欠陥王女と番犬騎士
ミズメ
第1話 欠陥王女
「今夜も暑いわ」
王女であるアレナリアは、そう呟いてベンチに腰かけた。
夏は苦手だ。部屋でじっとしていると暑くて堪らなくて、王宮の奥にある小さな庭園に涼みに来た。
満月が夜空を照らし、空にはさんぜんと星が輝く。
ひとりでふらりと来てしまったことを知られたら、侍女に怒られてしまうだろう。だけど、息が詰まるのだから仕方がない。
「お兄さまも間もなくご成婚ね」
兄のスチュアートは、隣国の領民からの極秘の嘆願により、陣頭指揮をとって長年悪政を強いていた隣国へと攻め入った。
大戦に勝利し凱旋した兄は、まさかの事態、隣国の王女を連れていた。その後の戴冠とともに、その人との婚約を正式に発表した。
彼女とは度々顔を合わせたが、穏やかな雰囲気もありつつ、芯の強い女性であることが分かった。
それから一年近くの月日が流れ、今年ようやく成婚の儀が盛大に執り行われる予定となっている。
普段は無表情な兄が、この成婚についてはとても準備を急いでいたのが印象的だった。
されど、亡国の王女との結婚には幾度となく壁が立ち塞がり――きっと、当人たちには並々ならぬ苦労があったのだと思う。
病弱で、籠の鳥のように部屋に閉じこもっているアレナリアには、全てが遠い話だ。
「――うらやましいわ」
思わずぽつりと溢れた言葉は、何に対してなのだろう。
特徴的な黒髪である兄と比べると、ただくすんだように見えるこのダークブロンドの髪色のことだろうか。
シャーリー王女と比べると、主張が足りない消え入りそうな緑の瞳のことだろうか。
あるいは、いつもにこにこと微笑んでいる彼女のその明るさか。
身体が弱くて、なかなか外に出ることが出来ないことへの苛立ちか。
だめだと思っても、アレナリアは深い思考の渦へと沈み込んでいく。
『アレナリア王女は他国へ嫁ぐことは叶わんでしょうな。身体が弱いのは致命的だ。子を成せなければ王妃にはなれん』
『人前に出てもすぐに退席されてほとんどお話にならないしなぁ。スチュアート殿下は戴冠後にあの姫をどうされるのか』
『自国の適当な貴族に下賜するんじゃないか? 殿下には劣るが見目はまあいいからな、受け取り手はいるだろうよ。立派なご身分はある』
『子を作れなくとも、王妹を手元に置くという優越感はあるでしょうなぁ! 他に女を囲えばそっちの心配もなかろう。わははは』
体の調子が良かった日、散策した先で貴族の大人たちがそんな話をしているのを聞いて、アレナリアはさあっと血の気が引いた。
自分の名を呼ぶ侍女の声がしたけれど、そこからはよく覚えていない。
気が付いたらベッドにいた。どうやら目眩を起こして倒れてしまったらしい。
だけど、その時に分かった。
アレナリアは王女として欠陥品で、この城を去る事さえ難しいということを。
その証拠に、今年の冬で十八歳になるというのに未だに婚約者すら決まっていない。
兄は優しいから、病弱なアレナリアを追い出せはしないだろう。
でも、王妃となるシャーリーはどうだろうか。いつまでもお城にいる姫なんて、疎ましく思わないだろうか。
学園にも通えなかったから、城で勉強した。社交界にもなかなか出られず、ダンスを三曲続けて踊ることだってままならない。
(――本当に私って、どうしようもないわ)
誰だってアレナリアに優しい。
病弱で邪魔な姫であるはずなのに、兄も、義姉となるシャーリー王女も、そして周りの侍女たちも。
疎ましそうな素振りは見せたことがない。
アレナリアが直接的に悪意に触れたのはあの渡り廊下でのことが初めてで、だからひどく気が動転してしまったけれど、考えてみれば彼らは至極尤もな事を言っていた。
毎日部屋で本を読んでいるだけの生活が嫌だなんて、そんな贅沢なことを口が裂けても言ってはいけないというのに。
