相性
飛び起きて初めて自分が生きていることに気づいた。
真っ白い視界に理解が追いつかず、ツンとしたアルコール臭を吸い込む。
「う___っわ、なんだ!?びっくりした」
始まりつつある動悸を感じながら、大声を出してベッドのそばの丸椅子から落ちかけた男を見た。右手にボールペンを持ち、身をかがめ落としたバインダーを拾おうとしている。
「誰......すか」
いつぶりかに発したかすれ声に喉を鳴らし、改めて男に顔を向けた。見たところ先輩よりは年上......20代後半ぐらい。ダークブラウンの短髪をかき上げ文句を言いたそうな目でこちらを見た。
「おまえな......元気そうで何よりだけど、散々面倒見てやった相手の心臓を止めようとするのはあまりに不誠実じゃないか?」
「はぁ......すんません」
散らばった思考を集めるのがやっとで、どうしても間の抜けた返事になる。
俺、どうしたんだっけ?
「っチアは!?」
ガシャン、と。バインダーとボールペンを両方落とした男は、すぅと息を吸い体を前方に折り曲げながら息を吐いた。
「あのな......」
「チアは!?無事なんだろうな......!」
分厚い布団を剥ぎとり前のめりになって詰め寄った。丸椅子の上で器用にのけぞった相手は、再び息を吐き俺の左頬を優しく叩いた。
「落ち着け......保護はしてる。ここにいる、大した傷もない」
「は、ってなんだ。は、って......!」
頬の手を払い立ち上がろうとすると、見かねた茶髪が俺の肩を掴んだ。
「1回落ち着け!いいか、俺はここの医者だ。おまえは外傷があったから俺が診た」
外傷という言葉に視線を落とした。ズボンは着ていた黒のカーゴパンツのまま、Tシャツも白いままだが素材が違う。袖口から覗く左腕が一箇所青黒く変色しているのに気づいた。
「折......れ」
「てない、史上最悪の打撲ってところだな。後は多少の切り傷。遊が受け身を取ってなかったら今頃バラバラになってたかもな」
初対面の男は聞き馴染みのありすぎる名を口にし、落としたままだったバインダーを拾い上げ視線を上下させた。
「6時間前に痛み止めを打ってるから、もう少ししたら自分で飲めよ」
「6......?」
今何時なんだ......そもそもまだ今日なのか?そんでここは......やっぱケルドス......?
泳ぐ視線に心境を察したのか、愚かな怪我人に寄り添うことにして視線を和らげた茶髪は、立ち上がって俺の頭をクシャリと撫でた。大きな手に首が揺れる。
「まあ、あの子はアスが診てるし、お前は早く体調戻し____」
急に立ち上がった俺のせいで最後まで言い切る事が叶わなかった茶髪は、一度は歩み寄ろうとした自分を後悔し顔を歪めた。
「おまえもうわざとだろ」
「よりによってなんで、名前も知らねーけどあんたのがましだった。どこにいるんだよ」
取り乱す俺に呆れ果てた茶髪は、丸椅子に腰を落としガリガリとバインダーに何か書き加え始めた。
「教えるわけないだろうが。俺は結構一般的な医者でアレの知識はないの。アスでどうにもできないんじゃ誰にも何もしようがねーよ」
もはや視線も合わず、取り合う気のない態度に舌打ちした。机の上に投げ出された自分のナイフを引っ掴み、スニーカーを履いた。
「もういい、自分で探す」
俺の返答を無視できず振り返った茶髪は、その瞬間強く投げつけられたタオルケットにまみれてよろけた。
「ば____っこら、おい戻ってこい!」
独特な音で大層なロックをかけた部屋を後にし、廊下を走った。自分の位置すら把握していないが、あの茶髪が追ってきている可能性を考慮して曲がれる角をすべて曲がり階を一つ降りた。
各部屋に教室のようなプレートが設置されているものの、医務室の表記はない。
商業施設のような親切なフロアマップもなければ知り合いもいない。
知り合い、先輩もトアもここにいるだろうか。先輩に至っては自分のせいで怪我をしたかもしれない。トアに知られたら本格的に骨折が待っているかもしれない。
背筋に寒気を感じながら廊下を進んでいると、ここで初めて見覚えのある顔を認識した。嬉しいとも言えない黒髪に体が反射的に緊張する。
「あら......
