紗季  4

私は香織の家を訪れた。


香織に会うのは、なんとなく後ろめたい気もした。

けれど、香織は明るい声で迎えてくれた。


「紗季~! 元気にしとったと~? 今、母さんたち、おらんとよ。中に入りなっせ」


私は部屋に通された。

香織は聞いてくる。


「今、仕事はなんばしとっとね?」


「……いろんな会社で働いてきたばってん、どこも勤まらんかったとよ……」


途端に香織の表情が曇った。

まずいことを聞いてしまった。そんな表情だった。

私は取り繕った。


「あ、でもね、今は家でできる仕事ばしとっと。小説ば書いとっとよ」


どがんどんな小説ば書いとっと?」


「ん? 私の子供の頃の思い出。有料記事だけど、たくさんの人が読んでくれるとよ」


「……」


またしても、香織は黙ってしまった。

私がどんな記事を書いているのか、香織には想像がついたのだ。

私は話題を変えようと思った。


「吹奏楽コンクール、懐かしか~。あの時、楽譜にみんなで寄せ書きばしたったいね。まだ、持っとると?」


「あるよ。ちょっと待っとって。今、取ってくるけん」


そう言って、香織は奥の部屋に行った。



私は出されていたコーヒーを飲みながら待っていた。


* * *


やがて、香織は戻ってきた。

ブラスバンド時代の思い出の品を見ながら、青春の甘酸っぱい思い出に私達は浸った。

私は聞いた。


「今でも拓也と付き合っとっと?」


「うん……」


「あのさ、私、香織のことね……」


香織は、私が何を言おうとしているのかを察した。


「ごめん。今でも無理だから。ごめん……」


「うん……きっとそう言うと思ってた。だからね、香織と会うのはこれで最後なの」


私が言い終わる前に、香織はテーブルに顔から倒れ込み、そのまま眠ってしまった。

薬は効いてくれた。

香織が寄せ書きを取りに行っている間に、私は睡眠薬を彼女のコーヒーに入れておいたのだ。



眠ってしまった香織に、私は言った。


「……ずっと……好きだったの……香織のことが……」



私は、血の繋がらない父に凌辱される日々を送っていた。

学校では私に好意を寄せてくれる男子はたくさんいた。

でも、男子たちの目は私の胸にばかりいく。

その視線が意味することは、私にはよく分かっていた。

この男子たちも、結局は私の父みたいなことがしたいのだろう。


いつしか、私は男性に対して幻滅していた。


そんな中、吹奏楽部でホルンを教えてくれた香織は、天使に見えた。

私と違って、洗練された体つきをしていて、笑顔もとても眩しかった。

香織に対する気持ちは、友情を通り超え、恋愛感情になってしまっていた。


香織は、私の気持ちを受け入れてはくれなかった。


その後、香織との関係は気まずくなった。

けれど、香織は拓也と付き合うようになり、それを契機に私達はまた普通に話せる仲に戻った。


それで解決したかに思っていた。

いや、解決したと自分に言い聞かせてきた。


故郷を離れて一年。

結局、私は香織への恋心を諦めることはできていなかったのだ。



私は香織にキスをした。


私は荷物から薬を取り出すと寝ている香織の口の中に入れ、残っているコーヒーと一緒に飲み込ませた。


眠っていた香織は、急に目を覚ますと苦しそうな声を上げながら喉をかきむしった。

香織は目を丸くして、私の顔を見つめる。

香織が私だけを見つめてくれている……

それが嬉しかった。

私は言った。


「さようなら、香織」


香織がこの世で最期に見たもの。

それは私の顔だったに違いない。


香織は息絶えた。



私は、香織の家族が帰ってくる前に家を出た。


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