相性2



二時間の間にも無線は数回鳴ったが、無透が目を覚ますことは無かった。相当気を張っていたのだろう、呼吸をしているかどうかも疑わしいほどに熟睡してくれている。

それで安心するくらいなら出ていって貰えばよかったのに、せっかく向こうから申し出てくれたんだから。


余計な思考を振り払い一度は控えた中和剤を彩影に打つ。

無透が来る前は何度もうなされ、見かねて眠剤を追加した。

空の注射器を収めサイドテーブルの書類をまとめる。大事そうに彩影の手を包み寝息をたてている無透を見下ろした。器用にしゃがみこんで上体をベッドへ預けている。

毛布のひとつでもかけてあげればいいのだろうが、本人は喜ばないだろう。かといって彩影の隣に寝かせてやれるほどの力など到底持ち合わせていない。


白衣を脱ぎ丸椅子へと置いた瞬間、扉からピピッという機械音が鳴りダンボールと書類を抱えたロダが入室した。

熟睡する無透に目をやると、白々しく眉を上げる。

「てっきり追い返すものだと思ってました」

「ロダのせいでまたパスワードを変えなきゃいけなくなった」

ダンボールの上に乗る書類の束を受け取り、目を逸らす彼女に苦言を呈した。

「ええ?身に覚えがないですね」

「おれがパソコン使えないの知ってるくせに」

「いい加減携帯くらい扱えるようになって貰えませんかね、連絡とれないんですよ」

机へとダンボールを降ろし、目を細めて逆に文句を言ってくるロダへと不服の視線を返す。

そんなおれを見て嬉しそうに伸びをすると、再びベッドへと視線を移した。

前髪のかかった赤い瞳が一点を捉える。

「どうして追い返さなかったんですか」

つられて無透へ視線を向けるも、今その問いに答えるにはもっと自分を知る必要がある。

というより____自分の中の。

「....わからない」

おれのつぶやきを追求することなく、ふーんと声を漏らしたロダは徐にダンボールの中身を漁った。

ほんと、君はそういうところが良いよね。

「包帯とアルコールと、アスのところに持って行けと言われたので来ましたが、これ絶対医務室と202号室で必要なやつですよね」

ロダを使いっ走りにするなんて、その人は随分命を軽視しているようだ。

「おれが医務室にいると思ったんだろうね」

「また運ぶんですかこれ....」

恨めしそうにダンボールを睨み取り出した包帯を収めていく。

「おれも持つよ」

両手を差し出すおれを見て小さく口を開いた。

「いえ....持てないわけではないので....アスは彩影ちゃんから目を離せないですよね」

「点滴も外したし放っておいて大丈夫だよ。朝霧の様子も見ておきたい」

訝しげなロダの視線を受け止めた。

言い訳を考えている。ここから、彩影から離れる口実を。

そう気づいた時、胸の中の異物が和らぐのを感じた。

やはりそういうことらしい。

無透の問いかけが思い出される。彩影がおれを嫌う理由。おれが彩影に嫌われたい理由。

「そうですか....でも荷物は私が運びます」

そう言ってダンボールを抱え扉へと歩いて行く。

「え、ちょっと待って____ 」

すたすたと進むロダに出遅れ1歩踏み出した時、ロックをかけていなかった扉が勢いよく開かれた。

「っおい____あ、こいつやっぱりここに....いやそれはいい....!アス、これ見てくれ!」

騒がしく入ってきた大雅は一瞬無透を視認すると、ダンボールへ肩をぶつけながら1枚の紙をなびかせて大股で近づいてきた。ロダは全くよろけることなく迷惑そうにその背中を睨んでいる。

「ふたりが起きちゃうよ、何?」

只事でない表情に嫌な予感を感じながらも片手で大雅を牽制する。

大雅はその手に紙を押し付けると、なにか言おうとして体を折り曲げた。膝に手を付き息を整えている。

しわのできた紙に記載されているのは今まで飽きるほど見てきた採血の結果だ。

名前の表記は無いけど見ればわかる。普通の人より項目が多い。

「おれの検査結果が何?まあ、ちょっと数値は低いけどこのくらい____ 」

「違う......!あんたのじゃない、イノだ」

........は?


顔をあげ瞳を揺らす大雅を見た。

一瞬ネラの言葉で話されたのかと思った。けど大雅はアルドラ語を話せる、おれもネラ語は分かる。

聞いた言葉が信じられず再び検査結果へと視線を移す。

ありえない。それだけは。この結果が出るのは世界でただ1人、おれだけだ。

「何言って......落ち着いてよ、そんなわけないだろ」

こちらを眺めていたロダも異変を察知し大雅の後ろから紙を覗き込んだ。

「ああ....定期検査。なんか....随分低いですね」

ダンボールを降ろしおれの隣から改めて結果を確認する。

................そうだ........低すぎる。


おれ以外に出る筈のない反応_____レスレプトの遺伝子情報を穴が空くほど見つめた。

目を離せなかった。

濃度はおれの10分の1にも満たないけど、確かに、確かにある。

全身の血の気が引いていき、後ろ手で机に触れた。

同時に何十もの思考が始まり頭痛がしてきた。

なんで? いつ、どこで。


名前を呼ばれていることに気づかず、掴まれた両肩が震えた。

「アス、手遅れになる前に伝えるべきだ」

「だ、だめだ」

ふと、不思議そうに紙を覗き込んでいたロダが息を飲んだ。

「え、そういうこと....?これ、無透くんの結果なんですか? なんでアスと____」

咄嗟にロダの口を塞ぎ首を振った。

だめだ。これ以上ここでは話せない。

ロダはびっくりしたような顔でおれを見下ろすと、ゆっくりとこの手を掴んで下ろした。

「すみません....でも、そういうことなら私も伝えた方がいいかと」

返事ができずに変わることの無い結果を反復して目で追った。

おれだけが我慢すればいいと、遠ざければいいと思っていたこと。

言えるわけが無い。無透が彩影を想う気持ちは本物だ。おれなんかと同じはずがない。

虚しさなど感じている余裕もなかった。

彩影の手を握り突っ伏して眠る無透を見た。

......どちらも壊すわけにいかない。

「....わかってる。おれがなんとかするよ........ふたりは何もしないで....あ....と、大雅、このデータはどこにも残さないで。これも処分して」

折りたたんだ紙を強引に押し付けられた大雅は困ったような顔でそれをポケットへ滑り込ませた。

「それはいいけど、俺にもできることがあるなら」

「大丈夫」

我ながら苦しい。大雅にはばれている......もちろんロダにも。


ふたりを部屋から追い出した後もおれはしばらく動けずにいた。

レスレプトの遺伝子を身体から切り離す方法は無い。

無い以上、絶対に本人に知られる訳にはいかない。

人間の好意とレスレプトの食欲の相違を自覚したが最後、無透は彩影を守るためなら自らの安否も厭わないだろう。

そんなことはさせない......絶対。

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