる足りてる。だから、これ以上近づくな。お前のせいで減る」
「ひ、酷い。なんでそんなこと言うんだ!」
俺は机から顔を上げることなくそう言うと、男は
初めて見た人からみれば、俺は出会い頭に話しかけてきてくれた相手を罵倒する性悪に見えるだろうが、それは違う。
「俺は真のことが心配になって聞いただけなのに……なのに……」
なぜなら、俺は知っているからだ。こいつが――
「めちゃくちゃ気持ち良……いや、悪いことだぞ! 全く」
――ドMだということを。
本人は隠しているつもりだろうが、正直バレバレだ。気持ち良……って言っちゃってるし。そこまで言ったら、誤魔化せるものも誤魔化せないだろ。
俺は横目で男――
整えられた髪にスクエア型のメガネ、見た目だけは知的でクールな印象のハジメだが、中身はまったくの別物。
男でドMでメガネってなんか救えないものがあるよな……どこに需要があるんだろう。いや、そもそも那谷一という存在に需要はあるのか?
「お前さ、なんで生まれてきた?」
「はっ……へっ。酷いなぁ。はぁはぁ」
顔を赤らめるな、息を荒くするな。気持ち悪い。
「知ってるか? 悪口なんて人を傷つけることしか出来ないんだぞ」
「知ってるか? 悪口で快感を覚える人がいるんだぞ」と、
バレバレドMが常識人ぶってんだ、それを指摘するのは流石に良くないだろう。なにか、事情があるのかも知れないしな。
「……わかったわかった。もう言わない」
「え……」
すると、ハジメの顔から覇気がなくなる。悪口を言った時よりも、顔色が悪く悲しい顔をしている。
……事情があるかもとこれまで踏み込まなかったが、もう言っていいだろこれ「お前、ドMだよな?」って。隠す気がまるで感じられない。
「お前さ……」
「?」
「……いや、何でもない」
……よく考えたら聞く方も聞く方でなんかキモいな。やっぱり言うのはやめておこう。でもなぁ……
「……」
クソ……めんどくさい。なんで俺がハジメのことでこんなに悩まないといけないんだ。
俺は顔を上げて、ハジメに顔を向ける。
こういう時は……
「ハジメ。おしろは?」
「今日は来ないんじゃないか? 月曜だし、きっとまだ寝てる」
「まぁ……だよな」
「なぜテンションが下がる。まさかお前、おしろが……?」
「んなわけないだろ。お前がめんどくさいから、全部おしろに押し付けようと思ってな」
「それ本人の目の前で言う、ふっ、かぁ? 傷つくぞ」
ハジメはニチャリと口角を上げ、目を細めて言う。喜びを隠せていない。キモ。
「それに俺はおしろよりは面倒くさくないだろ」
「安心しろ。どっちも引けを取らないくらいめんどくさい」
普通ではないこと一つ目、俺の周りがおかしい奴らで埋まっていくということ。
そして、二つ目は言わずもがな……
すると、ハジメが思い出した様な顔つきで俺に尋ねてきた。
「そういえば、真知ってるか?」
「なんだ?」
「名月さんが昨日、電車で
俺の体がびくりと震える。本日二度目の衝撃。
「名月さんなら、お得意のご褒……んんっ。罵倒で男を泣かして撃退しそうなものだが」
こいつ今、罵倒のことご褒美って言いかけなかったか? いや、今はそんなことより……
「美人の女の人に助けられて……無事だったらしい」
「どこ情報だそれ」
「ん? あぁ、ニュースになってたんだよ。ほら」
ハジメは見ているスマホを俺に向けて見せてきた。
画面には『大学生が女子高校生に強姦行為か。謎の美人女性が救出』というタイトルのニュース記事が映し出されており、俺は額に手を置く。
まじか……ニュースになってたとは……名月は自分の恥を
「うーん。それにしても、このお姉さん何者なんだろう……なんか見たことあるような気がするんだよな」
ハジメはスマホに目を落としながら、そんなことを呟いていた。
まずいことになった。俺の女装が名月さん一人だけではなく、クラス……いや名月さんの影響力を考えれば、この学校の生徒全員の目に留まってしまった。
バレたら本格的にこの学校で生き恥を晒す状態になってしまっている。
「なぁ、この人どっかで見たことないか?」
俺だよ。
「勘違いか夢の中で見たんだろ。じゃなきゃ、こんな女の人と関わる機会がお前にあるわけない。あんまり調子に乗るな」
