第18話 せっかくのチャンス

第十八話 せっかくのチャンス



どうしよう。どうしたらいい?

紗枝が硬直しているのがわかる。けれど、私には何もできない。紫翫も、目だけを動かしてこちらの様子を見ている。

すると緋芽が、紗枝をなだめるように声をかけた。

「驚かなくて良いのですよ、紗枝や。殿下は高貴なご身分ゆえ、御身の安全に細心の注意を払っておられるのです。お前には想像もつかないかもしれませんが、髪一本であろうとも、謀に利用される場合もあるのです」

至極、優しい声で、緋芽に促され、紗枝は髪を蘇芳の皇子の手に渡す。

ここまで言われて渡さなければ不自然だ。

「お前を叱っているわけではないのだ、怯えないでほしい」

「いえ、殿下。わたくしの思慮不足にございました……」

「では、酒を注いでくれるか」

「はい」

紗枝はこわばった笑顔のまま、皇子の盃に酒を注いだ。

皇子と緋芽の盃は、朱塗りに螺鈿細工が施されていて、傾けるたびにきらきらと光る。

少し緊張の解けた私は、あの盃って良い値段するんだろうなぁ、と、頭の隅で俗っぽい事を考えた。

そのうちに、準備の整った紫翫が戻ってきた。扇を変え、髪型も少しいじったようだ。

次の曲が始まる。

そう思った瞬間だった。床が、揺れて、誰かが叫ぶ。

「あぶない!」

お腹のそこに響くような爆発音、大広間の隅に大きな火柱がたった。

続いて、床板に亀裂が走る。座っていてもよろめくほどの衝撃に、思わず上体を伏せると、天井近くの装飾品がばらばらと降ってきた。

「木璃ちゃん!」

紫翫が、分厚い衣装の袖で私をくるみこむ。その瞬間、見覚えのある大きな猿が、皇子の前に飛び出してきた。

「殿下!青鳥の奇襲です、ひとまずお逃げ下さい!」

猩々だ……! 真っ赤な毛並み、獰猛な猿の顔、それでも、獣とは違う、理性的な声で話す、妖怪。幸いにも、私や紗枝の顔は覚えられていなかったらしい。

猩々の手下たちが駆け寄ってきて、火柱があがったのと反対方向の扉を開け放ち、皇子や緋芽はもちろん、お付の女官たちも連れて去ってゆく。

「紗枝……!」

呼び止めようとしたが、すでにパニックに陥った大広間は、宴の客たちが右往左往に逃げ惑っていて、どうにも出来ない。一瞬だけ目が合ったと思ったら、紗枝は何か、白い物を私の方に蹴ってよこした。そしてそのまま、他の女官たちと共に、猩々たちに連れて行かれてしまった。

私は、紫翫の腕から抜け出して、床にはいつくばる。

「ちょっと木璃ちゃん、危ないわよ、じっとしてなさい!」

「紗枝が、今、何か落として行ったの!」

「ええ?」

行き交う足袋の間を縫って、紗枝の落し物を探す。

何度か見知らぬ人に踏まれたところで、私はそれをみつけた。

「あった!」

それは、桜のすかし模様が入った懐紙に包まれている。この懐紙、確かに、紗枝の使ってたものだ。抱え込むようにして、そっと包みを開いてみると、そこには、朱塗りに螺鈿細工の、薄い盃があった。

「それ、蘇芳の皇子の物よ」

後ろから、紫翫が覗き込んで驚いたように告げる。

そう、さっき、紗枝が酌をしていた、あの盃だ。

「グッジョブ、紗枝……!」

「ぐっじょぶ?」

「や、なんでもない。とりあえず任務完了ね」

「よかった。じゃあひとまずここから逃げましょう」

「でも、紗枝が……」

「皇子と一緒なんだから、大丈夫よ。落ち着いたら迎えに行きましょう」

紫翫に手を引かれて、私はひとまず広間を抜け出した。

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朱雀門をぶっ飛ばせ!~パラレル平安時代に飛ばされたら同僚がチートだったけど私たちは普通のOLです @ruiyukimura

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