(私にも、ロマンス小説のような王子様が来てくださればいいのに)
お伽話では、いつだって王子様がお姫様を迎えに来る。
塞ぎ込みがちなアレナリアに、気分転換になればと侍女が流行りのロマンス小説を貸してくれたのだ。
そこからはもう、のめり込んでしまった。
物語にひとたび没頭してしまえば、行動力があって逞しいヒロインたちになることができた。
彼女たちは強く、そして輝いている。そんな姿に憧れを抱いたりもする。
(そんな夢のようなことを考えてしまうのは、私がまだまだお子様で、無知だからなのでしょうね)
現実のアレナリアは、利用価値の乏しい欠陥だらけの姫だ。取り立てて華のある容貌である訳でもなく、観賞用としての価値があるとは思えない。
それでも王家にとって利になる貴族に嫁いで、そこで主人に従って生涯を過ごすことになるのだろう。
「……誰かいるのか?」
「!」
突如としてがさりと物音がして、アレナリアはそちらに顔を向けた。
そこにはこちらを真っ直ぐに見据える騎士のような人がいる。
騎士かどうか判断がつかないのは、彼の格好のせい。
だってその人は、騎士であれば着ている筈の揃いの紺色の騎士服を着ておらず、白いシャツは着崩れている。ズボンについては暗くて判別がつかない。
そんな格好で帯剣をしている者が城内にいるのを見たことはない。
(……まさか、賊⁉︎)
心臓がどきりと跳ね、鼓動が痛いほどに打ち付ける。
アレナリアの眼前、月明かりを背負ったその人物は、ゆらりゆらりとこちらへ近付いてくる。
「……っ」
途端に身体中が強ばってしまい、逃げることもままならない。アレナリアは、恐怖から思わず瞳を閉じた。
「アレナリア姫、どうしてここにいらっしゃるのですか」
怯えるアレナリアに降ってきたのは、穏やかながらも怒っているような、そんな声だった。
「あ……貴方は、レジナルド、様……?」
「護衛は近くにいないのですか? まさかひとりで行動している訳ではないでしょうね。こんな夜遅くに、しかも姫はお身体が強くないではありませんか。何故このような所に」
おそるおそる目を開けると、いつの間にか近くに来ていたその彼が兄の護衛騎士であるレジナルドだと気がついた。
燃えるような赤い髪は、夜空の下では茶色に見える。
そんな彼の頬が、心なしか赤いように見える。
見知った騎士の登場にアレナリアがほっと胸を撫で下ろしていると、レジナルドの黒色の瞳は剣呑な色を帯びた。
「もう一度聞きます。姫様、なぜこのような場所に?」
きつく眉をひそめられて、いつもと雰囲気の違うレジナルドにぼんやりと見とれていたアレナリアはすぐに姿勢を正した。
だが、突然のことで言葉が紡げない。
「あ、あの、私……っ」
「姫様。私の質問にお答えください。間もなく成人を迎えられる淑女の振る舞いとは到底思えません。夜の庭園を彷徨くことが貴族社会においてどんな意味を持つのかご存じないのですか?たまたま見つけたのが私だったから良かったものの――」
「ま、待って、レジナルド様。ごめんなさい。涼みに来ていたの。この場所が私の部屋から近いから」
言葉が止まらないレジナルドの様子に、アレナリアは慌てて口を挟んだ。
(おかしいわ、この方は寡黙で真面目な方だと思っていたのに)
やはりいつもと様子が違うレジナルドに、アレナリアも困惑の色を隠せない。
「涼みに? こんな夜半におひとりで? 正気ですか? また以前のように倒れたらどうされるのです。あの時は明るかったですが、今は夜です。朝まで誰も通りかからないことだって――」
「ごめんなさい……」
仁王立ちするようにアレナリアの前に立つレジナルドは、腕組みをしてとても厳しい顔をしている。
叱りの言葉を並べ立てられ、対するアレナリアは謝罪をしたものの、その後も説教は続く。
(もしかして、レジナルド様はお酒を召していらっしゃるのかしら?)