「……っ。辛辣だなぁ。なんだ、いつもよりイライラしてるぞ。サイコーで、いや傷ついたぞ!」
――と本当のことは言えないので、適当に
「まったく……真はそういうところを直していかないといけないぞ!」
狙い通り、話がそらせた。
悪口を言えば、こいつは前の記憶が快感でぶっ飛んで、操れるから大丈夫として、問題は名月本人。
化粧して会ったとはいえ、この学校で唯一俺の女装姿を生で見た人物。どこかしら似ている箇所を見つけられて、バレる可能性がある。
ここはできるだけ顔を合わさず、ほとぼりが冷めるまで自分から近づくことは避けた方がいいだろう。
友達ってわけでもないし、元々そこまで話すこともなかったから、これは余裕……だと思うんだが、バレた時のリスクが重すぎて不安になってしまうな。
「お、どうやら
先程から騒がしくなっていた戸から、茶髪が
相変わらずの美しく整った顔、モデル顔負けのスタイル。横顔から覗く瞳には意志の強さが宿っており、気丈夫な性格を
「やっぱり、美少女だよな名月さん」
「そうだな。この学校でも別格の美形だと思うぞ」
肩で風を切って堂々と歩いて、自席へと向かう。彼女の立ち振る舞いには確かな自信が感じられる。
「あ、あの。名月さん!」
すると、席に使う途中で声をかける男児一人。声は緊張しており、頬は朱色に染まっている。
おい。やめておけ、と忠告したかったがそれよりも早くに名月さんの顔が不機嫌に
「話しかけてこないでくれない。朝から虫唾が走るわ」
「あ、えっと」
「もういい? あなた見てるの苦痛でしかないの」
「…………すいません」
話しかけた男の子は顔から感情をが抜け落ち、絶望の表情が浮きはじめ、一人教室の外へと歩いていった。
容赦ねぇ……頑張って声かけただろうに。あれはトイレで泣くな。
男子生徒を罵倒するその姿は、昨日見た清楚でお淑やかな名月さんは見る影もなく、男子生徒のトラウマ、俺のずっと見てきた男嫌いの名月千秋だった。
周辺の男子生徒たちは合掌して、勇気ある男子の安否を祈っていた。
うん。いつもの光景だ。
彼女が歩いて席に向かって再び歩き出すと、席近くの男子たちの肩がピクリと震える。
……いつもの光景だな。
「名月さん、美少女なのに男に恐れられてるよな」
「なんでなんだろうな。彼女はとても魅力的な女性で怖がる必要なんてないと思うんだが……」
ハジメは爆発四散した男の影を追いながら、気色悪い笑みを浮かべて言う。
一見紳士的な言動だが、中身はでろでろのドM思考がぎっしり詰まってるのが分かってるせいで、かっこいいとは
通常の男子生徒なら、怖がって当然だろうし、怖がらないのはよっぽどの聖人かこいつの同類ぐらいだろう。
「それにしても、昨日強姦にあったというのにびくともしていないな。もしかして……」
真剣な顔でぶつぶつと呟くハジメ。
何を言っているかは聞き取れないが、なんとなく言ってることはわかる。だから安心しろ、名月さんはお前とは違うから。
そして、お前が強姦に遭うこともないだろうから安心しろ。犯人もお前なんか願い下げだと言うだろうからな。
と、俺は心の中でハジメに教える。
まぁだが……名月さんが案外平気そうなことに驚くのはわかる。俺も名月さんが何かしら心に傷を負うんじゃないか、と泣いている姿を見た時から心配していたし。
「はーい、お前ら席につけ」
すると、前の戸から先生がそう言いながら入ってきた。それを聞いた生徒たちは、各々自分の席に座り始める。
ちなみにハジメは俺の隣の席だ。早く席替えをしてほしい。
教室内の喧騒が嘘のように静まっていく。それを確認した先生は出席人数を数え始めた。
「今日は……
先生は出席簿に欠席の生徒を書き込んでいくと、朝のホームルームが始まった。
ホームルームと言っても、何もイベントがなければそのまま授業が始まる前の空き時間になるだけなのだが、どうやら今日は違うらしい。
何もなければ、先生はすぐさま授業の用意をとりに行くからな。出席を取ってもここにいるということは何かあるのだろう。
「そろそろ文化祭が近づいてきた」
あぁ、もうそんな時期か……
俺は頬杖をついて、適当に聞き流す。
「なので、文化祭実行委員決めなきゃいけないわけだが……誰かやりたい人はいるか?」
先生の声かけに手は上がることがなく、教室内は静寂に包まれた。
