第6話 葵と朱鷺

第六話 葵と朱鷺



やっと自由になった葵は、さも嫌そうに畳の上にあがった。朱鷺が後ろへ回って、濃紺のマントを脱がせる。


「まったく、ウチの医療班は優秀なんですけどね。葵は見てもらうの嫌がるから困りますよ。あげくは医療班おどして、治療もせずにほったらかしなんだから」


朱鷺がぼやきながら、葵のマントを土間に置き、送話機を壁に戻し、部屋のすみから一抱えもある箱を持ち出した。

土間に置かれたマントに、私はなんとなく目をやって……ぞっとした。

濃紺だからわからなかったけれど、よく見ると、半分以上が血の染みに覆われている。

隣で、紗枝が息を飲むのが聞こえた。視線をあげると、真っ赤な上半身をさらした葵が、無表情で座っている。


「それ、血ぃ……?」


ゆう子がおそるおそる尋ねる。


「ほとんど返り血だ」

「背中はもっと酷いですもんね」

「いちいちうるさいな」


朱鷺は、大きな箱を開いて、中から取り出した銀盆の上に、薬とおぼしきアレコレや、ピンセットのような道具を並べている。

そこには、傷を縫うための針もあって、私はびっくりした。なんでびっくりしたかというと、それがちゃんと、傷口を縫うための、円弧状の針だったからだ。

高校生のころ、剣道部の稽古中にこめかみを切ったとき、病院で縫って貰ったことがあって、そのとき、裁縫に使う針と随分形が違ったのが印象的だったから、おぼえていたのだ。


「少し、しみますよ」


こっちからは見えないけど、きっと葵の背中は酷い事になっているのだろう。

朱鷺が徳利の栓を抜いて、中の液体を葵の背中に垂らした瞬間、葵が強く唇を噛んだのがわかった。

銀盆の上に乗っている柔らかそうな布で、朱鷺が葵の背中を拭いている。


「この傷でよく戦いに行く気になりますね、まったく」

「……傷なんか、舐めときゃ治る」

「背中の傷をどうやって舐めるんですか? それとも俺に舐めろって言ってる?」


軽口を叩きながら、朱鷺が針と糸を操り出す。……麻酔、無しなんだ。私は寒気を感じて、肩をすくめた。

朱鷺は慣れているのか、手際よく治療を進めている。


「あなたが強いのはよくわかってますし、だからこそ総大将なんですけどね。でも少しは総大将としての自覚を持ってほしいものですね」

「俺は強くなければならないと言ったのは貴様だろうが」

「ええ、皆、貴方の強さに惹かれて、ここへ集まってきてるんですからね」

「だったら先陣切って戦うのは当たり前だろう」

「だからこそ、こんな怪我しないでください。皆に見られたら士気が下がるし、何よりも俺の心臓にわるい」

「おまえ、心臓があったのか」


えーっと、麻酔なしで傷口縫いながらする会話じゃないと思うんですが。

てゆうか、それよりももっとひっかかることがある。

たぶん、ゆう子も紗枝も兵藤も、同じことを考えているはずだ。

私は、四人を代表して口火を切った。


「ねぇ、その、総大将って、誰のこと?」


言った瞬間、葵と朱鷺の動きがぴたりととまった。

日本海溝より深いため息をついた朱鷺が、手早く傷口を縫いとめ、もう一度思いっきりため息をついて葵をにらんだ。


「葵、貴方名乗らなかったんですか」

「名は、名乗った」


ええ、確かに。お名前だけは伺いましたけどね。

朱鷺は、葵の肌に付着した血液を丁寧にぬぐって、髪を手櫛で整えてやると、少年の肩をつかんで、一際通る声で言った。


「この人は、葵。反乱軍『青鳥』の最高司令官にして、最高の戦士だ」


沈黙。

沈黙。

沈黙。


「えぇえ~っ?」


音程は違えど、私たちの発声は見事にそろった。

何? いま何て言った? 総大将? このちっこい少年が?

てゆーか、どっちかってゆーと、朱鷺の方が総大将っぽいんですけど。

朱鷺に正式に紹介された葵は、むすっと押し黙って見上げるようにこちらを睨んでいる。


「俺は……この町から出たいだけだ。いつの間にか、こんなに人が集まってきやがった」

「ええ、貴方と同じようにこの街の開放を願う人たちが、貴方となら、その望みを果たせるかもしれないと、貴方の元に集まってきたんですよ」


朱鷺は、まるで自分のことのように、誇らしげに言った。

葵は相変わらず、無愛想な顔のままだ。


「さて、そんな俺たちの、第二の希望が、今ここに来たばかりの君たちだ」

いきなり話を戻されて、私は面食らう。

「奇異な能力を持つ男が一人、三人の女を伴ってやってくる。彼らは、この町の開放の鍵となる」


朱鷺はさらに話を続けた。


「男は、俺と同じように世界を『読む』力を持っている。女たちもそれぞれの役割を果たすために、必ず必要となる。それが、俺の読んだ夢だ」


……そんなことを言われましても。

なんとなく妙な兵藤……こいつにはあとでたっぷりと説明をしてもらわなければ……は、ともかく。私たちは、ここで役に立てるようなことがあるとは思えない。

困惑している私たちをよそに、朱鷺は器用に葵の背に包帯を巻くと、優雅に立ち上がった。


「さて、今日は疲れたでしょう。しばらくは皆さんにここに滞在してもらわなきゃならないから、部屋に案内しますよ。……ああ、葵、貴方は自分の部屋でおとなしく寝ててくださいね。後で薬を持っていきます」


葵が、舌打ちをして立ち上がり、入ってきたときと同じ、紫紺の暖簾から出て行った。

私たちものろのろと立ち上がる。

土間に降りた朱鷺は、ホテルマンのように礼儀正しく立ち、板戸を開けた。


「ようこそ、青鳥の巣へ」




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