年下に弱い

「やっぱり」

そういって喫煙室のガラス扉を押したロダは、目的の人物を視認すると、周りの視線も気にせず、躊躇うことなく歩み寄った。

表情にこそ変化は無いものの、その声は確実に浮ついている。

「リベルタさん、煙草を食事だと思っているところありますよね」

「......言うようになったな」

煙混じりにため息を吐いたニーズは、まだつけたばかりの煙草を灰皿へと押し付けた。

「別にいいですよ」

「いいわけないだろ、こんなところに入ってくるな」

周囲の緊張も置き去りに、ロダは彼の行動を待った。

全く立ち退く様子のないその気配に、ニーズはようやく顔を上げロダを視界に入れた。いつもと何ら変わらない、カッターシャツにタイトスカート、整えられた黒髪に赤い目がよく映える。

「聞きたいことがあるんですけど___ 」

「待て」

ライターをポケットに突っ込んだニーズは、困惑するロダの背を押しながら喫煙室から出た。 入口にかけていた白衣を回収し、そのまま歩き出す。

「......アスの前では構わず吸ってますよね? 」

「あいつは何も無くても寄ってくんだよ、いちいち消してたらキリねーわ」

足早にニーズの隣へと並んだロダは、彼を見上げふーんと声をこぼした。

跳ねた藍色の髪から覗くピアスが、歩く度蛍光灯を反射する。誰もが本能的に距離を置きたくなるであろう彼が未だそうなっていないのは、周りにいる人間の影響だろう。飛び交う罵声もアスの前では無意味だ。

「でも私、自分で吸いますよ」

「......は!? 18じゃないのかよ」

「冗談です」

真顔のまま歩き続けるロダに、絶滅危惧種でも見るかのような視線を送る。

「生産性のない冗談だな...........で、用事は」

「ああ、忘れてました。ヘンルーダさん、見てないですか? 」

振り返り聞くロダに、変わらない視線を投げる。即答できる情報は持っていたはずだが、しなかった。エレノア・ヘンルーダ。そういえばそんな名前だった。1度も声に出したことの無いその性を頭の中で繰り返す。

「今日は孤児院の視察だ。家寄るっつってたし、しばらく帰らねーよ」

預かってくれと押し付けられたロッカーの鍵を触りながら、どうでも良さそうにそう返す。

「どこにもいないわけですね」

会いに来てまで聞いたにしては淡白な相槌に、またも心中を乱されそうになる。彼女の態度にはいい加減慣れた方がいい。無気力かと思えば急に言葉を並べ出したり、全くと言っていいほど次の行動が読めない。

「付き合ってるんですか? ヘンルーダさんと」

ほらな。

顔に出すのは負けた気がして、表情筋を殺す。当の本人は前を向いたまま余裕のある足取りで肩を並べている。

「えっ......そうなんですか? 」

「何も言ってないだろうが」

だからですよ、と、やはりどこか興味なさげに呟く。

「......年上は嫌いだ。総じてうざい」

誤解と言うより、都合よく解釈されないよう今一度否定する。

その言葉を聞いたロダは、歩を早めたかと思えば、進行を阻むようにニーズの前へと立った。

「......なんだ」

「......黙っていれば結構いい感じだと思うんですよね......あとその、眉間にしわ寄せるのやめてみませんか? 」

まじまじと、臆することなく視線を合わせてくるロダに、右手の人差し指が痙攣した。こちらを捉えて逃さないワインレッドに、容姿端麗という言葉が浮かぶ。良くも悪くも父親の面影を感じさせない彼女は、きっと母親に似たのだろうと。

「別に年下が良いとは言ってないだろうが」

「私もリベルタさんが良いとは言ってません」


息を吸ったニーズを見て、さすがにまずかっただろうかと身構えたものの、彼の視線はロダを飛び越え背後へ向けられた。

不思議に思い振り返れば、そこには目を逸らし硬直するアスの姿があった。

「あ____ご、ごめん.......ちょっと通りたいなって思っただけで......邪魔するつもりは......」

「アス?」

「ああいや........! はぁ......2人ともいつからそういう......う、気づかなかったなぁ」

「お前なんだそのふざけた格好は、あときめぇ勘違いやめろ」

身をかがめ小さくなっていたアスは、苦笑いを浮かべ2人に向き直った。胸の前で揺れる虫かごも、背後にまわした虫網も、まるで白衣に不釣り合いでいる。

「これは..................ううん........2人とも、ヘレナ......見てない..........?」

どんどん小さくなっていく声に、ロダは疑問符を浮かべた。その名前には心当たりが無い。少なくとも研究員ではない。アスが研究員以外と交流があったことにも、自分がそれを把握していなかったことにも驚いた。

