05 帰宅直後の話
鞄をベッドに放り出して、ネクタイをゆるめる。社員寮にたどりついて部屋の鍵を開けてから、ようやく息が継げる。仕事人の、つかのまのやすらぎだ。
だがそれも、すぐに破られてしまった。
ノックもなしにドアが開く。佐々木先輩が立っている。
「おつかれさん」
来た……。先輩の後ろから、ひょっこり菊田が姿を見せた。
「おつかれさまですー」
「菊田から、聞いとるやろ? 行くで。十分後に駐車場で待ってるわ」
「あ、あの。それなんですが」
先輩の眉が大袈裟に上がり、眼差しもまるで喧嘩ごしのように変わる。
「なんや」
「勘弁してください、先輩の誘いでも受けられるものと断りたいものがあります」
「おまえ俺に逆らうんか」
「そういうわけじゃなくって」
「同じことやろ、せっかく東京から来たばっかりのおまえのこと誘ってやってんのに」
「廃墟とか心霊スポットとか、そういうのイヤなんですよ。他の場所なら行きますよ。呑みとか風俗とか」
「それと同列やろが」
「違うでしょ」
宇宙人と会話しているみたいで、めまいがしてくる。
「一緒やろが。逆らうんやな、俺に」
「そうじゃないって言ってるでしょ」
必死で顔に感情を出さないようにしているが、嫌悪感がこみあげてくる。俺と先輩の遣り取りを黙ってみていた菊田が、ふたりの間に体ごと割って入ってきた。
「まぁまぁ先輩も。おまえも、な?」
なにが「な?」なのか、サッパリわからん。ますます嫌気がさしてきた。
「青木、ここは先輩の言う通りにしておけよ」
「はぁ?」
ふっと漏れてしまったひと言に、廊下にいるふたり組の顔色がますます変わってしまう。あ、ヤベッ……と思ったけど、もうどうでもいい。これじゃ、狂犬使いのほうが百倍マシだ。
「行きたくないです、そんなところ。それに体調悪いし、俺」
「ほんだら、今すぐ救急車の準備しておけや……!」
俺が知っている佐々木先輩の姿は眼前にない。“先輩”は鼻息あらく、真っ赤な顔をしている。いまにも手が出てきそうだ。菊田が少しあわてたようだ。先輩の背中を撫でながら、なだめるように言う。
「先輩、そこまで言わんでも。青木にだって自分の意志くらいあんねんし。おまえもな、先輩の気持ちくらい汲んだってくれ、な?」
気持ちって。なんなんだよ……。
俺は相手側の反応を黙って待っていた。菊田を見遣る。こちらの視線をちらちらと外しながらも慎重に先輩を窺っているようだ。
俺たち三人の様子がおかしいのを感づいたのか、廊下を行きすぎる他の寮生も足早に歩いていくように感じる。それら気配を佐々木先輩も、ようやくわかったようだ。
「これからの業務のこともあるし、仲良くしようや。なぁ?」
猫なで声、とはこういうものか。心底からゾッとした。でも、このままだと収まりそうにない。
「……じゃ、今回だけ。一回だけなら行きます。今日だけ」
言い終わった途端、対峙しているふたりの表情がぱっと明るくなった。
じっくりと念を押したつもりだが、彼らに通じているかはわからない。とりま、暴力沙汰を切り抜けたことだけはたしかなようだ。
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