第2話 番犬騎士


 季節は穏やかに移ろい、秋が来た。

 ますます体の調子が良くなったアレナリアは目に見えて顔色も明るくなり、笑顔も増えた。


「アレナリア様、お迎えにあがりました」

「――え? どうして、レジナルド様が……」


 今日は兄の結婚式だった。それはもう煌びやかで、幸せそうに並び立つシャーリーと兄をうっとりと眺めていたのは昼の話。


 夕方からは祝賀の夜会が開かれる。体調が改善したアレナリアも、久しぶりに参加する事が決まっていた。

 準備が終わったアレナリアの部屋の戸を叩いたのは、他ならぬレジナルドだった。


 金糸の刺繍が施された正装用の騎士服を身にまとい、いつもよりさらに凛とした佇まいのレジナルドに、アレナリアは驚いてしまう。


「私に、エスコートの名誉を与えてくださいませんか」


 レジナルドは、ゆっくりと手を差し出した。


 憧れている人にそんなことを言われて、舞い上がらないはずが無い。アレナリアはこくりと小さく頷き、彼の手を取った。


 会場に入ると、その煌びやかさに目がチカチカとする。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。ありがとうございますレジナルド様」


 歩みの遅いアレナリアに合わせて、レジナルドはゆったりと進んでくれる。

 豪華なシャンデリアも、着飾った参加者も、豪華な料理も。パーティに慣れないアレナリアにとってはその全てがとても眩しい。


「少し休みますか? こちらの飲み物をどうぞ」

「ありがとう、いただくわ」


 何よりも眩しいのは、隣に立つレジナルドだ。ずっと甲斐甲斐しくアレナリアの世話を焼いてくれる。


 こうして沢山の人の中に現れても、他の参加者たちが一向にアレナリアに集まって来ないのは、やはり欠陥王女だからなのだろう。

 ちらりと周囲を見遣れば、令嬢たちが扇子越しにこちらをチラチラと見ているのが分かる。

 きっと、レジナルドと話したいのだ。


「あの、レジナルド様。その、私に構わなくても大丈夫です。体調も良いですし、きっと一人でも大丈夫で――」

「ダメです。あなたを一人にはしません」


 欠陥王女のお守りから解放しようとそう言ったが、アレナリアの言葉は途中で遮られた。

 レジナルドの表情も、どこか強ばっているように見える。


「でも、あなたもパーティーを楽しんでほしくて……」

「私は楽しんでいますのでお気遣いなく」

「そう……なの?」

「はい。そういえば、アレナリア様は最近はダンスのレッスンもされていると伺いました。私のお相手をしていただいてもよろしいですか?」

「……ええ、私で良ければ」


 そう尋ねられて、アレナリアはこくりと頷いていた。


 体調が良くなって、夏頃から少しずつ淑女教育やダンスレッスンなどを始めることになった。まだまだ下手くそだけれど、こんな機会またとない。


「でもあの、私、まだまだダンスが下手で。レジナルド様のおみ足を踏んでしまわないか心配です」


 スペースが空いたダンスホールに進みながら、アレナリアは彼に耳打ちするようにこっそりと告げた。


 それでも踊りたいと思うのは、我儘だと分かっていながらも、手を離すことができない。


 思いっきり彼の耳に近づいたつもりだったが、身長の高いレジナルドと小さいアレナリアでは、精一杯背伸びをして密着してみても肩口に近付くのが精一杯だ。


「っ、大丈夫です」


 やけに驚いた表情をしたレジナルドは、少しだけアレナリアから距離をとる。それが申し訳なくて、アレナリアはしゅんとしょげてしまった。


「ごめんなさい。はしたなかったですね」

「いえ……そんなことは……。ただ、そういったことは私限定でお願いします」

「? わかったわ」


 どことなく頬が染まったレジナルドを不思議に思いながらアレナリアは素直に頷く。

 そうこうしている内に楽団の奏でる音楽の曲調が変わり、華やかなものになった。


「――では姫様、よろしくお願いします」


 レジナルドに微笑まれれば、アレナリアは文字どおり舞い上がって、ふわふわとした心地のまま、なんと一曲踊りきってしまった。


 歩くこともままならないほど重い病の姫として有名だったアレナリアのその様子に、観衆も病の完治を悟ったようだ。


 当のアレナリアも、自分が踊れた事に驚いて呼吸を整えながら興奮してしまう。


「レジナルド様、あのっ、私、最後まで踊れましたわ……!」