足を止めたロダは俺を足の先から頭のてっぺんまでじろっと見ると、一瞬思考の間を取って脇に抱えていた灰色迷彩のジャケットから何かを取り出した。
「もう歩いて平気なの?頑丈なのか鈍いのかわからないけど、生きてて良かったわね」
本気でなさそうな口ぶりでそう言うと、取り出したUSBを俺へ差し出した。
「......なんだよ」
「別に、理由をあげるだけ」
渡されるまま受け取りつつも言葉の意味がわからず2秒ほど視線を返す。
「何言ってんのか____」
「私忙しいのよね、2つ上の階の角部屋0801。よろしく」
困惑する俺を残しすっと横を抜けたロダは、こちらを振り返ろうともせずに靴音を響かせた。
見えなくなるまで呆然とその背を見送った俺は、我に返りUSBへ視線を落とした。なんの変哲もない真っ黒なそれを手の中で転がす。
二つ上の角部屋。その意図の心当たりに思わず体が動いた。
今来たばかりの階段を駆け上がり廊下を進んだ。
いつもならなんでもないはずなのに、寝ていた反動なのかすぐに息が切れてきた。
どうして教えるんだ?
あいつ、アスのボディーガードかなんかだろ。
途中何度か警備員らしき人間とすれ違いつつも、彼らの中では腕を変色させた金髪が建物を走り回るのは日常茶飯事らしく、誰一人として声をかけてくるものはいなかった。
部屋の前で息を整え、扉の周りを観察した。部屋番はなくプレートもない。
あいつらがいつもカードをかざしている電子ロックのパネルだけが赤く点滅している。
試しに手をかざしてみると真っ黒い画面にテンキーが表示され、四桁の下線が薄く浮かんだ。ためらいなく0801を打ち込むと、ピピッといいう小さな電子音とともにライトが緑色に点滅した。
踏み入れた室内は扉からの印象よりも広く、独特なアルコール臭も無かった。
チアの傍で真っ青な点滴を調節していたアスがこちらを振り返った。
「え、無透......!?」
初めて見せたアスの動揺に悪い気はせずも、浸る間もなくチアのベッドへと駆け寄った。
「おい、それなんだよ?チアはどうしたんだ?」
俺の剣幕に身じろいだアスは、すぐに状況を把握し息を吐いた。
「
「俺が勝手に出たんだ、そんなのいいからチアは?」
灰色との温度差に腹が立ち、つい声を荒げた。
そんな俺を横目に点滴の作業を終わらせたアスは、垂れ下がっていた首のカードを胸ポケットへ突っ込んだ。
「草食に噛まれたんだよ。今はもう安定してるけど」
安定という言葉にチアを見た。規則正しく呼吸をし、見える肌にも傷は無い。いやに濃い色の点滴だけが気がかりではある。
「ど、どのくらいで目を覚ます?」
「起こそうと思えば起きただろうけど、さっき眠剤を打ったからしばらくは眠るだろうね......毒を全部中和してからじゃないと意識があっても辛い」
サイドテーブルの書類を捲っていた手を止め、チアを振り返って言った。
俺を落ち着かせようとしているのか、あるいは本当にその程度なのか、一定のトーンを保つ声に肩の力が抜けてきた。
「そっか..............ありがとう」
完全に脱力し、しゃがみこんでベッドに顔を埋めながら発したこの声が届いたかどうかはわからない。
言葉を発しないアスを見上げてもう一つの目的を思い出した。
「これ、あの黒髪が」
USBを差し出す俺の腕を見て、一瞬顔をしかめながらも冷たい手でそれを受け取った。
「ロダめ........絶対楽しんでる.........それ、折れてないの?」
そう言われて怪我をしたのが利腕だったことに気づいた。痛み止めのおかげなのか特に辛くもなく忘れていた。先ほどより色の具合が悪い気はしつつも平然を装う。
