第32話 知らなかったこと

「今日はハンドメイドの材料を買いに行ってたんだー!たくさん買っちゃった!」


 作業場で満面の笑顔を浮かべる藤咲さんに僕はどきっとしてしまう。いつも僕達を見守るような大人っぽい笑顔ではなくて、無邪気な笑顔だったからだ。

 ぼうっと見ていたら向かい側、藤咲さんの隣に座るノアに睨まれたので慌てて視線を逸らす。


「そうなんだ……それは良かったね!そういえばさ、白銀しろがね君のおばあちゃんのこと聞いた?」

「聞いたよ!おばあちゃん元気になって退院できそうなんだってね!」


 UVレジンのネックレスを作ってしばらく経った後、僕は廊下で偶然白金君と鉢合わせた。おばあちゃんがとっても喜んでくれたのと、病気が良くなってきたことをとても楽しそうに教えてくれたんだ。話を聞いて僕は安心した。もしかして病気を治す魔法もかかってのかも……なんてね。


「またみんなで作ろうって言ってたよ」


 こうやってハンドメイド友達が増えていくのは嬉しい。僕が話をしている間、藤咲さんは終始にこにこして嬉しそうだった。

 

「ぜひみんなでまた作ろうね!それにしてもこのお菓子、缶までかわいい!アクセサリーパーツを入れるのにも使えそう。待っててね。ジュースも準備してくるから」


 藤咲さんはそのまま楽しそうに作業場を飛び出していった。

 人型のノアとふたりきり。猫のマスコットの時とは違ってなんだか落ち着かない。そわそわしている僕に机に頬杖をついたままノアが口を開いた。


「ひよこ野郎。どうしてマホが人間界に来たか知ってるか?」

「なんだよ急に……」


 ノアにだまされて機嫌が悪い僕は冷たく言い返す。でも話の内容はものすごく気になった。


「本当はな。マホはすごい魔法使いで……。人間界なんてわざわざ来る必要なんてなかったんだ。お前らと会うこともなかっただろうよ」

「前にも聞いたけどさ……何だよ『魔法界まほうかい』って」


 僕は渋々ノアの会話に付き合うことにした。やっぱりまだ知らないことの多い藤咲さんのことはちゃんと知っておきたい。


「知らねえのかよ!こことは違う世界のことだ!」


 なんておおざっぱな答えだろう。ノアが僕を見下すような目つきを向けてきた。まるで「1+1=2いちたすいちはに」に答えられない奴を見るような目だった。僕は咳払いをして質問を続ける。


「知らないよ!そんな世界があることなんて!えーっと……それはつまり魔法が当たり前に存在する世界があるってこと?」

「そうだ」

「じゃあ……藤咲さんは僕らとは違う世界の子ってこと……?」


 僕は自分で言ってショックを受けた。急に藤咲さんの存在を遠くに感じてしまう。


「そうだよ!お前らとは違うんだ!だけど……魔法界の奴ら、マホを魔法使いから『追放』したんだ!魔法界と繋がりのある人間界でいちからやり直すようにって!」


 ノアが悔しそうに拳で作業台を叩いた。


「何かの間違いじゃない?あんなに優しくて、真面目な藤咲さんが追放されるなんてありえないよ」


 僕は腕組をして考え込んだ。あの真面目で優しい藤咲さんが追放されるほどの何かをしたなんて考えられない。


「そうだろう?ひよこ野郎なら分かってくれると思ったぜ!俺様はマホを魔法使いに戻してもらうために人間界について来た……だからお前も協力しろ!」

「え……?僕が?」


 ノアに指さされて僕は思わず椅子から立ち上がった。

 藤咲さんが困っているのなら助けたい。でもノアの説明では分からないことだらけだ。


「なんだよ!まさか協力しないって言うんじゃないだろうな……?」


 僕の反応を否定と判断したのか。ノアが怒った顔で、作業台の乗りあがりながら僕の服を引っ張って来た。

 いつも猫のマスコット姿だからなんとも思っていなかったけど人型のノアが怒ると本当に怖い。恐怖で固まっているところにジュースとクッキーが乗ったトレーを手にした藤咲さんが現れる。


「天地の女神の力をお借りし、魔法獣まほうじゅう『ノアクローム』をり物の姿に戻せ」


 右手をノアの方に向けながら凛とした声で唱えた。


「うわあああああっ!」


 ノアが驚きの声を上げながら眩しい光りに包まれた。みるみるシルエットが縮んでいってしまう。

 あんまりにも眩しいので途中で目をつぶった。

 光りが消えたのを感じて目を開けると、あの生意気そうな男の子の姿が見えない。その代わりに作業台の上には黒猫のマスコットが転がっていた。いつも見慣れた姿のノアである。


「これが……本物の魔法!」


 僕はしばらくの間、藤咲さんのことをぼんやりと眺めていた。

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