第15話 お稽古と夜中の厨

第十五話 お稽古と夜中の厨




 筋肉痛から立ち直ったのは、踊り始めて一週間は経ったころ。


 朝は、紫翫が手配してくれたお作法の師範に、身分の高い人がいる場所での振舞いを教えてもらい。昼からは、紫翫にみっちりと踊りを仕込んでもらう。


 その踊りがやっと見れるようになってきたのが昨日、今日の話。


 土御門殿での宴まで、あと五日を切っている。


 紫翫の言ったとおり、ゆう子は今朝から月のお客さんが来た。


 もともと生理痛の酷い子だったから、今は珊瑚ちゃんに介抱してもらって部屋で休んでいる。珊瑚ちゃんとゆう子はとても気が合うらしく、最近は私たちと居るより二人で居る時間の方が多いんじゃないかってくらい。まぁ、私と紗枝が毎日道場にこもりっぱなしの踊りっぱなしだから、当然といえば当然なんだけど。


 よく食べてよく動き、よく寝る。


 毎日がとても健康的に過ぎていった。


 けれど、今日はなんだか眠りが浅くて、しばらくうとうとしたあと、私はぱっちりと目が覚めてしまった。今日は昼からの稽古が中断したからかもしれない。


 中断した理由は、葵と兵藤だ。二人はどうやって紫翫香一座にまぎれるか?という話になって、紫翫が二人に女装をさせてみたのだ。


 これが、しこたま似合わなかった。


 化粧までさせられたからかも知れないが、特に兵藤はお笑い芸人にしか見えない有様で、その場に居た全員がお腹を抱えて笑った。結局、二人とも、衣装箱の中にまぎれて潜入し、出歩く必要のあるときは、地味な女物の服を着る、という事になった。


 そんなやりとりのせいで、いつもより稽古時間が減ったからか、それとも、あと数日で蘇芳の皇子の宴にもぐりこむという緊張感からか、私は眠れなかった。


 そっと布団を抜け出して、足音を立てないように歩くと、食堂へ向かった。何か暖かいものでも飲めば落ち着くと思ったのだ。食堂はもう人気が無くて、電球がひとつだけついている。ご飯時以外はもともと静かなのだ。今は夜中だから余計にだ。


 遠くで誰かの騒ぐ声がする。自室か道場で、飲み会でもしているのだろう。


 とりあえずお湯を沸かそうと思って、薬缶をかまどに置く。


 えーっと、どうやって火を熾せばいいんだろ? よく考えてみたら、そんなことも知らなかった。考え込んでいると、入口でなにやら物音がして、私は思わず飛び上がった。


「なんだ、お前か」


 入ってきたのは、葵だった。手には大きな徳利をぶら下げている。彼は椅子に腰掛け、机の上に徳利をどん、と置いた。


「お前も飲むか?」


「え?」


「浅黄からもらった、上等の酒だ。あいつあんなナリして下戸だからな」


 盃を出せ、と言われて、私は背後の戸棚をさぐる。


 んー……無いんですけど。てか、葵、お酒なんか飲んで大丈夫なのかしら、あきらかに未成年なんだけど、ここではそういうこと関係ないのかしら。って、刀振り回すのに比べたら、飲酒くらい可愛いものよね。


 なんでこんな今更なこと考えちゃったんだろう。戸棚の物色をしていると、背後からやわらかい声がかかった。


「盃は他の連中に先に使われちゃったみたいですね」


 振り返ると、朱鷺がいた。


「湯のみでいいですよ。右上にあるから、取ってもらえますか?」


 朱鷺は微笑んで、葵のとなりに腰を下ろす。私は、湯飲みを三つ持って、彼らの前に座った。大きな徳利からなみなみと酒が注がれる。


「眠れないんですか?」


「んー……まぁ、今日はなんだか目が冴えちゃって」


「緊張、してる?」


「少し」


 この短い会話の間にも、葵は湯飲みを空にして、手酌でまた酒を注いでいた。


 私も一口、飲んでみる。森の香りのような、さわやかな匂いが鼻に抜けた。


「大丈夫、当日は葵も兵藤も一緒だし。何かあったら葵が必ず君たちを守るから、危険はないよ」


「や、その、危険とかそういうのじゃなくて、うまくやれるかなぁって」


「紫翫がずいぶん働いてくれてるから大丈夫だよ。踊りも随分、上達したみたいだし」


「うん……その、もし失敗したらごめんね」


「そんな心配しなくてもいいよ、ダメだったらまた次の手を考える。……ああでも、貴女たちは早くもとの世界に戻りたいか」


 朱鷺は、葵よろしく一気に湯飲みを空けてしまうと、また手酌で酒を注いだ。


「最初は早く戻りたかったけど……今は、わかんない。朱鷺や葵や、みんなを見てると、何か役に立ちたいって思うから」


「ありがとう」


 花がふわりと開くように、朱鷺が笑った。そのあまりの美しさに、私はなぜか目をそらしてしまった。美形の心からの笑顔って、すごいインパクト。状況が状況なら、確実に恋に落ちてるわ。


「貴方は早く、帰りたいよね」


「ああ」


 急に話をふられた葵は、無愛想に答える。


 葵、この町の人じゃなかったんだ。


「葵は、どうしてここにきたの?」


「薬を買いに来たら、出られなくなった。……早く帰らなければ、村の女子供が俺を待ってる」


「可愛い娘も待ってるしね」


 はい? いま、朱鷺、なんかすごいこと付け加えなかった?


 私はおそるおそる、葵と朱鷺を見比べる。


「あのー……誰の娘?」


「俺の娘だ。今年でもう七つになる。村を出てきたときは四つだった」


「人間?」


「当たり前だ! 猫の子とでも思ったか?」


 横では朱鷺が面白そうに笑っている。葵っていったいいくつなの?七歳になる子供がいるなんて! 混乱していると朱鷺が微笑んで解説してくれた。


「葵のいた村では、へその緒を切った人間が三人目の親になるんですよ。父、母、そして『産ませの親』。二親が亡くなった場合は、生ませの親がその子の親になる」


「あいつの母親は、一人で子供産んだ。俺がへその緒を切ってやった。生まれてすぐ、母親は死んだ。だから俺が親になった」


 あーびっくりした。いくらなんでも七歳の娘がいるにしては若すぎる。


 まぁ、血の繋がらない娘だとしても、人一人育てるには、葵はあまりに幼いと思うんだけど……。


 いつもは無口な葵が、お酒を飲んでいるせいか、珍しくぽつりぽつりと喋り始めた。


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