幼子のように説教をされ続けるアレナリアの頭に、ふとそんな考えが過ぎった。
『レジナルドは酒癖が悪いんだ。ああ、違う違う。暴れるとかそういうのでは無く。ただ……すごく説教してくるんだ』
いつの事だったか、げんなりとした顔で言っていた兄の言葉を思い出す。
先程の頬の赤らみがもしかしたら、そうなのかもしれない。
アレナリアの思考がそうまとまった時、レジナルドの声は一層低くなった。
「もしかすると、この場で何か起こることを願っていらっしゃるのですか」
「え……?」
「夜の庭園で起こることを知っていて、そのように薄い夜着でふらふらと出歩かれているのですかと言っているのです。――伯爵家のような身分では、納得出来ませんか」
咎めるような声色は、どこか自嘲を含んでいるように聴こえて、アレナリアは思わずレジナルドの瞳を覗き込んだ。
「あの、レジナルド様。伯爵家の身分と、私の格好と何か関係があるのでしょうか。私、社交界のお作法は詳しくなくて、庭園の持つ意味も知らないのです」
情けなくも、自らの無知をレジナルドに知らせる。
アレナリアが思っている以上に、怒られるようなことをしてしまったのかもしれない。そう思うと、必死になってしまう。
見上げながらそう言うと、ぐっと言葉に詰まったらしいレジナルドは、一度俯いた後に、また真っ直ぐにアレナリアを見た。
「……部屋までお送りします。庭園のことは、侍女に教えるよう言付けておきましょう。後でたっぷり叱られてください。では姫様、お手を」
もう十分叱られているのだけれど、と思いながら。アレナリアはレジナルドに手を引かれて部屋まで案内されたあと、夢見心地でベッドに倒れ込んだ。
初恋の殿方に、星空の庭園で逢えるなんて、お伽話のようだった。そう考えながら、しばらく足をバタバタと動かす。
そして気がつけば、そのままぐっすりと眠ってしまっていた。
翌日。レジナルドから話を聞いたらしい侍女は、昨日の彼以上にきつい言葉でアレナリアを叱りつけた。
「本当に、ご無事で良かったです……」
なんでも、夜会などの時に庭園に出ることは、その、男女のことを誘っているような意味になるらしい。
だから夜の庭園には絶対に近付かないようにと口を酸っぱくして言われた。
夜着だったことも輪をかけて良くなかったようだ。アレナリアはただただ謝るほかない。
(でもあの時、レジナルド様は何を仰っていたのかしら)
それでも、分からないことがある。
伯爵家の身分のこととは一体何なのか。
レジナルドはガヴィル伯爵家の次期当主だと目されているが、それとアレナリアの夕涼みと何か関連があるのだろうか。
「アレナリア様。本日のお薬の時間です。シャーリー様が特別に調合下さっております」
「いただくわ」
考えても分からない。
アレナリアは侍女が持ってきた薬を一気に飲み干した。ひどく苦い。
シャーリーは隣国で薬師として生計を立てていたらしく、兄との繋がりも隣国王家のことも未だに謎ばかりだ。
彼女が持ち込んだこの新薬も、飲み慣れない内は咳き込んだりして上手く飲めなかったが、今となってはすんなり受け入れることが出来ている。
「アレナリア様。お気づきですか?」
「なあに?」
得意げな侍女の言葉に、アレナリアは首を傾げる。
「ここ半年、アレナリア様は発熱も眩暈も起こしておられません。医師からも格段に調子が良くなっておられると言われております」
「……!」
そう言えば、そうだ。
体力の無さは仕方がないにしろ、ここの所とても調子がいい。
夕涼みに出ることが出来たのも、ひとえに体調が良かったからに他ならない。以前なら、どんなに暑くとも寝台でぐったりと横になっていることしか出来なかっただろう。
「本当だわ……治らない病だと、ずっと言われていたのに」
「ええ。ええ。シャーリー様がいらして、アレナリア様の治療を率先して行って下さったおかげです。アレナリア様の快復を見れば、かの方に口さがないことをいう者たちも減るでしょう」
「そうね。本当に。お兄様は女神様を連れてきて下さったのだわ」
シャーリーの置かれた難しい立場、それでもアレナリアの治療を熱望した強さ。
彼女と兄の、これからの幸せを願ってやまない。
「私、今なら走れそうな気がするわ」
「まあ。散歩などをして体力を付けることはシャーリー様も推奨しておりましたので、この後庭園に出られますか?」
「そうね、そうする」
「アレナリア様も体力をつけませんと。これから忙しくなりますものねえ」
「?」
侍女の最後の呟きがよくわからないまま、アレナリアは食後に散歩に出た。気分も晴れやかで、身体もずっと軽い。
「ねえ見て! とても綺麗な花が咲いているわ」
「あとでお部屋に飾りますか?」
侍女の問いかけに、アレナリアは首を横に振る。目の前に咲くのは、太陽の方をしっかりと向いている黄色の花。
「いいえ。ここで綺麗に咲いている方が花も幸せだわ。部屋に閉じ込めてしまってはかわいそうだもの」
広々とした庭園で、温かな陽光と爽やかな風を受けて咲き誇る花々が、アレナリアは何よりも美しく思えた。
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