03 神戸の話
「廃墟なぁ……東京の経理で無理心中があったっちゅーことと同様に、神戸でも首吊りが相次いだっていうことやな。それも、おんなじ場所でな。ざっくり言えば。それが『廃墟』やな」
初耳だ。佐々木先輩の言葉を菊田が引き継ぐ。
「相次いで、というところが怖いよな」
「……は、はぁ? うちの会社で?」
俺が言うと、あとのふたりは同時に「そうや」と言った。先輩が、ごくりと喉を鳴らす。
「青木が知らんくても当然。っていうかな、やっぱ。単なる“支店”の出来事やんか。そっちまで噂にならんのも、しゃーない」
「そんなもんですかね」
「当たり前やろ、神戸だけちゃうやん。全国、あっちこっちに支店あんねんから」
「そっかぁ」
菊田が口を挟む。
「俺が入社した日は、ちょうどポリさんが何人か居てたなあ」
「異様だな」
俺は言った。
「……本社で起こったことが逐一、全支社にまわっちゃうのも怖いけど、入社の日に警察官が見えた、ってのも怖いなぁ」
先輩が、うんうんと首を振る。
「せやなー。出張で、あっちこっちの人間が本社に出入りしてるからな。なんかあったら伝わりやすいわな。ま、生きてる人間が一番怖いってこと。人の口に戸はたてられないとは、よう言うたもんやわな」
「ああ。それは、わかります」
俺は言った。
「本社のね、同じ経理の新入社員の子ね。清楚美人って感じだったんだけど、全然まったく話したことなんかなかったんだけど。俺ひとりくらいでも、陰からこっそりでも言葉かけくらいしていたら、あんなことにならんかったような気がするんです。彼女の立場からいうと『周りの人間が全員、敵』だったのかもしれない。そんなこと思わせてしまったまま、無理心中なんて」
「おまえも含めて経理の人間全員が、大なり小なり傷になったってことやん」
「ええ。特に退職していった女子社員たちの『目を背けたい傷』になったことは間違いないでしょうねえ」
「そうやなー」
佐々木先輩は、最後のビール缶を開けた。菊田はと見れば、すっかり出来上がって、うたたね状態。それも、コップを持ったまま。
そっちに手を伸ばして、そっとコップをテーブルに置いてやった。こころなしか菊田の唇の端が、微笑んだようにみえた。
先輩は喉を鳴らして、心底から美味そうにビールを飲んでいる。
「今の話を聞いて思ったんですけど。いたましい出来事の時系列? っていうか、それは神戸が先だったわけですよね?」
俺もヤバいな、段々と言葉が上手く唇に載せられないようになってきた。
佐々木先輩は「んー」なんて言って、座りなおした。
ちょっとだけ目が泳いでいる。
「さっき言うた『首吊り』、これ。実をいうと経理部に関係あんねん。労務管理の課長と経理の主任が不倫しててな。お互いの家族や親戚が失踪したり首を括ったり」
「へえ」
「労務課長は男で経理主任は女、な。ふたりともお互いの配偶者から訴訟沙汰になってな」
「え、調停じゃなくって。そこまで行ったんですか」
「ああ、そうや。事態は深刻そのものやってんけど。それでも当事者ふたりとも退職せえへんかってん。ほんで裁判になって以降な。ジワジワと外堀を埋めるように、不倫カップル本人たちと間柄が遠いところから事故が起きてたのよ」
「事故?」
「事件の認定は、されんかった」
「それ興味深いですね、面白い。こんな言い方、不謹慎だけど」
「社内の人間かて、ニュースになる前からチラッと聞いてたよ。なによりも地元やもんな。噂がまわるのって早いし。それをな、ちょっとでも面白がって吹聴したがる派遣やバイトのことを『そんなん言うな』『単なる偶然やろ』て、注意していたしな」
「やっぱ『不倫カップル』関係者の不審死が相次ぐと、まるっきりの赤の他人から視点と『部長と主任の家族親戚』を知っている人たちからの視点とは、違うってことですか」
先輩の表情が曇る。
「そういうことやな」
「同じ建物の中で連続の不審死、とか。オカルト好きから見たら、恰好のネタになるでしょうしね」
「テレビにあれこれ出てくるようになってもな、社員たちは『単なる偶然やろ』って、思ってたな。ただな、それが不倫カップルの家族親戚あわせて五人目になったときには誰も『単なる偶然』『そんなこと言うてる時間あったら仕事しろ』とかな、バイトのおばちゃんたちをあしらうことも出来んくなった。俺も、主任側と関わりあったから、当時は気が気ではなくてなぁ」
「えっ? 初耳なんですけど?」
「菊田にしか言うてなかったもん、主任ん
「そ、そうなんだ……」
「何人も同じ場所を選んで首を吊るって、あるか? 樹海ちゃうねんで? どっちかの配偶者が拉致なり犯行の当事者だとして、よほどの強い恨みを持って云々やらかす……やとしたら、相手側の家族親戚だけでええやん。それが違うんやもん、そりゃビビるわ」
絶句するばかりだった。
「なんちゅう正義感や、って……こったわな」
俺は、まぶたを引き攣らせながら言った。
「ま、まあ……それで『事故扱い』だけ、というのは」
先輩が上目遣いを寄越す。
「話を戻すけど、ここ沿線って。昔すごい有名になったの、知ってる?」
「神戸市営地下鉄沿線? っつか、ここらへんじゃないでしょ?」
「まあ正確にいうと、この寮の最寄り駅ではない。うん、それに俺ら生まれる前のことやし」
「ああー……」
なんとなく聞いたことがあるような、ないような。
「あの事件のことですか」
「ん、俺の爺ちゃん婆ちゃんも夜のパトロールに駆り出されてな。当時は、あの学区内に住んでたもんだから」
俺たちは知らず知らずのうちに、顔を突き合わせる恰好になっている。
……寮の最寄り駅周辺で起こったことではないけれど。俺たちが生まれるまえに起こった猟奇的な連続殺人事件のことを、先輩は言っている。
「先輩の、お爺ちゃんお婆ちゃんが? ご近所つうか、近くに?」
「うん。ま、当時の近所の様子とかな、母ちゃんも子供心に憶えていたみたいよ。俺はさ、あくまでも孫の立場でしか聞かれへんけどさ。ものっそいリアルに記憶してんの、母ちゃんも婆ちゃんも。爺ちゃんは亡くなってもうたから、聞けんけどな」
「へえ、それだけ心理的なインパクトがすごかった、ってことですか」
「ん、ま。そういうこと昔に事件として『あった』ものだから。経理と労務の不倫からの『事故』なんか関係ないって言えば関係ないかも、なんやけど」
「噂?」
「昔のこととはいえ、あれだけ世間を騒がせた事件やんか。今なお口を閉ざす人と、逆に今でも興奮して話題に出す人間と、まっぷたつに分かれるんよ。そんなものを絡めてネタにして、社内でも騒ぎ立てる者が現れてもおかしくはないよな」
「うーむ、それは。たしかに言えるかも」
「なんにしても、人間が一番怖いよ。ほんまに」
「そっかぁ……」
佐々木先輩が「酔ったかな、俺も」とつぶやく。それから俺たちは、なんとなく黙り込んでいたことまで、記憶にある。
翌日は、酷い二日酔いで目が覚めた。
……休みだったから、よかったけどね。
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