「ええ」

「途中少しおみ足を踏んでしまったかしら。ごめんなさい、あの、でもね、私っ」

「はい、大丈夫です。姫さまは羽のように軽いですから」


 こどものように息を弾ませるアレナリアを宥めるように、レジナルドは目を細める。


 ――氷の騎士が笑った……

 ――まあ、あんなお顔もなさるのね


 レジナルドのその様子を見て、周囲は目を見張る。美丈夫であるが真面目で堅物。女嫌い。それがレジナルドという騎士だったからだ。


「アレナリア王女殿下」

「はい?」


 アレナリアとレジナルドの会話に割って入る声があった。アレナリアは、呼ばれた方をゆっくりと振り向く。


 煌びやかな貴族子息が、にこやかな笑みを浮かべてアレナリアの方を見ていた。


「私とも、踊っていただけますか」


 差し出された手に、アレナリアは困惑する。


(えっと、こういう時はどうしたらいいのかしら)


 ダンスに誘われたら応えるのがマナー。だけれど、一曲踊りきったアレナリアの足はがくがくと震えている。まだ体力は足りない。


「私、体調が優れなくて」

「大丈夫ですよ。僕が支えて差し上げます」

「でも……」


 レジナルドと同じことを言われているのに、心はときめかない。

 頷かないアレナリアに焦れた男が、大人しく従順な王女だと決め込んだ彼女の手首を強引に掴みかかろうとする。


 一瞬の出来事だった。


「ぐっっ!」

「アレナリア様が嫌がっておられるだろう。王族に対して不敬が過ぎる。……もとより、二曲目を貴殿に譲るつもりはない」


 先程の貴族子息の腕はレジナルドにひねりあげられ、くぐもった悲鳴をもらしている。


「今日は国王陛下にとってめでたい席だ。これ以上騒ぎにしたくなければさっさと立ち去るんだな」


 レジナルドがどんと背を押せば、男はよろめきながら群衆の中に消えてゆく。そのままこちらを振り向くことはなかった。


 少しのざわめきを残して、タイミングよく曲が切り替わる。スローテンポの穏やかな曲だ。


「アレナリア様。しばしご辛抱を」

「あの、レジナルド様、私少し休みたくて」

「はい、では」

「えっ!?」


 言うが早いか、レジナルドはアレナリアをさっと抱き上げた。急に横抱きにされたアレナリアは、驚いて彼の首元にしがみつく。

ふわり、といい香りがして、近すぎてくらくらする。


「おいおいレジナルド。リアは病み上がりだぞ?」


 そんな時、くつくつと笑いながら、盛装に身を包んだスチュアートがアレナリアたちのそばにやって来た。

 その隣には、眩く着飾ったシャーリーもいる。


「お兄様にお義姉様……! 本日はおめでとうございます。私、このような格好で……」


 もっと完璧な所作で兄たちに祝いの言葉を贈るつもりだったのに、突貫の淑女教育で学んだ礼の作法も上手く出来ない。

それはまあ、こうしてレジナルドに抱えあげられているからなのだけれど。


「いいんだよ、リア。全てはお前の番犬の策略だから気にするな。『待て』が出来ないようだが」


 スチュアートは呆れた視線をレジナルドに向ける。


(レジナルド様の……策略……?)


 その視線を追うようにしてアレナリアがレジナルドを見上げると、ふいと顔を逸らされた。


「レジナルド様。アレナリア様のお加減は良さそうですが、だからといって無理はいけませんからね?」

「心得ています」

「それならば良かったです」


 スチュアートの隣でにこにこと柔らかく微笑んでいた王妃シャーリーは、その表情とは裏腹の咎めるような口調で釘を刺す。

 三人のやりとりがよく分からないアレナリアの頭には疑問符が浮かぶばかりだ。


「リア。レジナルドにされて嫌なことがあったら、なんでも私に言うんだぞ」

「は、はい……。そのようなことはあるとは思いませんけれど」


 困惑のアレナリアがそう答えると、兄は大きなため息をつき「うちの妹が心配だ」と零した。

 そんなスチュアートを、若き王妃が笑顔で見守っている。


「陛下。退出の許可をいただいてもよろしいでしょうか。アレナリア様にお話があります」

「ああ。約束どおり、無理強いは禁止だからな。レジー」

「当然だ」


 気安く呼びかけるスチュアートに、レジナルドも同じく友人のように返す。そこにふたりの信頼関係が垣間見えて、アレナリアはくすりと笑った。


「では、アレナリア様。行きましょう」

「えっ、あの、レジナルド様っ――」


 

