モテるの?

入り口の鈴を激しく鳴らしながらバタフライから飛び出してきた女の子は、チアを見てハッとしたのも束の間、涙ぐんだ顔を俯かせながらわたしの横を駆け抜けていった。








「......で?」

と。

ボックス席へパンケーキを運んで来たイノにチアが言った。

一人前サイズを二つに割って盛り付けられた皿をそれぞれの目の前に置く。空になったグラスを回収してイノはようやく口を開いた。

「で......って?」

もしかしたら想定している話題ではないかもしれない、と浅はかな期待を込めてそう聞き返す。

チアには通用しなかったらしく、じっと捉えた青い瞳は嵐雲を逃さない。

「さっきの子!見たことない子だったけど、うちの制服だよね?」

制服。確かに初めてチアに会った時着ていたのはあれだったかもしれない。どこかにしまい込んでしまったのか、彼女の部屋で見ることも無く忘れていた。

「そうだけど......別になんでもない。俺もさっき初めて会った」

一貫していたたまれなさそうなイノをよそにチアがパンケーキにナイフを入れる。

「なのに泣いてたの?」

「......え?」

全く想定外といった声を漏らしたイノはわかりやすく狼狽した。

「イノじゃないよ、あの子」

「......まじで?」

一瞬のうちに表情を曇らせたイノは、グラスを乗せたトレーをテーブルへ置き、ため息をつきながら深くしゃがみ込んだ。その心境は後悔か、焦りか。

猫っ毛のつむじを見下ろした。

「ちょっと、覗かないでくれる」

「____は、ちげぇ_____ってぇ......!」

咄嗟に立ち上がろうとしたイノがテーブルへ頭を強打し、皿とフォークがチャリと音を立てた。頭を押さえながら後ろの一人がけ椅子にもたれこむと、涙目でこちらを向いた。

「いってぇ....てかお前ら覗くとこ無いだろうが、くそ....」

その通りだ。チアのカーゴパンツはもとより、わたしのショートパンツにもそんな隙はない。

睨むイノを無視して、切り分けたパンケーキをイチゴごと突き刺した。







髪をへたらせてシャワーから出てきたイノは、ソファを占領するわたしを見て眉間にしわを寄せた。

「自分の部屋行けよ」

「こっちのセリフね」

何かを訴えかける視線に、仕方なく体を起こして右端へ座り直した。しかしイノは座ることなくこちらをじっと見つめている。

「何よ......?......ああ、わかるけど」

それを聞いたイノは、頭をタオルで覆いながら反対側へと腰をかけた。

「なんでわかるんだ?」

「わかるわよ、チアはどうだか知らないけど......。ほんとに知らない子?名前は?」

「知らない....っていうか、同級生の顔を一人も覚えてない」

「それは今頃荒れてるでしょうね。なんて言われたのよ」

深いため息をつきながらずり落ちていったイノは、何か思い出したかのように立ち上がり自分のショルダーバッグを漁った。取り出した赤い封筒をこちらへ差し出し、またソファの右端へと体を埋める。

脱力するイノを横目に封筒を開く。丁寧に二つ折りされた便箋に目を通した。いかにも女の子が書きそうな丸文字、端々に感じられるあざとさに感心しながら、不安そうにこちらを伺うイノを見た。