「あの茶髪は世紀末並みの打撲だって言ってた」
「それヒビとか入ってるんじゃ......」
手の中で転がしたUSBをポケットへ入れ、若干引き気味でそう言う。
「見ないのか、それ」
「どうせ何も入ってないからね」
意味がわからず、隣へしゃがみ込んできたアスを瞬きして見た。
説明する気は無いらしく、アスはこちらを見ずに何もしていない方のチアの手を布団から出した。白く血の気の無い手の甲に顔を近づけ、中指の付け根を親指でなぞった。
その仕草に心がざわついた。咄嗟に払い除けたくなった衝動を悟られたくなくて目を逸らした。それが余計だった。
小さく笑ったアスがチアの手をこちらに差し出す。
「握っててあげてよ」
返事らしい返事をできずに言われるがままチアの手をとる。
立ち上がったアスは入り口に近づくと、首のカードをパネルに当てた。
緑のままだったライトが赤く点滅する。
チアに視線を戻し、額へ垂れた髪を脇へ流した。
もちろん無事である前提だけど、正直眠っていてくれてよかった。この腕を見られていたら要因がチアでないことは確かであっても、本人は自分を責めていただろう。後で包帯か何か貰おう。
ふと、アスの行動を思い出し握った手を観察した。よく見ると中指の付け根あたりに小さな穴が無数に開いており、思わず体が強張った。一瞬注射の痕かとも思ったけど気づいた。噛み痕だ。
この件に関わるまで爬虫類はネズミなんかを丸呑みするイメージがあり、歯は無いものだと思っていた。もちろん無い奴もいるけど、それならあるやつだっているに決まってる。特にこいつらの草食型は攻撃力が乏しく身を守る手段が体内の毒しかない。行使するために一般的な爬虫類よりも余計な発達を遂げているらしい。トアが言ってた。
室内はアスがペンを走らせる音のみになり、俺は再びベッドに顔をうずめた。
チアが目を覚ましたときそばにいてやりたい。
けど正直、俺は邪魔だ。
散々嫌った相手に治療を委ねることしか出来ず、挙句の果てには余計な配慮もとい放置されている。
俺の事なんかなんとも思っていないらしい。
......そりゃそうだ。あいつは俺に両手で触れるだけで殺してしまえる。
いや、最悪だ。今のは卑屈すぎる。
清潔な布団に吸収された唸り声は誰の耳にも入ることは無かった。
「......なあ、俺茶髪のとこ戻るわ」
俺の体温が移り始めたチアの手を離し立ち上がった。
丸椅子を回転させたアスが不思議そうにこちらを見る。
「え......なんで?」
予想外の返答にこっちが困惑した。
互いに視線を送り合い口を開いたのは俺。
「なんでって......やれることないし、てことは邪魔だし......お前だって俺がいないほうがいいだろ」
自虐的な言葉にぱちぱちと瞬きしたアスは、ペンを置いてこちらへ向き直った。
「無透って........。別にそこにいるくらいなんとも........おれを
それをお前が言うのか。
いざ聞かれてしまうと、はいどうぞとは言いたくないものだ。
反射的に顔をしかめてしまった。
「......じゃあ聞くけど、チアがお前を嫌いな理由____あれだけじゃないだろ」
今度はアスが動揺する番だった。
逃げるように視線を泳がせ、目を伏せる。
「......何考えてるのかわからないけど、無透もいただろ。おれを避けるには十分だよ」
飛び散る灰に浮かぶ緑色の目を思い出して体調が悪くなってきた。
考えるな、誘導されてるだけだ。やっと聞いたんだろ、問い詰めるなら今しかない。
