第2話・日本だった上に超昔だし、愛情深すぎた……

 ニ歳まで、この言葉を聞きながら育てられた。結局、日本語だったのだ。それも、古い古い遥か昔の言葉。

 俺の名前は、海星彦わたぼしひこ。そう、抱き上げられてあの優しい笑顔で告げられていたのは俺の名前だったんだ。

 言葉もわかった、でも俺は両親にすごい迷惑をかけてしまった。勝手に泣き出すこの体に戸惑いながら育って、泣けば飛んできてくれる両親の愛に心が解けてさらに泣いてしまう。迷惑に決まってる。


「お父さん、お母さん、ごめんなさい。いっぱい泣いて、いっぱい迷惑かけて」


 ようやくこれを言葉にできる。でも、それを聞いた両親は泣きそうな顔で俺を見るのだ。


「なんで、そんな悲しい事を言うんだ?」

「そうよ! 迷惑なんて一つも思ったことない。可愛くて、たまらなくて、泣き出したあなたをほうっておけないの!」


 ふたり揃って、そんなことを言う。気づけば、俺が泣いていた。どうしてだろう……。

 どうして、こんなに涙が出るんだろう。ひどいことの一つもされていない、泣けば父か母か、あるいは村の誰か。絶対に誰かが来てくれる。あやされて、撫でられて、心が温かくてたまらないまま育ってきたはずだ。

 なのに、なんで涙が出るんだろう。


「どうしたんだ!? 悲しいことでもあったのか!? 教えてくれ!」


 ぴったりと同じ目線に合わされた、父の目が伝えてくる。これでもかというほどの愛情を。


「わかんない……。涙……、止まらない……」


 前世を覚えている恩恵なのだろうか、言葉を覚えるのがひどく楽だった。だから、たくさん覚えた。この時代の言い回し、この時代の言葉を。


「あなた、この子……」


 母が泣き出した。まるで、俺につられるように。涙を流しながら、俺の体を撫で、なだめてくれようと必死にしてくれている。


「あぁ、ごめんなぁ。父さん立ちにもわからない。でも、海星わたぼし、お前を慰めたい。それができなくて、心疚しくて仕方ない……」


 父はこういう時は正確にに言葉を使う人だった。何がそう感じるのか、どうしてそう感じるのか、惜しまずゆっくり伝えてくれる。自分にそれができないのを悔しく思ってもいる。俺は、自分の感覚が心が、よくわからないのだ。

 だから……。父を、抱きしめた。


「どうして泣いてるのか自分でもわからない! でも、こうしたい!」


 ずっとこうしたかった気がする。前に生きていた時からずっと、誰かを抱きしめて。


「いくらでもだ……。お前を抱きしめられて、父は幸せだ……」


 そして、抱きしめ返されて。のぞみがかなったはずなのに、どうしても涙が止まらない。


「お母さんは、ダメ?」


 すごく寂しそうな表情で母が言う。どうしてだろう、なぜか訳もないのに胸が苦しくて。でも、そうして欲しくて。


「ううん!」


 否定した。

 そう、わけがわからない。自分がそうしていること、歯止めがきかないこの体。止まらない涙の理由が、自分のことなのに全然わからないんだ。


「ありがとう……。お母さん、海星わたぼしが生まれて本当に幸せだよ! あなたがいるだけで、生まれてくれてありがとう。お母さんのところに来てくれてありがとう……。大好きだよ! 愛してるよ!」


 母の声は切実で、そのせいでどんどん涙が止まらなくなる。


「俺だってだ! 俺だってなんだ! お前が生まれる前からずっと、幸せだった! 母さんとお前の名前をずっと考えた! お前を抱き上げて、嬉しくてたまらなかった! お前は、俺を父にしてくれた!」


 抱きしめて、撫でながら父は俺を愛していることを全力で訴えてくれる。

 たったそれだけ、父と母が俺にとってどうやっても逃れられないようなことを理由に挙げて愛を伝えてくれる。


「なんでぇ……! なんで、そんな……」


 なんでそんなことを言ってくれるのか。どうして、こんなに泣いてくれるのか俺にはわかりようもなかった。


「ごめんな、親ってそういう生き物だ! こんな可愛い自分の子供を、喜ばずにいられないんだ!」


 父は伝えきれないほどに愛があるのだと教えてくれる。大の男が、わんわんと泣きながら。


「理由なんてわからないの! 初めてあなたの顔をみて、大好きーって思っちゃったの! どうしようもないくらいに!」


 だから、愛させろと。まるで母は叫ぶかのようだった。わからない、小難しいこと考えない。本能のままに愛してくれる。そんなこの人たち……否、二人は両親だ。

 あぁ、ずっとこうしていたい。涙なんて辛い時に流れるもののはずなのに、ずっとこうしていたい。なんにも辛くない。この涙の理由を知りたい。


「ここにいてッ……いい!?」


 止まらないんだ。いっぱい迷惑かけた、それなのに身勝手な願いを口にしている。


「いてくれ! お前がいないと、辛いんだ!」

「ずっといて! 愛してるよ海星!」


 即答。二人の答えは概ね同じで、思いも強くて。だから、重なって二人同時に言った。

 混ざり合って、聞き取れないはずなのに、なんでわかるんだろう……。


「うん! ずっといる!」


 とにかく生きよう。この涙の意味を知らなきゃいけない。

 いつもとは違う幻聴を仮に神とするなら、神様が僕にくれたこれでもかというほどの恩寵だ。


「あぁ! ずっとだ! ずっとだぞ!」

「愛してるよ!」


 俺は第一子だった。三人、藁の上でひとかたまりになって、これでもかというほどわんわん泣いた。

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