しかし、それを聞いたニーズはよりいっそう眉間にしわを寄せ、アスを睨んだ。

「まさか俺の机にあったやつじゃないだろうな」

「いやっ、全然......おれのところにあった......」

「共同机だろうが! どうやったら逃がせんだよ」

目を瞑り罵声を受け止めるアスとニーズを交互に見る。

「あの、ヘレナさんって誰ですか? 」

「......あ? ヘレナモルフォ。蝶だよ蝶」

ああ、と声を溢しアスを振り返る。先程まで苦言という名の罵声を浴びていたとは思えぬほど平然としており、ニーズの威厳を損なっている元凶を再確認した。

「そうだ、ヘンルーダさん、孤児院の視察だそうですよ」

「ん....ああ、そっか。どこにもいないわけだ」

「用があったんですか」

「うーん......エルちゃんが一番蝶を捕まえるの上手いんだよね」

1時間前にはすでに蝶は脱走していたらしい。経過した時に、蝶が捕まる可能性の低さを察した。

「おい、見つけるまで帰ってくんじゃねえぞ」

「え?....ええ....!?」

辛辣な言葉に動揺を見せたアスが、ニーズを見上げた。

「たりめぇだろ、ほら行け」

「ロダー......」

「すみません、私リベルタさんに用がありまして」

その言葉に訝しげな目を向けたニーズは、振り切るかのように研究室の方へと歩き始めた。






「用は」

もちろん優しさで聞いた訳では無い。解決するまで一生付きまとわれるのは勘弁願いたかっただけだ。

「スパーリングの相手になっていただけませんか? 」

こちらを見て言うロダに、つられて顔を向けた。

「正気かよ、嫌だね」

聞いてあげたからと言って、全てを叶える義務は無い。あからさまに大股で進むニーズを足早に追う。

「どうしてですか?お願いします」

「警備の奴らに頼めばいいだろ」

昨年夏にここを見学してからというもの、その後取り憑かれたかのように研究室へ足を運び、挙句の果てには警備隊へのスピード就職を成し遂げた彼女に、正直気味の悪さを感じていた。それ抜きにも、未成年の女相手にまともな訓練を行えるわけが無い。

「知らないんですか? 今の警備隊にリベルタさんより強い人材はいないんですよ」

「んだそれ」

左腕を捕まれ、仕方なく足を止めた。むっとした彼女を睨み返す。これで物怖じしないのだから面倒くさい。

「いい加減にしろ。だいたい俺が動けるかどうかなんてあんたに___ 」

「相当鍛えてますよね」

「だからそんなの__ 」

「廊下で着替えるのやめたらどうですか? 」

勝敗はあきらかだった。 軽く吸った息をゆっくりと吐き、視線を落とした。

「警備で物足りねえんなら駆除隊に行け」

「もちろん行きました、行きましたけど....彼らはあくまで対レスレプトの訓練しか受けていません。人間相手だとそこまで....」

ああ言えばこう言う。しゃがみこみ頭を雑に触った。容姿は母親似らしいが、なるほどこの執念深さは父親似だ。であればこれ以上の拒絶も意味は無いのだろう。

「あのなあ、俺だって独学なんだ。そんなに自信があんなら最悪ロダちゃんにも負け___ 」

「そうですよね!?独学で訓練してレスレプトを殺すなんて、あなたにしかできません」

しゃがみこみ視線を合わせてくるロダに、思わず仰け反った。

「なんでそれを......分かった、分かったからどけ」

「いいんですか」

素早く立ち上がり、ニーズへ手を差し出すも、それは当然のように無視された。

「いいって言わないと離れねえだろうが」

「私のこと、わかってきましたね」




ニーズが指定した場所は、4階つきあたり、1度も立ち入ったことの無い場所だった。自ら訪れたことがないのはもちろん、案内すらされなかった。

新しい空間に期待を込め、ロダは自身の社員証をかざした。

「なんですか?ここ、うわ」

室内で1番に目につくのは、正面左の黒くすすけた壁だった。設置されたサンドバックも、投げ出されたダンベルも比較的新しいものに見えたが、あの一箇所、むき出しの柱は、補強されつつも凄まじい過去を彷彿とさせる。

床は張り替えたのか、対照的に白く艶のないマットが覆っていた。

「前使ってた研究室だ、ちょっと事故って今のとこに移ったんだよ....アスが来る1年前だな」

黒のカーゴパンツに、白いTシャツを着たロダの姿に改めて体格差を感じた。万が一にでも骨折なんかさせたらここにいられなくなる。特に未練もないが。

「へえ......リベルタさん、これから週二で特訓してください」

「は? 馬鹿言うな、最初で最後だ」

「ほんとは週三がいいのに二でいいって言ってるんですよ」

「何様なんだよ」

屈伸を始めたロダを見下ろし、必死に思考する。

ここで引いてはならない。大事なのは、仕方がないと思わせることだ。

「......先に一撃入れた方の要求を飲む」

「やった、言いましたね? 」

立ち上がり拳を構えたロダに向き直る。どこか楽しげな目にため息をついた。


瞬きの間。息を止める。

軽やかな音とともに繰り出された彼女の蹴りを受け止め、反撃の拳を振るった。

上手く受け流したロダは、身を屈めその足を蹴りあげた。両手で身体を支え一回転する。鼻先寸前をかすった一撃に、背筋が冷えた。ニーズの口元が緩んだことに気づいたのはロダだけだった。

