蝉時雨
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シナスタジア雨林の一角、地盤沈下によって沈んだ沼に、男たちはいた。
その沼は沈下による窪みによって周囲一帯から見えづらく、また沈下部分をさらに囲うように傾斜が激しい事から、動物や魔物すらあまり寄り付かない。
そんな場所には布を被せられた牢屋がずらりと並び、怯えるような呼吸と衣擦れの音が絶えない。
ふと布の奥からか細い話し声が聞こえると、牢屋を見張っていた男が布ごしに牢屋を蹴り飛ばす。
その圧力をかけ続けられたことによって、のべ40人あまりの監禁が静謐に閉ざされていた。
それでもなお、牢屋の中からは衣擦れの音が絶えない。
「……君、大丈夫かね?」
それはわずかに動き続ける事によって、さらに小さな会話をかき消すためである。
布の幕によって暗黒が広がる牢屋内にて、鳥のさえずりに消えてしまうような会話が広がっていた。
「あなたは……?」
「私はポール。森人冒険者協会の本部役員だ」
「冒険者協会…?そうか、視察に来ていらしたんでしたね。うちのような小さな村に視察に来たばっかりに、こんな事に巻き込まれてしまって……」
「全くだよ。結局私が視察した支部会員は皆殺しにされてしまったし、常駐していた冒険者も全滅だ……いや、そんな事より、君の怪我の治療が先決だ」
ポールは非常に険しい顔で自身が話しかけた男の左手を見る。
肘から切断されているが、自己流でズボンの裾を千切って巻き付けただけ。
締め付けも緩く、血が止まっていない。頭部からの出血や、背中にも血がにじんでいる。
もうあと数時間で死ぬのは目に見えていた。
「酷い怪我だ。よく生きているものだね、君」
「ははっ、娘を持つ父なら、あの状況じゃ誰だって死ねませんよ」
「家族を庇ったのかね?その子はどこだ?」
助かるかどうかもわからない男より、その男の意思を尊重して先に娘を治療しよう。そう考えたポールだったが、男は力なく首を振る。
「ここにはいません」
「……そうか」
「でも、大丈夫です。ティアはきっと生きてる。聡い子ですから」
「そうだな、ならば君もこんなところでは死ねまい。<
両手を暖を取るように男へ向け、細やかな力を分け与える。
「アルカナが……使えるんですね…」
しかし、使った時には既に、男の目は虚ろだった。
「しっかりしたまえ。すぐに私の行方を追って協会の者が探しに来てくれる。それまでの辛抱だぞ」
「そうですね……もう一度あの子に会うまで……」
あの絶望的な状況の村から、この男はたった一人で娘を助けた。
恐らく包囲網を力づくで突破し、追っ手を一人で相手取ったのだろう。
「死なせんぞ……!君のような英雄を……!せめて名前を、教えてくれ!」
このままでは墓標に刻む名もなく、娘に伝える事も出来ない
「……マルクス…ホーキンス…」
「マルクスか…!この胸に刻んだぞ」
安心したように笑う男へ、ポールは治療を施し続ける。
それが無意味と、知りながら。
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