俺はその生徒たちの様子を見て、
そりゃそうだ。文化祭実行委員なんて毎年大変な行事だからな。部活とかで忙しい高校生が自ら志願するとは到底思えない。
それに文化祭実行委員は男女混合だからな。自分から手を上げるにしてもそもそものハードルが高い。
「うーん。そうか。じゃあ、もうこれはくじ引きだな」
不満の声が教室内で騒がれる。
くじ引きになるのも毎年の流れだな。俺は帰宅部だから、部活に
まぁ、俺はやっても良いんだが…絶対にやりたくない場合もある。
「では、僕が席を回っていくから引いて行ってくれるか。男はこっち、女子はこっちだぞ。紙に星マークが書いてたら大当たりだからな」
それは……名月さんと同じになってしまった場合。クラスは四十人もいるし、まずそんな偶然起きないとは思うが……
しかし、可能性がないとあるとでは全然違う。
クラスの男陣もその低い確率を恐れているのか、冷や汗を垂らしながら、呆然としていた。
「はぁはぁ、もしかしたら名月さんと一緒、名月さんと一緒」
隣の変態だけは例外のようだが……
「忘れてた。もう既に委員会に入ってる人は駄目だから。入ってない人だけで引いてもらう」
先生からその話が教室に響いた瞬間、おそらく委員会に入っていた男どもが机の下でガッツポーズを決め始めた。
逆に、俺は全身から血の気がひき、激しい後悔に襲われていた。
どうして……俺は委員会に入らなかったんだ……
こんなことなら、会計にでも入っておくべきだった……
「くそ、こんなことならHR委員会になんて入るんじゃなかった……」
隣で悔しさで泣いている変態は……あとで息の根を止めておこう。イラつく。
……いや、待てよ。これはむしろチャンスかもしれない。
名月さんが何かの委員会に所属してさえくれれば、名月さんは文化祭実行委員候補から勝手に外れるわけで……
俺は最後の願いを思いながら、名月さんの席に視線を向けると、名月さんも目を見開いており、驚いていることがわかった。
最悪の展開。確率がとんでもなく引き上がったぞ……あの様子だと名月さんも委員会には入っていないんだろうな……
「じゃあ、委員会に入っていない人は手をあげろー。回っていくからな」
もういっそ、とぼけて手を上げることをやめるか……?
いや、嘘がバレた時「じゃあ、嘘ついたからやってね」と強制されるかも……それなら、正々堂々戦った方が良い。
俺は嫌々ながらも手を上げ、自分の番を待つ。やはりというか、名月さんも手を上げていた。
引く男陣はそれを見て誰もが一度、両手を握り神に祈っていた。もちろんのこと、俺も。
まずは女性陣が引いていく。
そもそも、名月さんが引かなければ俺はそれで良いんだ。女子は十人はいる。そんなピンポイントで……
「あっ」
「お、名月! 大当たりだ」
先生がそう嬉しそうに笑うのとは裏腹に、クラス内のくじを引く男子全員の顔が歪む。
ピンポイントすぎるだろ……神様はどうやら俺たちに地獄をプレゼントしたいらしい。
「じゃあ、もうさっそく男子引いていくか」
先生はとんとん拍子に進み嬉しそうに、男子にくじ箱を男子の一人目に持っていく。
俺は顔が勝手に引きつっていくのを感じていた。
俺の前には三人の挑戦者がいる……しかし
(くそ、最後の一人も逃げ切ったか……)
自分の番が回ってくるのは案外早く、心臓の鼓動を遅くし、落ちつく時間はなかった。
「はい、次は黒木だな」
先生が笑顔でくじ箱を俺に向けてくる。その笑顔が俺には死神の微笑みのように思えた。
大丈夫。まだ後ろには俺の他に五人いるし、確率は六分の一。名月さんと一緒だけは嫌なんだ! 頼む、神様っっ!
俺はくじを――引いた。
―――――――――――――――――――――――
「では、文化祭実行委員は名月と黒木にやってもらいます」
俺は教卓の前で、名月さんの隣に突っ立ち、クラスの男からは合掌されていた。
ふざけんな、
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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と思ってくださいましたら、
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