追撃を捌きながら彼女を観察する。キレもよく、体幹がいい。張り合える相手が見つからず、基礎体力の訓練に時間を費やしてきたのだろうと察しがつく。しかしそれでよかったと言える。この対応力は、並大抵の地盤では発揮できない。このまま鍛えればより光るだろう......だがその役割が自分である必要は無い。

防戦から転じ、1歩踏み込んだ。動揺を見せないロダに感心しつつも、大振りの蹴りを放つ。重心を後方へ移したロダを引き寄せ、体勢を崩す。

「え____ちょっと....!」

よろけて掴まれる左腕に構わず、足をかけた。

黒髪が舞う。

かわいた音と共に押し倒された未成年を見下ろし、息を吐いた。

彼女の頭の下に手を置いていたものの、今更それは杞憂であった。手本のような受身を取りつつも歪むその顔に、痛みによるものでは無いと察す。

「ほら、これで終わり____ 」

がくんと。力が抜け、近づいたロダとの距離に目眩がした。心臓の音が神経を伝い鼓膜へと響く。

「使いたくなかったのに、リベルタさん強すぎです」

「なん____ 」

ニーズの胸を押し、下から這い出たロダは、仰向けに転がった彼の腕から細長いアンプルを抜いた。

「お前」

「リベルタさんは本気で殴らないし蹴らないだろうなって、優しく押し倒していただけて感激です。油断しましたね」

ぐらつく視界に薬品を思考した。感覚麻痺と目眩、人間が死なない程度ということは、レスレプト用では無い。こんなものは作った覚えがない。

「アスに試験の相談を受けてたんですけど、ちょうど良かったです。一撃も何も、最後まで立っていられなかったら死んじゃいますよね....ほら、めちゃくちゃ鍛えてる」

動けないままでいるニーズのTシャツを一瞬めくると、上機嫌で立ち上がり、睨む藍色を見下ろした。

「それじゃ、よろしくお願いしますね」







「あ、ニズくんおはよ_____なにこれ? 」

乱雑に置かれた紙の束に、机上のモルフォがはためいた。瞬時に機嫌の悪さを察する研究員たちとは裏腹に、アスは好奇心から書類を手に取った。

「感覚麻痺...... 思考能力の低下......め......まい____え、ニズくん!?まさか____ 」

舌打ちしながら自分のロッカーを開いたニーズは、ポストイットだらけのノートをいくつか取り出した。

「もっと年上を敬えって言っとけ」

「け、警備だから....変な人がいたら試しに使ってみて、ぐらいの気持ちで渡したんだけど......頼まれたの?」

「いきなり射されたんだよ」

研究室内でロダ・ドーティスへの印象が更新されたのは明白だった。皆黙り込み、空気と化すことに専念している。

「それでデータとっちゃうあたり、君も大概病気だよね」

職業病、と書類の角を揃え、引き出しへ仕舞い入れた。

「どうだった? 」

「全部書いたろ」

「これは数値だよ、感覚の話」

「調子乗んなよ、クソガキ.........起き上がれなかったのは30分だけだ、痺れは残ったが立てないほどじゃねえ、切羽詰まってりゃ目眩も大した問題じゃねえ。眠剤入れてないだろ、こんな半端なもん作りやがって、なんのつもりだ? 」

過去に自分が調合した薬剤ノートをめくりながら、ニーズが言う。

「なるほどね....ちょっと長すぎるかな....効果はこのままがいいんだけど、15分くらいに縮められないかな....麻痺剤を減らしたら効き目にも影響しちゃうよね」

「まじで何に使うんだよ」

「解毒剤の作用開始時間を早めたら? 混ぜてるんでしょ」

机に両手をつき、モルフォを覗き込む金髪が言った。

「解毒......そうか....逆に、そっちを......」

相手を確認することも無く、その言葉を聞くや否や、適当な紙にペンを走らせ始める。その様子を見てニーズが顔をしかめた。

「おいエル、余計なこと言うな」

「なんでよ、発明は助け合いなんだから。あ、ねえ、この前実家で養子を迎えたって話したじゃない、視察先の子だから前から顔は合わせてたんだけど、もう小さくて真っ白ですっごいかわいいの.....やっぱ17歳差にもなると抱く感情が妹ってより姪____ 」

「うるせえな、知らねえよ」

7歳か、と。したくも無い計算が勝手に行われる脳に苛立ちながらも、顔に出さぬようあしらう。

「またそんなこと言って、ニーズはもっと情報を仕入れて、人に歩みよって、コミュニケーションとったほうがいいわよ」

あはは、と。書類から目を離さずにアスが笑った。

「いいね、おれもニズくんと世間話したいな。ニズくん、昨日何食べた? おれはね、レタス」

「黙れよ」









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