第5話・目で見るものに、人は騙されすぎた

 この村には独自の信仰がある。巨木信仰、一本の栗の木があり、そのほとりで祭事を行う。

 俺たち家族はそこで待ち、しばらくするとマナおじさんと巫女様がやってきた。巫女様は老齢の目隠しをした女性で、齢124才。春秋年のため、62歳の巫女様である。


「よいしょっと……」


 彼女が座るだけで、なぜか心を丸裸にされるような感じがする。まるで何もかも見透かされているような。

 マナおじさんもその隣へと座った。僕たちの側に。


「巨木様はなんでもご存知だ。ずっとずっと、ここにある。だから、恥ずかしがることはないさ。全部話しておしまいよワタ坊や……」


 そして、最初に僕に向けてそういった。


「……」


 何を話したらいいのだろう、それがわからず口をつぐむ。何か一つでも間違えれば、両親を悪い人にしてしまう気がして。


「恥ずかしいとは違う……怖がっているね? 大丈夫さ。あんたのところの両親、海津彦わだつひこ山蕨毘売やまわら。どっちもようよう小さい時から知ってる。悪い子じゃない、だからワタ坊。言い間違えても大丈夫。私がついているさね……」


 そのゆっくりとした巫女様の言葉になぜか安心する。そう、まるで目の前にあるもう樹齢なんて推し量れないほどの古い巨木のように、何があっても倒れないような気がした。


「両親はとてもいい人です。泣けば飛んできてくれて、毎日食事を作ってくれる。これでもかと愛情を示してくれて、毎日夢のようです……」


 それでも誤魔化した。気持ち悪がられるのが怖かったのだ。


「そうかいそうかい。ここでの生活は幸せかい?」


 しかし、それも全部巫女様は分かっていたのだ。彼女は不思議なのだ、目隠しをするときは決まって大切な時。見ないようにと思っていたが、それは逆に見るためにつける目隠しだった。


「はい……」


 思わず答えた。


「そりゃ……よかったね。あんた、もう4つだね?」


 目隠しをした彼女には見えている。見えないものばかりが。目隠しをしても、ふらついたところを見たことがない。自分の足でしっかりと歩く、誰の助けを借りずとも。

 春秋年、それで計算すると俺は4歳になる。


「はい……」


 ポツリポツリと俺が巫女様と話す言葉に、両親とマナおじさんは真剣に耳を傾けながら待っていてくれた。


「ワタ坊は言葉が達者だね。まるで、そうだねぇ……。言葉というものを生まれる前から知っていたみたいさ。寂しいのは、きっとそのせいだね?」


 あぁ、巫女様は俺の不安を見抜いている。


「どうして……わかるんですか?」


 あぁ、きっと彼女は俺の隠し事なんてお見通しなのだ。


「それは、まだだ。でも、その前に言わせてもらおうかねぇ。この子はまだ神の子だ、村の誰にも罪なんてありゃしないよ」


 しかし、答えは帰ってこない。それでも巫女様は続けた。


「寂しかったねぇ。でももう怯えなくていいよ。例えあんたがどんな辛い生まれる前の記憶を持っていたとしてもさ……。だね?」


 そうしてようやく大人たちは答えた。


「当たり前だ。俺の子だ……!」


 強く、ささやくような叫ぶような父の声。


「どんなことでも……話して……ッ」


 涙でかすれた、母の声。


「お前がいるならそれでいい……」


 微笑むようなマナおじさんの声。

 それぞれ声の種類は違っても、一つの思いが共通していた。


「私が、暴いちまったね……。でもほら、聞こえたろ? ワタ坊に向けられた声が。存外、見えちゃいなくても顔が浮かぶものさ。ワタ坊みたいに、隠すのがうまい子を相手にするとついつい目に騙されちままう。目隠ししたほうが、ワタ坊の心の顔が見えるのさ」


 ゆっくり、ゆったりと巫女様は語った。あぁ、だからわかったのだ。巫女様は俺の心を暴くために今日は目隠しをつけてきたのだ。


「話してくれないか? お前がそんなに寂しいなんて、わからなくてすまなかった。許して、教えてくれ……」


 父は、本当に悲痛な声で言うのだ。話してくれと。

 振り返ると、父は涙を流していた。わかっていたけど、母もだ。そして、マナおじさんも。中でも、マナおじさんは心配させまいとそれでも微笑んでいた。拳を強く握りながら。

 あぁ、こんなに泣いてくれる人たちが嘘なんてつくものか。恥ずかしい、自分が恥ずかしい。


「……ずっと、追い出されている気がしていました」


 語らないわけにいかなかった。巫女様は、俺が語れて、語らなきゃいけない環境を作ったんだ。


「前世……なのか夢なのか妄想かわかりません。でも、ずっとそんな気がしていました。体はずっと痛くて、内側からパンパンに腫れている感じでした。起きているとだるくて、でも起きていなきゃいけなくて……。毎日、変な声が聞こえました。自分を罵倒する声です。家の中で、仕事をしている時も、ずっと追い出されている気分でした……」


 淡々と語った、前世で味わった気分を。それが、なんということのない毎日だったから。きっとみんなそうなんだって、自分だけが耐えられない甘ったれだと思っていた。何もかもから追い出される気分、いっそ死んでしまおうって何度も思った。でも、俺はここも甘ったれでそれができなかった。


「追い出す訳無いじゃん! あなたは私の子なの! どこにも行っちゃダメなの!」


 語り終わると、母は滂沱ぼうだの涙を流しながら俺を抱きしめた。


「そんな悲しいこと言わないでくれ! 愛してる! 俺の子だ! 村の子だ!」


 それは父も……。


「頼むから、頼むから……どこにも行くな! 追い出す訳無いだろ……」


 マナおじさんもだった。


「ご覧……ッ。あんたを誰が追い出す? 悪い夢と思いな……ッ。それが前世だとしてもね……」


 目隠しで、涙は見えない。なのにあぁ……なんで、辛そうな巫女様の顔が浮かぶのだろう……。

 でもそうか……。巫女様は声から感情を察するのが得意なのだ。だから目隠しで、顔を見ないようにして、声で洞察するのだ。

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