「あんたのこと大好きみたいね」

「やめろよ」

ほんとのことじゃない、と封筒を返すも、劇薬でも扱うかのように受け取られる。

「......こんなようなことを言われて.....それで」

「ちゃんと断ったんでしょうね」

「そりゃ_____」

当たり前。

へぇ、ちょっと見直した。

誤魔化さず返事をしたのであれば気に病むことなど何もない。すべての恋が都合よく成就するわけがないのだから。

「断ったんならいいじゃない」

「そうなんだけど............」

泣かせたし、と溢すイノはソファの上であぐらをかいて体を前方に倒した。いつものうざったい態度とは真逆の塩らしい姿につい返事が遅れた。

「......泣かせておけばいいのよ、同情で優しくしたってあの子のためにならないんだから」

顔をあげたイノがいつものちょっとだけうざったらしい顔をする。

「お前そういうとこあるよな」

「心外ね、そういうとこしかないわよ」

ははと笑ったものの、その顔はこちらを向いたまま視線を落とした。

「......ずっと思ってたけど、トアはゆうさんからの態度に満足してるのか?」

と。思わぬ角度からの質問にいよいよ返事が止まってしまった。なにそれ。

言葉の意図を汲み取ろうとイノを見た。しかし顔をあげたイノはいつになく真剣で、こちらがたじろいだ。

ゆうくんの行動がわたしに不利益をもたらしたことなんか一度もない。でもイノがききたいのはきっとそういうことじゃない。

カラーコンタクトを外したわたしの黒い目を映すイノの灰色がより濃い。

「......わたし、ゆうくんのことが好きだけど、それはゆうくんにもわたしを好きになって欲しいってことと同義じゃないのよ」

わたしの顔を見つめたまま理解していなさそうな灰色が宙を泳いだ。言いたいことを言語化できないといったふうに瞬きする。

「だから......わたしが勝手に好きなだけなの、この気持ちに見返りが欲しいわけじゃないのよ......好きでいさせてくれてるんだもの、ありがたいくらいだわ」

猫背のまま混乱した顔でこちらを見るイノが面白くて思わず声を出した。

笑うわたしに拍子抜けしたのか、体を右に倒し肘掛と背もたれの角にはまり込む。

「分かんねぇ......」

「わたしは参考にならないわよ、普通は相手にも自分を好きになって欲しいもの」

心当たりがあるのかないのか、目が合ったイノは思考が筒抜けだ。以前チアが言っていた。イノは考えてることがわかるってより、考えそうなことが分かる、って感じ。と。

「なにか返してあげきゃいけないと思ってるんでしょ。そんなこと考えなくていいの。成就しない時点でそれは無理なんだから」

相談相手にわたしを選んだあたり、相当色々考えたのだろう。そう思うと、目の前の金髪にもう少し優しくしてあげても良いのかもしれないと思えてきた。

「じゃあ、次会ったらどうすればいい」

真っ赤な封筒を眺めながらイノがいった。

「なにも....なにも言わなくていいのよ。向こうが触れてきたらありがとうって、そのくらいでいいの。それにしばらくは....ううん、もう来ないかも」







横断歩道を挟んだ電柱の傍からバタフライを伺う赤茶色の髪をした女の子を視界に入れ、わたしは自分で笑いそうになるほどの2度見を披露した。

もちろん誰かに見られている訳では無い、強いて言えば自分だけ。


昨日と同じく鈴原の制服をまとった女の子は、サラサラのショートヘアをなびかせながらチラチラとスマホを確認している。不審者極まりないその姿は、女子高生フィルターのおかげで幾分マシに見えた。

「ちょっと、今日はあの金髪いないわよ」

「......え?_____きゃっ!」

背後から突然声をかけられて悲鳴をあげたその子は、手の中で何度かスマホをバウンドさせた後無事捕まえた。

「あ....!あなた昨日彩影さんと一緒にいた......」

大きなアーモンド型の目をぱちくりとさせこちらに向き直ると、彼女はチアの名を口にした。

「よく覚えてたわね、あの一瞬で」

「だって......相当ピンクだし....」

「......それもそうね」

言われて思わず苦笑った。か弱く演じたいのだろうと思っていたが、意外と言い返せるタイプだ。

「いつからここにいたのよ、入れば良かったじゃない」

「1時間くらい......かな......」

嘘でしょ。

時間を確認してスマホをポケットへしまったその子は、俯いてローファーのつま先を地面に擦り付けた。

「だって....昨日振られたばっかりだし......お店はちょっと......でも聞きたいことがあって....偶然を装いたくて......」

小さくか弱い声でそう答える。

振られた、と。相手にもしっかりと伝わっているあたり、イノは本当に誠意を持って接したのだろう。やはり見直した。わたしに聞かなくたって彼女にとって何が1番最善か判断できていた。