そう、俺も見ていた。だからこそわかる。チアがあんなに怒ってるのには別の理由がある。
「誤魔化____」
身を乗り出した瞬間、黒電話のような音が室内に響き渡った。
逃げる口実を与えられたアスは、壁に設置された無線機をとり耳に当てた。
「はい、401号室______うわ..........文句ならロダに言ってよ........ええ......」
聞き取れこそしないものの、相手の剣幕はこちらにも伝わってくる。にもかかわらず受け口である当の本人には効いていないらしく、すぐにうんうんと適当な返事をし始めた。
それに混ざって聞こえた小さな呻き声に全身の細胞が反応した。
咄嗟に膝をつきチアの手に触れた。額に汗をにじませ、眉間にもちょっとしわが寄っている。
と思ったら、うんとかなんとかぼやいてまた静かに呼吸をし始めた。
訳がわからず縋る思いでアスを見ると、狼狽する俺に気づき無線機を耳から離す。
「何?吐いた?」
「い____や、なんか呻いて」
アスは再び無線機に耳を近づけて何か一言告げると、そのまま通信を切った。
徐に机の上の木箱を開け注射器を取り出す。
俺はその液体を二度見した。
小学生の絵の具筆洗バケツだってあんな色にはならない。
「ちょちょちょっと待て」
「何....?危ないからそっち行ってて欲しいんだけど____」
「おかしいだろその色____」
「そう....?そりゃあんまり綺麗な色じゃないけど、まだ痛むんならこれがいいと思うんだよね」
「は?」
「ネラにあるよね、良薬はなんとかになんとか、みたいな」
「一緒にすんな」
気のせいであって欲しいものの確実にどこか楽しそうなアスは、チアのそばにあるサイドテーブルに注射器を置きバインダーに何か書き加えた。
その態度に、俺は行使できるはずもないナイフを抜きチアの前に立った。こいつが真面目に治療してくれてるのはもう分かった。だけどあれはダメだ。チアに問い詰められたとき抵抗したという事実を残しておきたい。
俺を一瞥したアスは、ふっと小さく笑うとボールペンを持ったままこちらへ歩み寄った。
近寄られるのは話が違う。
咄嗟に切っ先を起こして一歩後ずさった。
そんな俺を見て薄ら笑いを浮かべ、構わず手を伸ばしてきたアスは俺のナイフごと冷んやりした手を絡め自分の方へ引き寄せた。
「おい___あぶな__」
「彩影の安否はおれにかかってるんだけどなー」
と、左手のボールペンで俺の胸をトントンと叩く。
嫌な汗が頬を伝い、目の前の灰色から目を逸らした。
途端、パッと手を離されナイフが音を立てて転がった。
「あっぶねぇな....!」
「そんなに心配なら使わないよ」
カチカチとボールペンをノックしながら注射器を手にとったアスは、あっさりと机へ戻り要注意不審液を収納した。
「え......いいのかよ......?」
引き下がられるとそれはそれで不安になる。
それがなくてもチアは大丈夫なのか?くそ、めんどくさいな。
転がったナイフをホルダーへ戻し、チアを見た。汗はとっくに引き規則正しい呼吸で寝息を立てている。
「無透は俺をどうしたいわけ?」
「別にどうも......」
二転三転する俺の主張に呆れ果てたアスは、丸椅子へ腰をかけ無線機を手にとった。
「夢にうなされただけかもしれないから様子を見るよ。手を握ってて、って言ったでしょ」
その言葉に、テンキーへ数字を打ち込み始めたアスから目をそらしチアのそばへしゃがみ込んだ。
相変わらず血の気のない手を両手で包み、ベッドへ頭を乗せた。
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