06 往路の話

 佐々木先輩の車で廃墟……元はラブホテル……へと向かっている。運転手は先輩。助手席は菊田で、後部座席は俺だ。

 先輩は、とてもほがらかだ。つい十五分前の様子が、まるっきり嘘に思える。

 チラチラとバックミラーに映る俺を見ながら、早口で次々と言い立てる。

「いやー、青木と一緒に行けてよかったわ。俺マジで楽しみにしててん! ほんまにな、三人で行きたかって菊田と楽しみにしてて、ほんっとマジで。今日もおまえが帰ってくるの、ずっとずーっと待っててんよー。ほんだら断られるやん、酒はいってたら手ぇ出てたわー」

「懐中電灯は菊田が持ってるからな? 電池、あたらしいのにしてるか?」

「はい」

「ええぞ、ええぞ。愉しくなりそうやのぉ、小道具もバッチリやがな」

 もしかして、この人。メンタルのどこかが壊れているんじゃないだろうか? 断じて言うが、メンタルを病んでいる人たちへの偏見はない。それに今まで、そんなに長く生きてきたわけではないけれども、その類いの病に苦しむ人や家族も多々みてきたつもり。

 だけど先輩は、俺が見てきた人たちのどこにも分類できない。

 やばい。

 助手席の菊田が体ごと、こちらを向いた。どこかで作って貼り付けたような笑顔を浮かべている。「ビビッてんなよー?」

 つとめて平然と答えた。

「別に、そうじゃねーよ」

「ま、青木の『今回だけ』っての先輩も承知したと思うで?」

「……当然やんか!」

 先輩が強い口調で言葉を挟む。

 菊田は一瞬、陰鬱な表情になった。だが、すぐに顔色を戻して助手席に深めに座りなおしている。もしかしたら彼も、廃墟行きは本意ではないのかもしれない。

 車はどんどん暗い夜道に入っていく。時折、コンビニでもなく住宅でもない色彩の建物を行き過ぎる。全体を照らすようなライトやネーミングが、いかにもラブホテルという感じだ。

 菊田が鼻歌をうたっている先輩に話しかけた。

「この辺でしたっけ?」

「たぶん、そうやったよ?」

 現地に着くまで、自分からは何も話したくない。俺は心に固く決めていた。特に要注意なのは佐々木先輩だ。この人の感情を逆撫でしたら、大変なことになる。

 ほんとうに怖いのは生きている人間だ。

「なあ菊田、おまえ。塩、持ってきた?」

「え?」

 先輩が少し苛立ったような返事をする。

「塩や、塩。ソルトや。そーるーと」

「あ、ああ……持ってきて、ませんけど」

 後輩の言葉を、先輩が大袈裟な舌打ちで返した。

「どこかコンビニで買いますか? 粗塩で、ええんですか」

「コンビニなんて、ここまで来たら。そないあるかい」

 俺は心の中で、大きなため息をついてしまう。あれだけ結託して俺にグイグイ誘いをかけるならば、懐中電灯以外の準備くらいはしておけよと。

 もうどうなってもいい。

 言う通りにしておけば、きっと気が済むのだろう。好きにしてくれ、という感情でいっぱいだった。

 うら寂しい夜の景色を眺めながら、ぼうっと考えている。

 俺たちの生まれる前に沿線で起きた、いわくある事件。俺が異動する前から起きていた、社内のいわくつきの連続事故。そして、その現場になっていた因縁ある場所。そこに興味本位で向かっている先輩と、嫌々ながら同行する俺と同僚。

 いや、ちょっと違うか……冷静に。冷静に、ならなければ。

 興味本位に付き合わされるとはいえ「行く」と決めたのは俺なのだ。たとえ菊田が「先輩からの圧力に負けて」俺を誘ってきたとしても。断固として断った結果に寮内で殴られても、断りきるべきだったのだ。寮の中で暴力沙汰になったとしても、今よりもはるかにマシだったのだ。

 かといって、今「車を降ります」など言えやしない。あ、スマホにGPS機能があったな。だったら最悪、歩いても寮に帰れるかもしれない。

 言ってみようかな。

 シートベルトを外そうと、そちらに手を動かしたときだ。車が停まった。

「ここやで」

 終わった、と俺は思った。




 



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