 レジナルドはその長い脚でずんずんと会場を後にする。


 観衆に対する気恥ずかしさと、振り落とされないようにという少しの恐怖心から、アレナリアはぎゅうぎゅうとレジナルドにくっついた。


 そうして夜会から連れ出されたあと、到着したのはいつかのあの庭園だった。

レジナルドは四阿のベンチにアレナリアをそっと降ろす。そしてそのまま、アレナリアの足元に跪いた。


「――姫様。アレナリア殿下」


 アレナリアを見上げるレジナルドの表情はとても真剣だ。月に照らされ、夜でもその輪郭ははっきりと分かる。

 そっとアレナリアの手をとったレジナルドの手のひらは熱く大きい。

 

「これから先、あなたを守り続ける権利を私にください。王女と騎士ではなく、生涯の伴侶として共にありたいと……そう願っております」

「――っ」

「お慕い申しております。どうか、私と結婚してくださいませんか」


(まるで、夢を見ているようだわ)


 心臓が大きく音を立て、壊れてしまいそう。涙も溢れてきて、せっかくの景色が滲んでしまう。


「……でも私、欠陥王女なの」

「そんなことはない。心優しい貴女をそのように思う人は周囲にはひとりもいません」


 レジナルドの双眸は、偽りなくアレナリアを見つめていた。そのことに胸がまた熱くなる。


「私……レジナルド様が好きです。だから、一緒にいたいです」


 将来を諦めていたアレナリアにとって、レジナルドからの求婚は青天の霹靂で。まさに夢のようだった。


 これまで口には出来なかった願いを込めて、アレナリアは真っ直ぐに自分の気持ちを伝えた。


 涙をふいて笑顔を作れば、レジナルドも微笑んでくれる。

 それからそっと彼の顔が近づいてきて――アレナリアとレジナルドは、触れるだけの口付けを交わした。

 

 それから少しだけ二人で話をする。


 実はあの夏の夜。これまでの褒美として欲しいものを聞かれたレジナルドは、国王のスチュアートに王女アレナリアとの婚約を願い出て、認められていたらしい。

 そして祝勝の夜会を抜け出してひとりで祝い酒をして……酔い醒ましのために、あの庭園に来たという。

 深く慕うアレナリアの部屋に近いあの場所に。


 思いがけずアレナリア本人と遭遇したことで混乱して説教をしてしまったのだと、少し照れた顔で後で教えてくれた。


 国王の成婚から間もなく、王女アレナリアと騎士レジナルドの婚約が正式に発表された。


 誰にも邪魔されることなく、準備は着々と進み、晴れてアレナリアは伯爵夫人となった。


****


 レジナルドは隣で眠その人のすこやかな寝顔を眺めている。無垢で純真な、レジナルドの姫。


「……知ったらきっと、呆れられるな」


 アレナリアは何も知らない。レジナルドが何年も前からアレナリアに思いを寄せていたことも。

 彼女の身に降りかかる火の粉――例えばあの太ましく浅ましい口の軽い貴族たち――がこれまでどうなってきたかも。

 何のためにレジナルドが武勲を上げ、王女を賜ることができるような立場を手に入れたのかも。


 アレナリアの病気が治ろうともそのまま緩やかに悪化しようとも、レジナルドは最初からアレナリアに求婚するつもりだった。


 幼い頃から共にあり、兄妹のように家族のように過ごしていたはずの男が、深い執着を持っていたなど、彼女にはとても伝えられない。


『リアの番犬のようだな、レジーは』


 そう言って笑っていた友人の姿を思い出す。


「番犬でも、貴女を守れるのであれば」


 レジナルドはアレナリアの髪にそっと口づけをし、眠りにつく。起きたときには日が高く上っていた。

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欠陥王女と番犬騎士 ミズメ @mizume

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