「だからって1時間も....さっきも言ったけど、今日はシフトないわよ」

「......じゃあ_____」




カランカラン、と。聞き慣れたなんてものでは済まない鈴の音を浴びながら店内を進んだ。女の子をボックス席へ座らせて自分は足早に本来の目的を達成させに行く。


「友達?」

「ううん、違うし....なる予定もなくて....」

カウンターで食器を洗っていたゆうくんが不思議そうに顔を上げた。あまり見ない表情で嬉しい。のと同時に少し申し訳ない。

しかしこちらも説明しようのない関係のためこれ以上言えることがない。

「名前も知らないのよね。それで....頼まれてたのはこれと...これ、あとこれも外のポストに入ってた」

鞄から取り出した紐付き封筒を手渡す。もう用事が終わってしまった。

「ありがとう、助かった....名前も?」

「そうなの」

振り返ってボックス席を見ると、お行儀よく脚を揃えてこちらを見つめる赤茶色と目が合った。話がしたいと言われ承諾してしまったものの、ゆうくんを前にした途端追い返せばよかったという気持ちが強くなってきた。閉店30分前の今、店内にはわたし達以外客は誰もいない。惜しまずにいろという方が難しい。


いや、今回はイノのためだと思って堪えよう。それに付きまとわれて困るのはイノだけでは無い。今日中にすっぱり諦めて貰わなくては。

そう自分に言い聞かせ前を向くと、ゆうくんの後ろに割れた皿がまとめられていることに気づいた。

「お皿、割っちゃったの?珍しい」

視線を追ってゆうくんが振り返る。

「ああこれ、今日来たらあったんだ。昨日イノか客が割ったんじゃないかな」

明日捨てるよ、と言って皿をゴミ箱の隣へと移動させる。

十中八九イノだ。まさか皿まで割っていたとは。にしても動揺しすぎではないだろうか。

昨日本人にこそ言わなかったものの、彼にそういった経験が無いことに内心驚いていた。ネラとイタリアのハーフというだけで人目を引きそうなものだが、そもそも学校に行かなければ始まるものも始まらないということか。

「手、切らないでね。それじゃあわたしあの子を追い返さなくちゃいけないから」

「うん?......うん」




席で待つその子は、近付いてくるわたしを見るなりにっこりと笑いかけてきた。ひとつひとつの動作がぬかりなくかわいらしい。

「ごめんなさい、用事は終わったから」

「平気。それでね、あ....えっと....」

「トアよ」

「トアちゃん....!私はヒナ」

ヒナと名乗ったその子は心底楽しそうにわたしの名前を呼んだ。これでは本当に友達みたいだ。

「あのね、聞きたいのは_____トアちゃんもイノくんのことが好きなの?」

わたしが席に着くや否や、前置きもなしにそう口にしたヒナは、不安そうな上目遣いでこちらを覗き込んできた。

冗談でしょ。

荒らげそうになった声を極力、できるだけ、抑え、それでいて心からの否定を返す。

「そんなわけないでしょ......!」

店内が静かすぎたのか、思いの外声が響いてしまう。

大きな目をより大きくさせたヒナが呟く。

「そっか......」

「ごめんなさい....つい。でもね、本当にあんな金髪、頭の片隅にもいないわよ」

「あんな....って、じゃあ......やっぱり彩影さんかな......!? 2ヶ月前くらいから学校に来なくなって噂になってたんだけど、イノくんとは会ってるんだ......やっぱり付き合ってるのかな....!?」

震えながら再び口にしたチアの名に、ヒナは若干興奮気味で身を乗り出した。今にも泣き出しそうになっている彼女には悪いが、そう思ってくれているのならば都合がいい。事実だからイノは諦めろと言ってしまおう。学校でどう広まろうとわたしの知ったことでは無い。

