紗季  3

私は実家に帰った。

連絡無しでいきなり帰省した私を見て、母は驚く。


「紗季、どげんしたとね?」


「あぁ、ちょっとね。ところでさ、荷物大きいけん、中に入れてもよかね?」


「よかよ……」


あっけにとられている母を尻目に、私は中に入っていく。


「誰もおらんと?」


「もうすぐ、父さんが帰ってくるとよ」


「そっか。なら、ちょうどよかった」


一年ぶりの実家は、やはり懐かしかった。

私は、台所でお茶の用意をしている母に近づいた。


今だ!


私は忍ばせていた包丁を強く握り締め、母の背中に突き刺した。


母は悲鳴を上げる。


私は母の髪をつかんで床に倒すと、馬乗りになり、今度は腹部へと包丁を突き立てた。


苦悶の声が台所に響き渡る。

母は怯えた目で、私を見つめた。



「母さん、怖い? その顔、あの頃の私の顔と同じなのかな?」


母は苦痛に悶え、何も返事ができないようだった。


「母さん、私が怖い? 私もね、母さんが私を叩く時、とっても怖かったとよ。きっと、今の母さんと同じ顔をして見上げていたんじゃないかな」


もう一度、母の腹部に包丁を突き立てた。

そして、私は居間から灰皿を持ってきた。


「母さん、まだタバコなんか吸っとったと? 私、タバコ、大嫌いだった。私が苦しそうに咳してたのに、どうして平気な顔してタバコが吸えたと?」


私は母の顔に灰皿を投げつけた。

吸い殻と灰が、母の顔を覆う。

母は咳き込んだ。


「母さん、私は物で叩かれるのも嫌だったけど、火のついたタバコを押し付けられるのも嫌だったとよ」


私は自分の手を母に見せた。


「私の手、火傷やけどだらけ。こんな手、人に見せられない。あのね、私がブラスバンドでホルンを選んだ理由、知ってた? ホルンを吹くときは片手をベルの中に入れると。だから、そっちの手の火傷は見られんですむと」


私は床からまだ火の残った吸い殻を拾うと、それを母の手に押し付けた。

母の顔がさらに歪んでいく。


どがんどんな気持ち?」


母は何か言おうとしていたが、言葉になっていなかった。


「母さん。私が父さんに何ばされとったか、知っとったよね? 助けてくれるとは思っとらんかったけど、じゃあ、私はどがんすればよかったと?」


私は母の胸に包丁を突き立てた。

母の口から血が吹き出した。


「前の父さんも、再婚した父さんも、どっちも最低。前の父さんは母さんと同じで私に暴力を振るって、次のお父さんは殴りはせんかったけど別の意味で私に手を出して……」


母の目から光が消えていく。

私は叫んだ。


「あんたなんか大嫌い! あんたは親じゃない! 私の人生を返して!」


私の言葉は母に届いたのだろうか。

今となっては、そんなことはどうでもいいことなのかも知れない。

母は死んだ。



さてと。

次は父を殺す。

実の父の方は、離婚した後、酔っ払って交通事故を起こして死んでしまっていた。

私が復讐するまでもなかったのだ。



新しい父……

何が父だ。

娘に手を出す父なんて、吐き気がする。



私の青春を返して!



その時、玄関の戸が開く音がした。

私は居間のドアの陰に身を潜めた。



「ただいま」


1年ぶりに聞いた父の声。

やはり、吐き気がする。


居間に入ってきた父は、部屋の惨状に驚いていた。


私は包丁を握り締め、思いっきり父の背中を突き刺した。

反撃される前に殺さなくては。

私は何度も突き刺した。


父はうめき声を上げながらひざまずく。

私は父の頭を思いっきり蹴飛ばし、床に倒した。


「……紗季……」


「お父さん。おかえりなさい」


私は、父の下半身に包丁を突き立てた。

何度も。

何度も。



「おかえりなさい。そして、さようなら」



私は父の首筋に包丁を突き立てた。

また生きてやがる。

しぶといやつ。


私は包丁を抜いた。

途端に、噴水のように鮮血が天井まで吹き出した。


うへぇ、汚い……

いつの間にか、私の全身が赤く染まっていた。

最後まで、父の体液に汚されるのか。



お風呂を使わせてもらおう。

実家の風呂場も、一年ぶりに見ると懐かしさがあったが、同時に幼い頃の嫌な思い出も蘇ってきた。

私は全身についた汚い血液を洗い流した。

排水口に流れていく赤い液体を見ていると、この家での嫌な思い出も一緒に流されていくような気がした。



風呂から出た私は、のんびりと髪を乾かした。

私は解放感に満ち溢れていた。

血まみれの服はここに置いておこう。

警察は私を追いかけるだろうけど、私は捕まる前に、追いかけられない場所へと逃げていることだろう。

だから、証拠を隠すつもりはなかった。


ただ、凶器の包丁はボロボロだった。

人間の骨は意外と硬い。

包丁はすっかり、刃こぼれしていた。


スーツケースから出した服に着替え、台所に寄って包丁を取り替えた。


「じゃあ、母さんも、さようなら」


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