「残念だけど、そ____」

「だって彼女もいないのに私を振るなんておかしいよね......!?」

「え?」

「他に理由がなきゃ、おかしいよね......!?」

そう言っていよいよテーブルに両手をついた彼女は、腰を浮かせてわたしの顔を覗き込んだ。

「えっと....ちょっと落ち着いて____」

「私っ、すっごくショックで......!自分から告白したのも振られたのも初めてで....っ」

ついに泣きながらテーブルに突っ伏した彼女は、こちらの気も知らずに鼻を啜った。

呆気に取られて揺れるつむじをみていると、急に顔を上げたヒナがわたしの右手を両手で掴んだ。

「私かわいいよね....っ!?」

言った。

水分を含んだ大きな目が必死で訴えかけてくる。振り解くわけにもいかずに掴まれた手を握り返した。

「そ......そうね......」

「そうだよね......!?うっ、私ほんとに頑張って、髪も短いのが好きなのかなって思って......っ」

声を上げて泣き出したヒナは、手を掴んだままテーブルに突っ伏した。

体が勝手にゆうくんの方を向いてしまう。目があったゆうくんが控えめにヒナを指さした。

意図はわからなかったけど、わたしは首を横に振っておいた。

慰めにきて惚れられでもしたら困る。


その時、タイミング悪く入り口の鈴が揺れた。

「_____先輩?看板OPENのままだったけどもう閉めてよくないっすか____」

片手に紙袋をさげたイノが声を張った。様子のおかしいこちらに気づき硬直する。

続いて後から入ってきたチアが後ろ手で扉を閉めた。

「聞く前にひっくり返してきたくせに」

立ち止まったイノに小言を言ったところで、チアもこちらに気がついた。

「あれ?昨日の」

ガタッ、と。

その瞬間わたしの手を離して立ち上がったヒナが大股で入口へと向かう。

「イノくんっ!!」

まずい

「え゛、ああいや......あの、俺昨日____」

手本のようにうろたえたイノが一歩後ずさる。

お構いなしのヒナは、頭突きでもしそうな勢いでイノの顔を覗き込んだ。

視線が交わること0.5秒。

「イノくん....!私____っ可愛いよね!?」


店内全ての視線が1人の人間へ集まった。

口を開けたチアがなぜかゆうくんとイノを交互に見る。

紙袋を握り直したイノがヒナの肩越しにこちらを見た。

わたしはここ数ヶ月で一番真剣な顔を向け大きく頷いてみせた。

正面を向き息を吸ったイノが小さく頷く。

「そりゃ......もちろん______」

「っほんと!?..............はぁぁ、よかったぁ........」

そう言ってヒナは深く息を吐きながらイノの足元にしゃがみ込んだ。

動揺の後半身で振り返ったイノは、紙袋をチアへ手渡し自分もしゃがみこんだ。

「あの、ごめん....大丈夫」

「......うん。ありがとう、イノくん」

顔をあげたヒナの後ろ姿は、心なしか光量が上がっているように見えた。きっと屈託のない笑顔で笑いかけていることだろう。

イノの緊張もとけ、安堵の心境が伺える。

「そうだ、イノくんもう93日学校に来てないよね。鈴原は欠席率3分の1以上で留年だからとっくにアウトなんだけど、通知とかって届いてるの?」

「え?」

「ああでも、留学申請とかしたら大丈夫なのかな」

今日一の動揺を見せたイノがヒナを見つめる。

そんなイノをよそに立ち上がったヒナが晴れ晴れとした顔でこちらに戻ってきた。

「可愛いって!ふふ」

「......よかったわね」

「うん!お話聞いてくれてありがとう、もうここには来ないかもしれないけど、今度会えたら御馳走するね」

 三十度の角度で会釈したヒナは、素早く、軽やかな足取りでバタフライを後にした。



沈黙を破ったのは表情を曇らせたチアだった。

「......あたしもやばい」

「いや、俺は元々行ってなかっただけでチアはまだ______」

本人は全て察しているらしく、ふらふらとカウンターのゆうくんに紙袋を手渡しに行く。

「......ごめんね、チアちゃん」

「い、いえ。どうせこんな状況じゃここにいてもいなくても学校なんか行ってる場合じゃないから......」


チアを見ていたイノが不満ありげにこちらへ寄った。

「何してんだよ?」

「何って、不本意なカウンセリングよ。感謝して欲しいくらいだわ」

文句を言われる筋合いはない。むしろ手を合わせて拝んでくれたっていい。

わたしの言葉を聞き、眉を寄せていたかと思えば、力を抜いて息を吐いた。

「まあ確かに、ありがと」

え?素直すぎて少々不気味だ。ずっとこうならいいのに。

「あの子の名前、知りたい?」

「ほんと何してんだよ.....いい」










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